今日の絵(その15)
2012年02月04日

さてこのコは何をしているのでしょう?
01)細い糸を首に巻いたら、となりのクラスのジュンくんが私のこと振り向いてくれるかもしれないと思い、やってみた。
02)娘の保育園に提出する二枚のぞうきん、古タオルを手縫いしてこしらえ黄色い学童カバンに入れたとたん、ふっとなんだかやりきれなくなっちゃってしばらくぼおっとした。で、気がついたら糸を首に巻き付けてた。
03)「今晩はロールキャベツが食べたいな」と、言って家を出て行ったっきり帰らぬ主人を思い出しながら、自分の首をロールキャベツにみたててたわむれているところ。
04)相米慎二「魚影の群れ」の佐藤浩市のものまねを試みてる最中です。
05)せっかく叔母さんが世話してくださったお見合いだ。この前はまんまとすっぽかされたが、今日という今日は首に縄をつけてでも、父さんはお前を連れていくからな、って明日言われたらどうしようと思って、その軽いシュミレーションみたいなやつをやってます。
06)新作のハイパーヒートテックマフラーで、見た目は華奢だけど、すっごくあったかい。
07)新作の弦楽器で見た目はシンプルだけど、首に巻いて弾くことにより、えも言われぬ美しい音が出る。
08)首が強いか白糸が強いか勝負してる。
09)この地方の山神さまに捧げる魚を釣るには、釣り糸をこのように首に巻いて使用しなくてはならない。
10)へへへっ、てっきり白い糸を首に巻きつけてると思ったでしょ?ところが、実は細い白色の油性ペンで首と後ろの壁に線を描いてるのでした。
(答え)
それは君次第!
(今回の曲)
Joanna Newson -「The Book Of Right-on」
最初この人の曲聞いたのが、ブリュッセルはグランプラス近くにあるチョコレート屋隣接のカフェだった。雪がたっくさん降るとても寒い日で、あついココア(ショコラショー)がそりゃあうまかった。で、以来ココア飲む時はたいてい頭の上にこの人の歌が流れる。
つうか、この人の歌聞くとココアが飲みたくなるので、作って飲む。
azisaka : 23:41
今日の絵(その14)
2012年01月30日

今回の絵に登場は、珍しい蝶を求めてインドシナ半島をうろうろしてる、昆虫学者の蝶歌子さんです。
ミャンマーの奥地でそこの住民の信仰の対象となってる、採ることを禁じられている大アゲハを採集したがため、祟りにあい、霊が取り憑いてしまったとこです。
(右上に映ってます)
うわあ、そりゃあやばい、はやくお祓いせんといかん...と思いきや、取り憑いたのは彼女の先祖、遠い昔日本からこの地へ入植した3代前のじいちゃん。
守護霊として彼女をあまたの危険から救うことになるのでした。
azisaka : 06:52
ハーモニーさん
2012年01月26日

8年前の冬、どうしたものか縁あって沖縄で個展をやることになった。
あんましお金がなかったのか、それとも味気ないビジネスホテルがいやだったのか(もはや忘れちまったけど)、その期間中はトイレや洗面所が共同の一泊数千円の安宿に連泊した。
コンクリート打ちっぱなし南向きのやたらと明るいシャワー室、類を見ない独特な寝心地のでこぼこベッド、自分では買わぬ類いのマンガ本並ぶ湿気た談話室...それらすべてがその時分の自分の気分に随分合っていて、心が和んだ。
宿をしきってるロン毛の兄さんは、やたら「寒い、寒い」とぼやいていたけれど、前年まで3回続けてベルギーの冬を越した身体だったので、薄手のセーター1枚で事足りる気候はすこぶる快適だった。
滞在して3日ほどが経った。
観察してると、泊まり客は冬場ということで少なく、それもたいていが一泊きりですぐに入れ替わった。
ところが、一週間以上も泊まるのは自分くらい、と思ってたら一番奥の部屋、そこにすでに一ヶ月前から滞在しているという人がいた。
4日目、朝起きて洗面所へ立つと、それを息をひそめて待ってたかのように奥の扉がすっと開き、中からめがねの男が出てきた。
スラックス(パンツでもズボンでもない)に白シャツを入れ、ベルトをしっかり締めている。
男は隣の洗面台のとこまでくると無言で歯ブラシに磨き粉をつけ、それを口にくわえた。
ああ、何か挨拶しなくちゃ、と思ってたら、突然、踊り始めた。
自分同様、ただ単に歯を磨くものと思っていたのでびっくりした。
すすすすすーっと、軽快なスッテップで、数歩ごとに身体をひねりながら廊下を進んで行く。
突き当たりまで行くとそこでくるっと回転、またすすすすすーっと洗面台のある方にもどってくる。
眼前を通り過ぎ、もう一方の突き当たりへ、またそこでくるっと回転。
それを2、3度繰り返す。
那覇の安宿二階の廊下、ブラシは口にしたまま、ときにシャシャっと歯を磨き、ときにひゅんと身体をひねり、ときにピンと足を宙高くあげる。
うひゃあああー、なんやー、この人.....!
見てて、もうめちめちゃ奇妙でおかしい。
ところが、眼鏡の奥の瞳ときたら本気そのもの。
なので笑うことができない。
すさまじく滑稽なのだが、その滑稽さのレベルを、はるかにその真剣さが凌いでいる。
笑いの方が、有無を言わせず封じ込められてしまう...
そんなことがその日を最初に何回か続いた。
朝や夜、洗面所へ立つとその気配を察知して彼が登場し、歯を磨きながら踊るのだ。
あまりにも変だったので、関わるのはやめとこうと、はじめのうちは見て見ぬ振りをしたり、またはあいさつだけして部屋に逃げ帰っていた。
けど、何回も続くとさすがに声をかけずにはおれなくなった。
「あの、ここにはもう長く滞在してらっしゃるんですか?」とある晩、話しかけてみた。
するとそれまで全くの無表情だったのが、もう何年も前から心待ちにしてたかのように、にっこり花咲くよう笑って、「ええ、ここにはピアノがありますから。」と答えた。(その宿にはなぜか古いピアノがあった)
そうして彼は自分のことを語った。
歳は三十八。それまで音楽史や音響学、楽器やその演奏法、歌や舞踊、とにかくいろんな音楽にまつわることをずっと研究してきたらしい。
で、今は数年前からバーやクラブでピアノを弾いて生計をたてながらあちこちを放浪し、自分の理想とする音楽を追求しているのだという。
それはどんなものかと聞くと、一言で云うならば、”ハーモニー”なんだそうである。
とにかく音楽にはハーモニーこそが大切で、自分はそれを極めんがため、修行をしているのだという。
話しを聞いてると繰り返し取り憑かれでもしたかのように、その言葉が口をついて出てくる。
(内容は残念ながらすっかり忘れちまった...)
知識も経験もたくさんあって、大学に残って適当に研究したり生徒に教えてれば楽な人生だろうに、折れたのをセロハンテープで補強した眼鏡をかけ、くたびれたトランク一つを道連れに、安宿で暮らしている。
「いつも踊ってるのはなんですか?」と尋ねた。
「タンゴです」とおしえてくれた。
「ちょっと立ってみて」といわれたので立つと、頼みもしないのにじゃあ基本のステップだけおしえましょうと手を取った。
真夜中の廊下を行ったり来たり。
端までくるときゅっといさましく回転、向きを変える。
何回もくりかえす。
彼は大真面目。
他人に教えながら、自分も何かを学ぼうとしている様子だ。
しかし、折れたメガネに七三にきっちり撫で付けた髪、ぷりぷりしたお尻、見れば見るほどこっけいだ。
それが眉間にしわ寄せタンゴを踊っているのだからなおさらおかしい。
けれどもやっぱり、別にこらえてるわけではないのに笑うことができない。
彼がほんとうに真剣で、おのが人生をかけて何かを求めようとしている、その切実さがひしひしと伝わってくるからだ。
タン、タン、タタターッ、タン、タン、タタターッと彼が口で調子をとる。
合わさった手、自分の指か彼の指かわかんなくなってくる。
いつのまにやら、ぼくの心は頭上高く舞い上がり、眼下で踊る坊主と七三の奇妙な二人組を見てる。
ひとつになった身体が、すいすい動いててとっても気持ち良さげだ...
その時、この人を”ハーモニーさん”と名付けようと思った。
「大切な人」と記された心の中の箱、そこに入れて死ぬまで保管しておくことにした。
それから何年も立った去年の夏、人がたくさん登場する長い絵を描いて展示した。
個展会場にいたら、絵を見た人のひとりが、こんなことを言った。
「描かれてる人、めちゃくちゃ面白いかっこうで踊ったり、ポーズつけたりしてるんですけど、顔っていったらみんな真剣で、それが不思議な感じでいいですよね」
それを聞いて、「おお、ハーモニーさんが...」と思った。
気付かぬうち、いつのまにやら心の箱からとび出し、踊っていたのだ。
今回の曲
岸田繁&ラキタ「トンネル抜けて」
azisaka : 23:12
今日の絵(その13)
2012年01月23日

さて、今回の絵は「あの人は今」シリーズ第一弾!
”今日の絵(その1)”で登場した飛行機乗りの青年、その50年後の姿を描いたものです。
現在はドクロディア第3空港にある中央管制塔の指揮官として働いてます。
還暦祝いに孫からもらったジャケットを着てポーズをとっております。
azisaka : 18:49
今日の絵(その12)
2012年01月21日

上に掲げた二枚の絵について、たわむれにお話しします。
最初、友達の美容室のために、左っかわの絵を描いた。
タートルネックの赤いスペースんとこに半年分のカレンダーを入れ、ポストカードにした。
描き終えて写真とって、印刷所に入稿したあと、自分用に描き変えることにした。
依頼されて、引き受けて、(デジタルイラストでない)絵を描く時がときどきある。
けっこうためになるし、楽しいのでやるんだけど、いかんせんそれらは商売用のもの(お客さんを呼び寄せんがためのもの)が多いので、
いろんなものと折り合いをつけなくちゃあならない。
折り合いをつける(何らかの制限がある)ってのも、何かを作る場合は時にはいいもんだけど、それが自ら選びとった制約(俳句の決まり事みたいな)ではない場合、描いててやっぱりとっても不自由な、不自然な感じがしてしまう。
まあ、それでも角煮、じゃなかった、描くには描くけど、描き終わっていったん”イラスト商品”として入稿しちまったら、元の絵は用済みなので、とっとと勝手気ままにに描き変えをすることが多い。
今回も、デザイナーに送った後、いやっほーっと、絵の具削って下地塗って好き放題に描きなおしをした。
それが右っかわの絵だ。
「うわあー、最初の女の子がはつらつとして可愛かったのに、なんでまた描きなおしたーん、あほやねえーっ」とおっしゃる方もなかなかたくさんいるかもしんない。
かくいう自分も、並べてみて、ちょっぴりそう思った。
左っかわの絵は、原画は失われ、もはやデジタル写真のデータだけしか存在しない。
二度と同じものは描けない。
それは残念なことではあるが、しかし、左のやつを葬り、それを礎にしてしか、右っかわの絵は生まれなかった。
うーん、これは人生の何かに似てる、っていう気がするんだけど、なんやろか...
つうか、左の赤いタートルネックの女の子がやたらといとおしく思えてきてしまう。
自ら葬っておきながら...
(ひとりで何あたふたやってるん、兄ちゃん!というツッコミ可)
今回の曲
Codeine Velvet Club「Hollywood 」
そんな気分の時はこんな曲。
azisaka : 23:01
今日の絵(その11)
2012年01月14日

さて、問題です。
このコは両手に何を持ってるでしょう?
01)レンゲ草
02)トカレフ
03)ギンビス・アスパラ
04)掘ったばかりのさつまいも
05)狩ったばかりの首
06)ビクトリアシークレットの新作下着
07)よもぎ
08)字統と字通
09)猫
10)その他
(答え)
それは君次第!!
今回の曲
St Vincent「Surgeon」
うう、かっちょよすぎ!田かおる、じゃなくて玄白!
azisaka : 22:12
今日の絵(その10)
2012年01月10日

君は中2の男の子だ。
瀬戸内海に面した小さな街に両親と妹の4人で暮らしてる。
家はなかなか貧しくて、家計を補うため新聞配達の仕事をしている。
毎日毎日、陽の明けぬうちに起き、50件ほどに配って回る。
さて、そのうちのひとつに、それはそれは立派なお屋敷がある。
自分の身の丈の2倍くらいありそうな門戸、その右手に一文字の錆びた口が開いてて、君は毎朝そこに新聞をねじりこむ。
(寝たきりじいちゃんに無理にご飯食べさせてるみたい)
口の奥はどんな風になってるんだろうかと思うけど、高い塀に囲まれて中の様子はまったくわからず、遠目に洋風の屋根の先っちょが少しばかり見えるだけだ。
ある日のこと、学校が終わるやいなや足早に帰ってると(家の仕事の手伝いをするのだ)、いつも固く閉ざされているはずのお屋敷の門、分厚い扉がほんの少し開いている。
あ、開いてる!
入れる!
しかし、
早く帰らなきゃ、父親にどやされる。
どやされて身をすくめる自分の姿が脳裏にありありと浮かぶ。
浮かぶが、好奇心がそれを一拭きで消し去ってしまう。
気付いた時には、すでに塀の内側、変な形の葉っぱのしげみの横に突っ立っていた。
(つうかふつう親父より、屋敷の人に怒られるのを心配するやろ...)
ぱちくり眼を動かし前方に焦点を合わせる。
うっひゃーっ。
こっ、これが、”クラッシック”かあーっ!
(えっ?)
音楽室でシューなんとかとか、モーなんとかとかいう昔の西洋の人が作った曲を聞かされるとき、閉じたまぶたの裏にぼんやりと映る風景があるのだが、それが今、ぱっきり高解像度で現われた。
(実は君は、クラシック音楽聞いてるとき、妹の少女マンガで見た風景を思い出してたわけなんだけどね)
芝生、噴水、ベンチ、薔薇なんかのとにかくきれいな花々...
嗚呼...
(君は自分の”ああ”もいつの間にかクラッシックになってるので、ちょっと驚く)
感嘆の声をはきながら、夢見心地でふらふらとそんな庭園の中をさまよい歩く。
しばらく歩いてたら、のどか乾いたので、噴水に口をつける。
いつもは両手ぶらりなのだが、今は王侯貴族みたいに蛇口のとこに手を添えている。
と、うしろの方で、かさっと枝葉のすれあう音がした。
君ははっと振り向く。
女の人が立っている。
君を見ている。
と、いう感じの絵です、今回の絵は。(笑)
でもって君は、あわてて自分ちに逃げ帰るわけなんだけど、
その時、流れてくるのがこんな曲だ。
azisaka : 23:13
今日の絵(その9)
2012年01月06日

12月、寝がけに布団でファッション雑誌パラパラめくってたら、とうもろこし畑の写真が出てきた。
さして気に留めず次のページをめくろうとしたら「兄さん、ちょっと待ったーっ!」っていう大きな声がした。
どきりとして手をとめると、とうもろこしたちが口をそろえて「なあ、おれたちのこと描いておくんなよー」と勧誘している。
「かんかん照りがこしらえた俺らの陰影、描いてごらんよ」とか「きりっと伸びた葉っぱの線に沿って筆滑らすの、気持ちがいいぜー」
とか「あんまし使わないブリリアントな青色で俺らの似顔絵ものにしてみなよ」とか、しきりに訴えている。
それを聞いてたら、それほど熱心に頼むのならしょうがない(と、同時にとてもありがい)、いっちょう描いてみるか、という気になった。
しかし、とうもろこし畑だけじゃあいささかもの足りない、というかそれだけで画面成り立たせる力量がない。
それで、とうもろこし畑を背景に人物が立ってる絵を描くことにした。
おそるおそるそう提案してみたら、意外とすんなりとうもろこしたちも納得したので、よかったよかったそれで行こうと安心した。
と、いうところまで翌日、朝ご飯食べながら思い出した。
(前夜は安心したとたん、ぐーすか寝入ってしまった)
さて、人物はどんな風にしよう...
あったかい豆乳飲みながら考えはじめた。
まもなく、ピカーン!
傍らの本棚の中の一冊が光った。
手に取るとそれは上野英信の「出ニッポン記」(読んでない人は読もう!)だった。
とうもろこし畑...南米...ブラジル...といえば、ああ、日系移民だ。
そんなわけで、とうもろこし畑を背景に、筑豊を追われブラジルに入植した炭坑夫の姿を描くことにした。
「そんなしょうもない経緯で炭坑夫の姿描くんかよ!」
「す、すまん」
しかも、その際、とうもろこしを描くのを主体にして、炭坑夫はできるだけ片手間にやろうと決めた。
「私は何ひとつおろそかにしなかった」っていうフランスの画家プッサンの言葉がある。(ここ数年、座右の銘のひとつになっている。)
それを、絵を描くっていう仕事に当てはめたとして、画面の中のすべてのものをみな等しく”おろそかにしない”でいるのはなかなか難しい。
たとえば普段、人物画を描くことが多いのだけど、やはり背景の空や草花、建物や車などを描くより、人物のほうに気持ちが入ってしまう。
さらにはその人物にしても、手足より顔のほうに、顔ならば、髪の毛や耳鼻などより眼のほうに、どうしてもより力を注いでしまう。
「別にそれでいいじゃん!それで何かさしさわりでも?」と思われる方がきっと大半だろう。
だって、龍を描くとするなら、鱗やヒゲやしっぽより断然、その眼を描くことにより気合いをいれるのが当然のように感じられるからだ。
でもちょいとばかしこの仕事を長く続けてると、”いい絵”ってのは、いつの間にか知らないうち、「よおし、ここは魂込めて描いてやるぞー」などど頑張ったりせず、”片手間”にやった時のほうが、よりうまく立ち現れてくれる、ってことに気がつくようになる。(あ、他の人は違うのかもしれませんけど...)
でも、気がついたってそんな芸当ができるのはすっごく調子が良いときだけで、たいていは時間経つにつれ、顔の表情ばかりに気を囚われ、そこだけ(他のとこはとうに仕上がってるのに)延々と描きなおし続けてる、っていうことのほうが日常だ。
そんなわけなので今回は、背景のとうもろこしを”持ち上げ”、人物をわざと”おろそか”にすることで、人物、ひいては絵全体をうまく描こうとしたのである。
(うわあ、まどろっこしさーっ)
つまり、今回の絵が「とんかつ定食」だとするならば、とうもろこし畑がメインの”とんかつ”、その上に広がる空が”ご飯”、着てる服が”みそ汁”で、顔といったら付け合わせの”キャベツ”くらいの立場だということになる。
とんかつを、「うわあ、衣さくさく、中身はジューシー、ああうまかーっ」って味わって食べてたら、いつの間にやらキャベツもたいらげてた。って具合に、人物を仕上げようと思ったのだ。
そうやって仕上がったのが今回の絵だ。
しかし悲しいかな、”とんかつ定食作戦”みごと失敗...
やはり人物描くのに文字通り”囚われ”、さらさらっと描くこと能わずだった。
あいかわらず、”キャベツ”だけ残って、煮たり焼いたり、レモンしぼったりマヨネーズかけたり...
ぜんぜんうまくいかなくって結局、特製ドレッシング(サングラス)かけてしまったんだけど、ううむ...
今回の曲
les rita mitsouko 「les amants」
カラックスの映画「ポンヌフの恋人」の主題歌。
(映画版のとちょっと歌詞が違うけど)
雪が降ると、8回に2回くらいジュリエット・ビノシュがツツーっとポンヌフ橋に積もった雪の上を滑ってくるシーンを思い出す。
それ思い出すと、頭のてっぺん辺りにこの曲がかかる。
azisaka : 22:17
今日の絵(その8)
2011年12月28日

でぶっちょ少年、描いてはみたものの、期待してたほど心はぬくもらなかった。
それで今度はもっと光を!とゲーテ度を高くして、コート・ダジュールの浜辺に立つ女の子を描いたのが今回の絵です。
ちょっと見ると、ナタリーとかマチルダとか名のついた西洋人みたいですが、八重山地方は竹富島の出身です。
幼少の頃より泳ぎに長け、なんと素潜りを30分間することができます。
石垣島の高校を卒業したあとは家の漁業を手伝っていたのですが、ある日、その人間離れした潜水能力に目をつけた謎の組織に連れて行かれてしまいました。
最初は生まれた島から引き剥がされ泣いてばかりいたのですが、しだいに他の団員にも仕事にも慣れていきました。
でもって、2年間ずっと休みなしにとってもよく働いたので、組織より功労賞が贈られました。
それが二週間の南仏でのバカンスだったのです。
生まれてはじめてパスポートとって、まずはあこがれのジャンボジェットに、それからTGVへと乗り継いで、迎えにきたリムジンで昨晩おそくニースの高級ホテルに到着。
時差ボケもなくぐっすり寝て目覚めるとすぐに、朝日の照らすテラスで焼きたてクロワッサンを「こんなにおいしいパンが世の中にあったなんて!」と感激しながら12個も食べ、カフェオレは3回おかわりしました。
そのあと、歯を磨いたらさっそく水着に着替え、まだ人気のないビーチに走り出ました。
ところが、「さあ、南仏の海とやらで、思う存分泳いでやるわ!」と海に飛び込もうとした矢先、団員の証である右手中指のでっかい指輪がピカンと光ったのでした。
それは招集の合図で、何をさておいても直ちに帰還せねばなりません。
ああ無情!8個もパンを食べたのがいけなかったのか!
と、端から見るとすごくかわいそうな気がするのですが、本人はけっこう大丈夫です。
それでこの絵は、「あちゃあ、呼び出しくらっちゃったあ...でも飛行機はじめて乗って機内食おいしかったし、ふかふかベッドで眠れたし、短い間だったけどけっこうた楽しかったわよね...」と、その非情な仕打ちを受け入れたときの様子です。
さて、実はこの後帰りの飛行機の中でへんてこな髭のムッシュと同じ席になるのですが、その彼からブルターニュ地方で語り継がれる伝説の剣の話しを聞くことでにわかに彼女の人生が変わりはじめます。
そして、たちまちのうちにヨーロッパ全土の命運を左右するような歴史的事件の渦中に巻き込まれることになるのですが、そんなことこの時点では知る由もありません。
そんな彼女の心に鳴り響くのは、たぶんこんな曲。
四人囃子「ヴァイオレット・ストーム 」
azisaka : 09:43
今日の絵(その7)
2011年12月26日

11月も後半になり、なかなか寒くなってきたので、「三月のライオン」の二階堂くんみたいな、ぽっちゃりあったかそうな人物を描こうとしてできあがったのが今回の絵です。
窓から射す陽に人や物が溶けこんで、ぼんやりまどろむような風にしたかったんですが、描いてるうちパキッと硬質な感じになってしまいました。
しかし、少年よ、何を想う...
azisaka : 14:34
今日の絵(その6)
2011年12月24日

さて、"今日の絵その2”のとこで書いたように、最初にカレンダー用に描いた絵は、「人も色もごちゃごちゃしてにぎやか過ぎっ!」とはねつけられてしまったので、2回目はその真反対に、ひとりぼっちの女の子をほとんど色を使わずに描いてやる...と意地悪くたくらんで描いたのが上の絵です。
「うわあ、なんよー、今度はさみし過ぎやーん!」とまたまた却下されると思いきや、「うん、いい、ばっちグー!」と大丈夫だったので、ふうと安心しました。
けれど、実は内緒のことだけど、その六分の一くらいはがっかりした。
なんでかっていうと、この2回目に描いた絵もだめだったら、もうほとんど期日の猶予がないということで、そしたら”切羽つまる”ことができたからだ。
経験的に、この”切羽つまる”っていう状態は、絵を描くにはけっこう都合がいい。
「火事場のくそ力」とおなじで、日頃眠ってた感覚が突如目覚めるというか、新たな力が急に湧き上がるというか、とにかく能力が一時的に高まって、予想とかけはなれた、良いものが出来上がることが多いからだ。
そいじゃあ、わざと時間あるのにのんびりして、いつもギリギリの状態をつくるようにしといたらいいじゃん。
とそう思う方もおられようが、そこが難しくって、意図的に”切羽つまら”せても、お天道様はちゃんと見てて、すてきな力は授けてくんない。
ちゃんと外からもたらされた”土壇場”でなけりゃあ、うまくいかない。
とはいっても、ちょいとばかし長く絵を描いてると、あら不思議、絵をうまく描かんがため、”無意識に土壇場ギリギリを呼び寄せる”という術が知らないうちに身についてくる。
カレンダーに早いとことりかからねばならぬとわかってるのに、”じいさん”や”タコ漁師”や”女版ジョー”が無性に描きたくなるのは、そういうわけだ。
おそらく、たぶん。
今回の曲
Lisa Germano「Cry Wolf」
Lisa germane & OP8「If I think of love」
10年くらい前、ブリュッセルのFNAC(タワレコみたいなとこ)の試聴コーナーでたまたま出会ってときめいて以来ずうっと、いつだって聞いてるLISAねえさんです。
長らくデヴィッド・ボワイとかイギー・ポップなんかのアルバムやライブでギタリストとして活躍してて、ソロでのデビューは1991年、33歳になった時。
性に合うのか、8枚出してるアルバムのほとんどの曲が大好きで聞き飽きることがないです。
azisaka : 23:35
今日の絵(5)
2011年12月22日

カレンダーについにとりかかって、描いてる途中にちょっと休憩して雑誌ぱらぱらめくってたら、ピクニックに興じる若者たちの写真が目に留まった。
その中の、ひとりの女の子の立姿(寝転んだ男の子を見下ろしてる)が、なんとなくジョーをアッパーでKOして「終わった...何もかも...」って言ってる力石徹を思い出させた。
それで、ああ「女版・あしたのジョー」ってのはいいなあと思って描いたのが今回の絵です。
舞台は未来の女子少年院でヒロインはスケバン、風吹サチ。
カツアゲの現行犯で連行中のダチを救出すべくマッポ8人を殴ってケガさせムショ送りに。
その彼女が、長きにわたってそこに君臨していた身の丈2メートルはある”ヒマラヤ”と呼ばれた大女をいとも簡単にやっつけて、「ふんっ」ってしてる様子です。
額の絆創膏は少年院の若き東大出の院長・白鷹葉二郎からの思われニキビがでっかくなってつぶしてしまったので貼ってます。
で、彼女のその尋常ならざる強さを聞きつけ、目下開発中の巨大ロボット(マリアンヌロボ)の操縦士に抜擢しようとやってきた人たちが上空の円盤形ジェットに乗ってます。
この場面の後、ビビーッて光線が下りてきて、女の子はヒュルヒュルヒュルって円盤にすい込まれていくというわけです。
今回の曲
Dengue Fever 「1000 Tears of a Tarantula」
スイス住んでる友達が、「こうじ、これいいぜっ!」て教えてくれたカンボジアのグループ。
たしかに、いいっ!かあーっっちょいい!
サチが、ドヤ街の屋根から屋根、追ってくる大勢の警官から逃げ回ってるシーンで使いたいもんだ。
しかし、どんな歌詞なんだろう、”タランチュラの千の涙”って...
azisaka : 10:12
今日の絵(その4)
2011年12月20日

11月になり、もういいかげんカレンダーの制作にとりかからないと去年の二の舞になっちまうと焦っていたとき、イタリア帰りの友達からタコの缶詰をもらった。オリーブオイルに漬けたやつだ。
これ幸いとちょっとばかし高い白ワイン買って、日が暮れたらアンチョビもケッパーもあったのでプッタネスカを作った。
それ食べた後、ゆっくりタコつつきながらワイン飲んでると「地中海あたりでタコ獲ってる漁師ってのはどんなんだろう」?と思いはじめた。
それで、酔っぱらいながら資料集めて安心して寝て、陽が明けたらさっそく描きはじめ、数日してでできたのが上の絵です。
頭の鉢巻きはシルク100%で、ぜんぜん陽に焼けてなくてひ弱な感じですが、実はそうでもなくて彼独りで家族6人を養ってます。
腕の入れ墨は自分で彫ったもので、中世の人なので変な髪型。
「あ、そういえばあさって一番下の妹の誕生日やった...何贈ろうかな...」と船の上で思案してる状態です。
ところで、タコ漁師といって思い出すのは土本典昭の映画「水俣ー患者さんとその世界ー」だ。
大学2年のとき、視聴覚室で”勉強”のため見せられたんだけど、映画そのものにまったくもって魅せられてしまった。
その一本で、いきなり映画の見方が変わってしまった。というか豊かになった。
(それまでは、”お茶漬けの味”がわかんなかった小暮実千代みたいなもんだ。)
何かがきっと性に合ってたのだろうが、さっそく教授に頼み込み、研究室にあったその他の土本作品のビデオも借りて立て続けに見たんだけど、そのどれもにとても強く心を揺さぶられた。
それがきっかけで20代、映画をたくさん見るはめになった。
「水俣ー患者さんとその世界ー」には、タコそっくりの風貌のタコ漁師が登場する。
彼が、獲ったタコを腰に巻いた金具にひっかけ海の中をゆらゆら歩くんだけど、その時の映像、キラキラ輝く不知火海のひかりがすばらしい。
その後、けっこう映画見たけど、これ以上に美しいひかりには出会えなかった。
今回の曲
Boris Kovac 「Winter Song」
最初に彼のCD聞いたときにはバルカン半島の伝統音楽かなんかと思ったけど、大学で教鞭もとるセルビアの作曲家で、自分のバンド率いてサックス、キュルキュル吹きまくったりもしてます。
この曲はめずらしく静かな曲で、しんみりとなります。
azisaka : 11:22
今日の絵(その3)
2011年12月18日

仁王立ちで立ってるじいさんのイメージがある日なぜだか不意に湧いて出てきて、頭の中に貼っついて離れないようになった。
それでほんとうなら、来年のカレンダーのために女の子の絵を描かねばならぬ時期だったのに、じいさんのポートレートをひとつ、ものにせねばならぬはめになった。
小林秀雄(おお!)風にいうなら、じいさんの絵を一枚”やっつけ”なければどうにも落ち着かなかったわけだ。
絵を描くっていうのは、ご飯食べたり、トイレ行ったりすんのと同じ生理的な行いで、その欲求は常にあってどうしようもないんだけど、うなぎが食べたいとかチキンラーメンすすりたいとか、食欲の矛先が変わるように、描きたいものも時によって変化する。
三つ編みおさげだったり、ヘッドライトだったり、葉っぱだったり...
そうやって、無性に描きたいものを描きたいように描くのというは、冬の寒さに打たれた夜、よく味の染みたおでんの大根食べたくてたまらない時、はふはふ食べるのと、同じくらいに快い。
したがって健康には気を使う。
病気になったら、食欲が失せるように絵を描く気力や集中力も萎えるからだ。
つまりものを喰らうことができるかぎりは絵を描ける、終わるときは両方同時ということだ。
そういう風にして描いたものを人に見てもらうんは、どんなもんだろうか?と、ときどき思ったりするし、ましてそれを買ってもらったりするのは何となくわるい感じがするときもある。
また、個展を見に来た人などに、しばしば「この絵にはどんなテーマがあるのですか?」とか「意味は?コンセプトは?」はたまた「どんなメーッセージがこめられてるのですか?」とか聞かれたりすると、ドキっとしてしまう。
そして、「おお、世の中には“そういう風に”して作品を作る人もいるのか」と気づかされる。
そんなときは、たいていまず「兄さんはどがん思うですか?」ってこっちが逆に尋ねるんだけど、その返事を聞くのが、そりゃあワクワク楽しみだ。
で、「おお、まさしくその通りです!」と答えることが多い。
だって、ほんとに、まさしくその通りでもあるからだ。
「ああ、あの時、これが無性に描きたくて描いたのには、こういう訳があったのだなあ」とわかって、うれしくなる。
ただ、そんな勝手気ままに何の制約もなしに描いてるのに、出来上がったやつはご覧の通り、悲しいかなうすっぺらだ。
ほんとうに申し訳ないといつも思う。
(だって、”あつあつの大根食う”ことで、まがりなりにも身過ぎ世過ぎができてるんだから...世間に顔向けが...)
けれど唯一の救いがあって、それは、ほんのちょっとづつだけど以前よりかは”まし”になっていると感じられることだ。
少しばかりでもいい絵だったら、それを見たひとも”うまい大根のおでん”食べた気になるんじゃないかと期待するからだ。
さて、今回描いたじいさんですが、手には出刃包丁を握りしめています。
捌いてる魚を横取りにした猫を追って飛び出してきたにしてはスニーカーちゃんとはいてるし、誰か人を刺してきたにしては、返り血なんての浴びてません、また、包丁売りの行商人にしては表情がなにやら険しいです。
いったい、何してんねん?このじいさん...
今回の曲
Louis Johnson 「bass lesson 1」
見て聞いてるだけで、こんなに”うわあおぉ”なんだから、やってる本人はいったいどれだけ”うわあおぉ”なんだろうかと、非常にうらやましくなります。
azisaka : 15:46
今日の絵(その2)
2011年12月16日

まだ熊本で大学生の頃、恋人へのプレゼントさがしに街へ出て、たまたま入ったブティックで小さなきりんのピアスを買った。
以来ちょくちょく顔出すようになり、そこの女主人と仲良しになった。
その彼女が一番最初にイラストの仕事を注文してくれた人物で、以来20年近くDMを描く仕事をしている。
ここ数年はカレンダーも作るようになったんだけど、いつもぼんやりしてて師走ギリギリの仕上がりになるので、今年は奮起して早くも10月にそれ用の絵を描きあげた。
それが上の絵で、学生時代いつも買い物してた熊大近くにある子飼商店街、近未来予想図だ。
(年配の人がいないのは大切な集会があってるからです)
出来上がり喜び勇んで写真にとり見てもらった。
しかし、悲しいことに「こーちゃん、なんよー、ごちゃごちゃピンクピンクしとって、うちの店に合わんけーん」と無下につっぱねられてしまった。
それで、うううちくしょうと嘆きくやしがった。
くやしがったんだけど、あらためてよく見ると、たしかにカレンダーとして一年中壁に貼っておくには何やらさわがしいという気もする。
それで結局描きなおすことにした。
azisaka : 09:42
お知らせふたつと今日の絵(その1)
2011年12月14日

夏の個展が終わり、またやおら新しい作品を描き始めました。
ここ数年、おっきなものに取り組んでいたので、今度はちょっと休憩という感じで、小さな作品をちょこまか一年くらい描いていくつもりです。
さて、絵を描いて見てもらうようになってから今までは、数ヶ月にわたって密かに描きためたものを年に一回の個展の時、おりゃあー、といっきに公に(ぷっ、おおげさな...)展示しするという方法をとっていたんですが、今度からは、絵日記みたいに、描き上がったはなから「今日はこんな絵描きました」という具合にこの場所で紹介していこうと思います。
そんな風に来年の夏までずっとやって、夏になったら個展して、描いたそれらの現物を見ていただこうという企てです。
なんでかっていうと、
その1)なんとなくそうしたほうがいいんじゃないかと思った。
その2)先の個展のとき、先輩がやってきて「おまえ、なんや、ブログ、いっちょん更新せんやんか、おれ、せっかく行って、いつもがっかりするとぜ」と言われた。
で、そんなに言われたって、そう書くことあるわけじゃあないし、こまったなあ、でも絵は毎日描くので、その絵をのっけることで、彼の期待にちょっとでも答えよう、とそう思った。
と、こういうわけで今回からけっこうひんぱんに見ていただくことになる作品についてですが、画面の中、どこかにドクロのマークがあることが多いです。(今回のはないですけど)
これは、いつかもこの場でお話しましたように、人骨の研究をやってる長崎の友人(早く赤ん坊の顔がみたい...)が常日頃「アジサカさんの頭蓋骨はよかー、縄文人そのままの形ばしとらす、美しかー、いつかぼくにぜひ譲ってください、うふふっ」と言ってることに端を発したもので、いわばサインの代わりです。
その他にこれといって特別な意味はありません。
あと、登場人物のどっかに傷があったり、絆創膏や包帯してる絵が多いです。
もともとそんな傾向があるので、よく「何でですか?」って聞かれます。
そしてたまに50半ばくらいの女の人から「これは、心に負った傷の象徴なのでしょう?」とか「この女の子はリストカットされたのですね...」などと言われたりします。
まあ、そうかもしれませんが、どっちかっていうと、あわてて出かけるとき玄関でずっこけたり、ガスコンロの裏に落っこちた里芋ひろおうとして鍋に触ってやけどしたり、無理に猫なでようとしてひっかかれたり、とまあそんな方が近いです。
マンガでいうなら丸尾末広の少女に巻かれた包帯というより、ちばてつやのマンガの主人公が「まあ、石田くん、ケンカするの今週何回目!?ふう...」と保健室の先生にため息つかれながらバチン!「いててて...」と貼られる絆創膏に似ています。
でも、ほんとういうと意味なんていうのはいつも後付けで、絆創膏とか描く一番の理由は、描き手、すなわち自分自身の感覚的なものです。
つまり、たいていはひとまず絵が全部仕上がったあと、まずはその部分の画面の絵の具をカッターナイフで削り落とし、その後、傷なり絆創膏なりを描き入れるんですが、これがやっててとても心地いい。
ふつう、日常生活においては何に対してもできるだけ「キズをつけない」ように用心するってのが習わしなので、いったんは完成したものをガリっと勝手気ままに傷つけるという、その手応えが快いのかもしれません。
おそらくはそれとおんなじ理由ですっすっと指すべらせるだけのタッチパネルというのが苦手です。
パチンと押すスイッチだとか、ガチッと引くレバーだとか、そんなので作動するスマホがあったらいいのにさ...
あ、それと、キズがあると、描かれた人物になんとなく深みがでるような気がします。
これは実際の人間でもおなじですけど。
さて、いらん説明が長くなりましたが、そんなこんなで紹介していく「今日の絵」シリーズ、そのいっとう最初を飾る冒頭に掲げた絵は、10月に描いたものです。
その頃は秋だっていうのに、夏みたいに暑くて、それでなんでか無性に寒さが恋しくなったので、こんな絵を描いたのだと思います。
”正月に津軽の実家に帰省した飛行機乗りの青年”の絵です。
(勝手にすこしだけ写真家の小島一郎に捧げてます)
ところで、はなしは変わりますが、福岡は薬院っていうとこに友達が地道にやってる「亜廊」っていうギャラリーがあります。
今度、そこのオンラインショップでオリジナルグッズの販売をはじめました。
今んとこ、ポストカードとバッヂだけですが、おいおい品数を増やしていこうと考えてます。
まずは近日中にトートバッグを作る考えです。
(オンラインショップへはこのサイトのトップの画面から行くことができます。)
今回の歌
松崎ナオ「雨待人模様」
松崎ナオ「川べりの家」
ずいぶんと前、デビュー曲がラジオから流れてきて、わあーとびっくりして以来ずっとCDが出たら買って聞いてます。
二つ目の映像の岸田森の顔がすばらしい。
azisaka : 22:31
ラルフ
2011年12月03日

ちょうど日本がバブルっていう名の好景気に湧いていたのと同時期、幸か不幸かパリに暮らしていた。
大学出たあとすぐに職に就くのもためらわれ、縁あって住み始めたんだけど、何か特別な目的があるわけでもなかった。
絵で食べていく自信なんてなかったし、他に特技もなかったが、まあなるようになるさと思っていた。
(この時分、たくさん親に心配かけたので今はせっせとその償い最中)
ガイドや家庭教師、服の買い付けの手伝いや皿洗いなんかをして食いつなぎながら、ひとり絵を描いていた。
そうじゃなけりゃあ、あてどもなく散歩し映画を見た。
お金はないが、やたらと時間がたくさんあった。
住んでたのはむかしから移民が多く住み着いてるベルヴィルっていう名の街のおんぼろアパートだった。
エレベーターなし6階の屋根裏部屋で、バイトから疲れて帰った時など、上り始めるのに覚悟がいった。
緑の手すりが天へと螺旋に伸びていて、下から見上げるとまるで「ジャックと豆の木」の大木のようだった。
部屋へ入ると斜めになった小さな窓から北の方、モンマルトルの丘がほんの少しだけ見えた。
石を敷いただけの中庭にはいつも子供の遊び声や、夫婦のののしり合う声がこだましており、ときどき何かの割れる音が高く響いた。
通りに出るならば、そこにはフランス語よりかアラビア語や中国語の看板が多いくらいで、マロニエの枯れ葉の代わりに野菜のくずや鶏の頭なんかが落っこちていた。
もちろん日本の雑誌で紹介されるみたいな(栗毛の可愛いリセエンヌが寝ぼけまなこで手伝ってる)おいしいパン屋なんてのもなく、ひげのやたらと濃い男衆がやってるケバブの店がいたるところにあって、大きな串に刺さった羊肉の固まりが強い臭いを周囲に放っていた。
この臭いに、コリアンダー、ゴロワーズとペルノーの臭いを合わせるとこの街の香水ができあがる。
食事といったら朝はいつも固いバゲットパンにジャムつけたのをカフェオレで流し込み、(日曜だけ贅沢してクロワッサンやショコラパン買って食べるのがとても楽しみだった)昼は食べないか、サンドイッチみたいなやつ、晩はにはよくメルゲーズ(羊肉のピリ辛ソーセージ)を焼いて食べていた。
着る服はたいていが蚤の市か近所のアラブ人がやってる古着屋で買ったもので、山と積まれた中から良い品をさがしだすのが楽しみだった。
しかし、持ち込まれたものをそのまま放り出してあるだけなので、しみ込んだ強い体臭がにおい立ち、時々気分が悪くなった。
年に2回、プレタポルテのサロンの時、日本から人がやってきた。
彼らからちょっと高いレストランにつれていってもらうのがすごく楽しみだった。
同じくらいの歳の日本の若者がほんもののロレックスやヴィトンをもってるのでとてもびっくりした。
さっき買ってはじめて身につけたようなまっさらの服を着ていて、まるで金ぴかのおとぎの国からやってきた人みたいに思えた。
さてそんなパリ暮らしが2年くらいたったあと、妹の結婚式で東京へ行った。
この都会へ行くのはそれがはじめてだった。
着いた翌日、商社で働く旧友と5年ぶりくらいに再会することになった。
待ち合わせの場所に立ってたら、ガンメタのBMWがすーっと目の前に来てとまった。
窓が下り「よお、こうじ、ひさしぶり!」と笑いかけるのが、ちょっぴり太ったその友人で、そのまま高そうなフランス料理店に連れて行ってもらった。
「今日はおれがおごるから心配するなよ」
動揺してるのをさとられたのか、店に入る前にそう耳打ちされた。
(三千円くらいしか持ってなかったのでほっとした)
フレンチのコース料理というものを食べるの、それが初めてだった。
そわそわしてたらいきなり、いかにも高そうなラベルのワインが出てきた。
パリでいつも飲んでる一本300円くらいのワインが優に50本は買えそうだ。
「これ、この前、接待で飲んだんだけど、うまかったんだよね」
と、いつのまにか東京言葉を身につけた彼から注がれるままに飲んだ。
飲んだんだけど、何か変な味がした。
「ああ、こりゃあブショネだ..,」とそう思った。
(ブショネっていったら、コルク栓の臭いがワインに移っちまってる状態で、毎日ワイン飲んでたらたまに出くわす)
でも、飲めないほどきつくはなかったので、口には出さず「やっぱりおいしいよね、これ」って言ってる彼と最後まで空けた。
食べものはうまかった。
うまかったんだけど、特別ってほどでもなくって(だって”フランス直輸入”の鴨のロースト、ここで食べたってなあ...)、ああ、寿司食べたいと言っときゃあよかったと悔やんだ。
そのあと、またまた高そうなバーに連れていってもらった。
そこで、投資で儲けてるという話をたくさん聞かされた。
「こうじもやれよ、簡単に稼げるぜ、ふふふ」と勧められたんだけど、聞いてもさっぱりわからないし何となく気が進まないので「おお、すごかねー」と相づちだけ打って聞いてるふりをしていた。
東京には3日間くらいいた。
友人知人に会うのは楽しかったけど、ここはただただほんとうに騒々しく、その上道行く人の風貌がのっぺり魅力がなくて悲しくなった。パリにとっとと帰ってしまいたくなった。
そのあと実家のある長崎に行った。
そこは相変わらずのんびりしてたのでほっとした。近所のいつも米をわけてくれるじいさんの「やあ、帰っとったとね」と笑う自然な表情に安心した。
さて、パリではパリ生まれでパリ育ちのベルギー人の女の子と一緒に暮らしていた。
彼女は昼間大学に通い、夜はディスコでバイトしていた。
バイトの日は晩ご飯食べたあと出かけていって朝まで帰らなかった。
ピガールはムーランルージュの隣にあるでかい箱で、ときどきくっついて行ってただで入れてもらった。
踊るでもなし、ジンリッキー飲みながらぼさっと人が踊るのをながめていた。
ある晩それとは気がつかずに入ったらゲイナイトだった。
厚化粧で女装したおっさん、黒革ビチビチマッチョ兄さん、性別判別できないただきれいな人、普通のサラリーマンみたいな人、いろんなタイプのひとが、ひしめいていた。
メインホールの大きなスクリーンには、そういった類いのポルノ映画が映し出されていたんだけど、むろん映倫とおってないので、とっても迫力があった。
アジアの人間はめずらしいのか、独り飲んでるとあとからあとから声をかけられた。
中には、「こんなきれいな人となら一度くらい...」と思うような美しい顔立ちの人もいた。
ところで、何回かそのディスコに通ってるうち、ドイツ人の男と仲良くなった。
バーを仕切ってて名はラルフ、年は自分より10くらい、体重は20キロほど上で、髪の長さは30センチほど長かった。
真ん中分けの髪の下、狭い額はさながら固い岩場で、そこからびよーんと長く太い鼻の茎が生え垂れ下がっていた。
その先に分厚く赤い二枚の弁からなる花が咲いていて、ほとんど閉じたまんまだったけど、開くと酒とタバコと男と女の臭いがした。
目玉は...目玉はって言うと太い茎の両側にしがみつく一対の南洋の昆虫みたいだった。
背中が深緑色に濡れて光ってるんだけど、そいつときたら人喰い虫で、油断してるといきなり羽ばたき飛びかかってきそうだった。
と、やけに描写が長くなったが、誰かにたとえるなら映画監督のエミール・クストリッツァと原田芳雄を足したのにイギー・ポップをかけてミッキー・ロークで割ったような風貌だった。
とにかくまあ、このように尋常ならざるたずまいであったので、最初のうちはできるだけ近づかないようにしていた。
けど、それはシラフの時で、酔っちゃったら当然のごとく恐れよりか好奇心が勝る。
いつのまにか話を交わすようになった。
(とはいってもつたないフランス語で、あいさつに毛の生えたくらいの短い会話だったんだけど)
ちょっとばかし親しくなるとラルフは、すさまじく存在感があると同時に、そこに存在していない様でもあった。
なんとなく仕方なく、他に行くとこがないのでそこにいるという感じだ。
何やってても話してても真剣な感じがしなくって、同じホールで働くグラマー美人の彼女にしても、周りで一番いかしてるから、それじゃあそばに置いとこうかっていう風だった。
まあ、そんな所在無さげな、「この人いったい何考えてんだろう?」ってとこが彼の一番の魅力といえばいえた。
さて、フランスにはずいぶんむかしからLOTOという宝くじがある。
ある日アパートにもどると、奥から同居人が「ねえ、聞いてよー」と叫んでやってきた。
ラルフが”大当たり”を出したんだそうだ。
「おおそりゃあ、よかった」と軽くよろこんでたら、たいへん驚いたことに日本円にして1億円近くの金額だった。
来週末、セーヌに浮かぶ船を貸し切ってお祝いパーティを開くという。
パーティはドイツから呼び寄せた親戚や友人知人いりみだれ大盛況だった。
彼の母親が、「息子は辛抱してまじめに働いてきたのでその酬いがあったのだ」と泣いて挨拶したのが、失礼だけどおかしかった。
乾杯の音頭はラルフの兄ちゃんがとった。
紹介されて前に出てきたら何度かテレビで見たことあるお笑い芸人だったのでびっくりした。
実兄というのにぜんぜん似てなくて、わずかに残った後髪だけをポニーテールにした禿頭の下の顔は、古くなって捨てられた風呂場のマットみたいだった。
「いつ何時、彼らの面貌に違いが出始めたんだろう...?」
幼少の頃の二人並んだ写真を見てみたいなぁ、とそう強く思った。
そのあと高いシャンパン飲んでいい気分でいたら、日本の歌をと請われたので 「À bout de souffle!」と叫んで、ジュリーの「勝手にしやがれ」を歌った。
彼は、バーの仕事はとっととやめ、けっこう山盛りになっていた借金をさらっと返して、彼女にシャネルやヴィトンをどっさり贈って、ドイツの実家にまとまった送金して、おっきなメルセデスを手に入れた。
そうして最後にホンダのバイクを2台買い、バイクレースのチームをつくった。(知らなかったけど、かつてレーサーだったのだ!)
それで、「ははん、彼のほんとの居場所というのはサーキットを疾走するオートバイの背中だったのだな。」とひとり合点した。
それまで彼が乗ってたおんぼろフィアットは、ぼくがもらいうけることになった。
パリ市中を颯爽と駆け抜ける己が姿を想像し、うきうきとなった。
車をとりに行くと、彼らの郊外のうちは小さくみすぼらしかった。
大金あるんだからもっといいとこに引っ越せばいいのにさ、と思いながら中に入ると、金持ち連中がホテルの大部屋貸し切って乱痴気騒ぎやったみたいな散らかりようだった。
ソファーにふたつも女物のちっちゃな下着が脱ぎ捨てられててどきりとした。
車は、エンジンかけるにも、クラッチ踏むのでも、なんでもかんでもひとくせあって、そりゃあ運転しにくかった。
(今でさえ、ギアチェンジする時のコキンコキンしたシフトノブの感触が右手にしっかり残ってる)
しかも不慣れな左側走行でパリジャンの運転は傍若無人、さらには、車で出たはいいものの駐車する場所をさがすのに一苦労した。
(パリやベルギーではたいていが車は路上駐車)
車がないときは、行きたい時どこへでも地下鉄乗り継ぎささっと行って帰って来れたのが、ガソリン高いし、渋滞あるし、車持ったばかりに気苦労が多くなってしまった。
それで、だんだんと通りに置きっぱなしにして乗らなくなった。
廃車にしたり、貰い手さがすのは、ああ面倒だよなあと思ってたら、ある日駐車しといた場所に行って見るとそこには別の車が停めてあった。
ありがたいことに誰かが盗んでくれたのだ。
失って楽になった、よかったなぁと、しみじみ思った。
そしてもう一生、よほどのことがないかぎり車は所有しないことに決めた。
さて、そんなある日のこと、ラルフがディスコにまた舞い戻ってきた。
レースですっかりお金を使い果たしたそうで、何もかもすっからかんになり、またもとのバーテンダー生活に返ったのだ。
(お金、”運用”する道知らなかったのだ、ははは...)
グラマー彼女はというと、彼女はどこかに去って行ってしまっていた。
「よう、ひさしぶり、元気」と話しかけたら「おう、元気元気」と笑って返した。
肩にかかるほどだった髪がすっきり短かくなっていて、初めてその首筋が見えた。
そこだけ妙に線が細く華奢で、金色のうぶ毛がもにょもにょ波打っていた。
とても可愛らしくて、なでてやりたくなった。
いつもみたいにジンリッキーを頼むと、作りながら「ああ、そういえばフィアットどうした?」と聞いてきた。
「道に置いてたら盗まれちまった」って答えると、
「ありゃあー、知ってたらおれのメルセデス一台やるんだったのに、ざんねんだったな」と言うので、ギャハハハ...とふたり大笑いした。
今回の曲
豊田道倫with昆虫キッズ「ゴッホの手紙、オレの手紙」
豊田道倫「ギター」
ふたつとも、てっきり関根勤がふざけて誰かのまねをしてんだろうと思うかもしれませんが、豊田道倫が自分の歌を自分で真剣にうたってます。
azisaka : 21:09
道化師団
2011年11月18日

三年くらい前のこと、初夏の陽光降り注ぐ五月の長崎を飛びたち数年ぶりにベルギーへ舞い戻った。
降り立つとそこは案の定、まだ冬で灰色で寒かった。
天気がもうちょっとましであれば十年でも住めたものを、絵を描く者にとって光のとぼしい国はつらい。
当時は三年暮らすのがやっとだった。
着いて二日目、友人に誘われるまま馴染みのない行き先の路面電車に乗った。
ガタンゴトンという心地よい調べに身をゆだねてると、時差ぼけもあって、いったいここが長崎なのかブリュッセルなのかわからなくなってくる。
しかし、心地よくまどろんでる身体をつつかれ開いた目に映ったものは、三菱の造船所ではなく、シトロエンの自動車工場だった。
いつのまにか北部の工業地帯のはじっこまで来ていたのだ。
埃っぽい通りをいくつか越え、連れていかれたところは大型トラックが百台も詰まりそうな大倉庫だった。
入ると真ん中に青紫の大きなテントが張ってある。
ベルギーにはフランスの名高いNGO団体「国境なき医師団」の着想を模した「国境なき道化師団」というのがある。
今日はそのブリュッセルでの公演日なのだ。
彼らはこうやって”豊かな国”で稼いだ資金を元手に世界各地の”貧しい国”へと赴き、道化や手品を無料奉仕する。
医師は医療を、道化師は笑いや感動を、彼の地の人々に届けるのだ。
テントの周りでは入場を待つ人々が飲み物片手に談笑している。
みんな顔見知りみたいで和気あいあいとした雰囲気だ。
よく見ると集まって来た人たちには何とはなしに共通性があるように思える。
ヴィトンさげて香水臭い金持ち連中がいない代わり、目つきがするどく汗臭い貧乏人もいない。
白人が多くて、有色はぼくもふくめわずか。
一言でいうとエコロジストとかニューヒッピーとかそんな風に呼ぶのだろうか...
さっきからこちらに微笑みかけてるマダムなど、当の男の好物が鯨だと知ると金切り声をあげそうだ。
開演時間がせまり入場して席に着こうとしてしていたら、いきなり大きく重たい声で「ノン!ムッシュ!」と注意された。
何の事やら訳がわかんなかったが、どうやら神聖な場を踏みにじってしまったらしい。
それとは知らず、舞台代わりに敷かれたシートの上を歩いていたのだ。
「あんな真顔で怒らんでもいいのになあ...」
と思いながら腰掛けるとまもなく暗くなり拍手喝采。
スポットライトに照らされて大柄で銀の長髪、五十歳半ばの団長とおぼしき人物が出て来た。
パイロットみたいな耳掛けマイクをつけている。
ゆっくりと180度、18秒くらいかけて客席を見渡した後、両手を天に高らかに広げた。
そうして「我々は国境なき道化師団!」と自分らを紹介した。
非常に誇らしげだった。
そのあと長い挨拶が続いた。
やっと終わって、さあ演目が始まると思ったいたら垂れ幕が下りてきて、途上国で彼らとたわむれる子供たちの映像が流れ始めた。
一組の男女が現れ、それを背に団の歴史や活動内容、見せ物の普遍性とかについて熱っぽく語った。
彼らが退いた後、ガラスの玉をもった男の人がでてきて、その玉を操る芸をした。
ガラス玉は男の手から手へ、背中から足に、頭上に宙へと動き回り、まるで生きているようだった。
すばらしい芸で、その後の出し物に期待がもてた。
二番目に登場の三つ編みの女の人はフラフープを上手にまわしてみせた。
三番目の二人の道化師はコミックショーをやった。
帽子をつかって芸をする人や風船手品のムッシュも出てきた。
そのどれについても会場は驚くほど湧いていたが、ガラス玉以外はぼくにとってはあんまし面白くなく、見続けるのがしんどかった。
休憩がはいったので眠気覚ましに外へ出て倉庫の周りを散歩した。
そこは場所柄、移民や低所得者の居住地で、アラブやアフリカからやって来た人がカフェのテラスや歩道にたむろしていた。
すっかり暗くなっていたんだけれど、子供らも通りのあちこちでおしゃべりしたり、街灯の明かりでボール遊びしたりしている。
ふつうの家を開け放しただけみたいなカフェに入ってビールを注文した。
ぼく以外はみんなアラブ人だった。
傍らの男の足が臭いし、ざわざわ話し声がするんだけれど、なぜだか落ち着いた。
入り口のとこに、ついさっきまで見ていた公演のポスターが無造作に貼られている。
休憩の終わりを告げる友人からの電話が鳴るまで、グラス片手にぼおっとしていた。
ぼおっとしながら、「私は他人(ひと)のために良い事をしてる」と胸を張っている人を見るというのは、あんまし気分がよくないものだなあ、と思った。
今回の曲
asa feat.NOBU & RUMI「白地図」
まだベルギーに住んでた6年前くらい、友達から「ECDが絶賛してる若いラッパーがいる」というので取り寄せて聞いたのがRUMIの「Hell Me TIGHT」というCDだった。
ヒップホップなんてなじみがなく、ほとんど聞いた事なかったんだけど、これはとっても良かった。
それで、生まれてはじめてファンレター(メールだけど)というものをだした。
そしたら数日して、RUMIさんから丁寧で飾らぬ、すてきなお礼の返事をもらった。
雪の降る季節のことで、こころがポカポカになりうれしかった。
azisaka : 00:19
金物屋さん
2011年11月01日

長崎に住んでた3年くらい前のある日のこと、近くの画材屋さんで幸いにも、棚卸しのキャンバスを安く大量に譲ってもらった。
いえーい、よほほいとうかれつつ、よく見るとしかし裏面、布地のとこがみんなめくれてる。
それで、それを固定するための釘を買い求めようと数件先の金物屋に立ち寄った。
木造二階建てで日本が鎖国してた時代からあるような古い店だ。
入ると中はまるで金物でできた雑木林みたいだった。
四方八方から、柄杓(ひしゃく)や鎌やじょうろなんかが樹の枝みたいに突き出している。
中には錆びたものや袋がすっかり色褪せ文字が読めぬものもあり、果たして売ってるのかどうかさえ定かではない。
店は開いてるが商いしてる様子はないし、客が入ってきたというのに人の気配もない。
それでさっさと立ち去ろうとすると、金もの薮の中からぬっと黒い影がでてきた。
イタチかなにかと思ったら、くしゃくしゃで血色の悪いちっちゃなおじいさんだった。
「何かおさがしですか」とうつむいたまま顔も見ず細くかすれた声で聞くので、”小さな釘”だと答えた。
三秒半くらい反応がなかったので、もう一度言おうとしたら、「釘はこっちですばい」と言ってそろそろと歩き出した。
ついてくと奥の暗がりに傾いた棚があり、釘の入ったとおぼしき箱が無造作に並んでいる。
じいさんはよろよろ危なっかしげに箱を取り出すと、何通りか見せてくれた。
一番小さなものを選んだ。
勘定をすませようとした時、「こがん細(こま)かとば何に使うとですか?」とぼそぼそ独り言のように聞くので、手に提げてた袋の中のキャンバスを見せて説明した。
話し終わらぬうち、
「はあ、絵描きさんですかっ!」
いきなり大きな声を出すのでびっくりした。
見るとじいさん、マンガみたい、瞳に星がきらめいている。
そして口の中で三連水車が回ってるような、かたかたせわしい且つじんわりのどかな感じで話し始めた。
彼には生まれた時からずっといっしょに暮らす今春高三になる孫がひとりいるのだという。
その孫というのが、絵描きになるべく芸大をめざしているのだが、親をはじめ周囲はみんな反対してるのだそうだ。
けれども、自分だけは彼にはなかなか才能があると思っている。(なんとなれば、長年金物屋をやっており職人さんをたくさん見てきてるので、他人より少しばかり見る目がある)
それで、ひそかに(「見ての通りのおいぼれなので、大きな声じゃあ言えんですもんなぁ...」)彼のことを応援しているのだが、どうにもこうにも心配でならない。
とまあこんな訳なので、ひとつ兄さんあんたに、彼にはたして才能があるのかどうか見てもらいたいという。
唐突にそう言われて困ってしまったが、客が絵描きだと知るや、よぼよぼじいさんだったのが磨いた金(かな)だらいみたいにピカピカ生気をみなぎらせてにじり寄って来る。
それに圧倒されてしまった。
「たいした絵を描いてるわけじゃないですが、ぼくでよかったら」と生返事をした。
すると「しろうと絵描きは、そがんいっぱいカンバスは買わん!」といいながらさっさと店の奥に手招きをした。
住居に連なっているらしい。
じいさんの後について上がった家は古い町家で、中は昼なのに薄暗く、廊下だけが黒く鈍く光っていた。
そして、良いとも悪いともいえぬ、ただ単に懐かしい香りがした。
変なとこに段や出っ張りがあるのでそろりそろり注意しながら進んでいくと、暗闇をついて出てきたのは、別の世界だった。
本棚にはコミックと、けばけばしい色のミニチュアやプラモデル。
床には足の踏み場がないくらい雑誌やゲームソフトが散乱し、壁には知らないサッカー選手とアイドルのポスター。
汗と芳香剤の混じったいやな臭い。
絵に描いたような男若者の住処(すみか)だ。
「高校生の部屋に入るのって何年振りやろう,,,」その空間のあちこちからたちこめる青っぽさに頭がくらくらした。
くらくらしてると「これですばい」といって、最近美術教室でやったという石膏デッサンやクロッキーを取り出しぐいと差し出した。
ゆっくり丁寧に見ていく。
途中顔を上げると、少し離れたとこでじいさん正座している。
見て、はっとなった。
小さな身体のあちらこちらから、ここ十五年ばかりは奥に引っ込んでいたと思わしき”そわそわ”だとか”ドキドキ”といった感情が湧いて出て
うねって、じいちゃんを微かに震わしている。
ひととおり見終わった。
部屋の様子からして「じいさんにゃあ悪いがダメだコイツは..」と予想してたのとはうらはらに、どう見ても、ぼくなんかより上手だった。
びっくりした。
それで、そのように感じたままを告げた。
神妙に聞いてたじいさんは話しが終わるやいなや、一回大きく頭を垂れた。
”事切れたのかっ”って思うくらい見事な垂れ様だったので一瞬たじろいだ。
けれどすぐにその後、ひょっこり顔を上げ隙っ歯で微笑んだ。
そうして、「そうですかそうですか、ほお、そうですか、ほお、ほお、そがんですか...」と言いながら何度もうなずいていた。
青臭い部屋を出て、かび臭い暗闇を通り、錆くれた金物屋に裏の方からたどり着いて靴をはいた。
紐を結んでると、先に草履つっかけてニコニコ逆光の中突っ立ってたじいさんが「何かいっちょ持って行かんね」と松鶴家千とせみたいな身振りで言った。
(ここんとこ、わかりづらくてすまん)
はじめ何のことやらちんぷんかんぷんだったが、どうやら店のものを何かひとつプレゼントしたいらしい。
せっかくなんで、「じゃあ、これ」と言ってレジ近くにかけてあった灯油入れポンプを指差した。
すると、「千円くらいんとにしとかんね!」とどこか得意気にいった。
それで、金色の中くらいのヤカンをもらって帰った。
それから3年。
毎年季節が寒くなると仕事の合間、そのヤカンで湯をわかし、お茶を飲む。
お茶の熱さが、孫を語る時のじいさんの顔の火照(ほて)りを思い出させる。
情愛というものが自然に溢れ出てくる美しい様子がよみがえる。
今回の曲
Michael Nyman「Molly」
今の時期、お茶飲みながらM・ウィンターボトムの映画「ひかりのまち」のサントラを聞いてると、切なくなると同時になにやら不思議とやる気が湧いてくる。
あの映画はいい映画やった。
ときどきふっと、しとしと雨の寒い夜バスに乗る、そのためだけにロンドンに行きたくなる。
azisaka : 22:35
お知らせ
2011年10月26日

今暮らしてる福岡市は東区の箱崎で現代音楽の催し物があります。
今回は二回めでエリック・サティの特集です。
ご都合よければ皆さんぜひいらしてください。
詳しくは以下のサイトをごらんください。
サティといえば、6年前、福岡は天神のイタリア会館で個展をやった時のことを思い出す。
そのとき会場でずっとかけてたのが、現代版サティなんていわれたりするゴンザレスのCDだった。
名前も容姿も全然似てないんだけど...
azisaka : 12:30
野球と水泳
2011年10月22日

今回、ちょっと身上話ですみません。
幼い頃から祭り事が苦手で、文化祭や運動会が近づくと暗澹となった。
カウントダウンなどのイヴェントの類いも可能な限り避けつづけた。
ものづくりもスポーツも好きだが、みんなでやるとなると、とたんに楽しめなくなるのだ。
他人と同調したいという気持ちは人一倍強いと思うのだが、いざ隣の人間が自分ととおんなじ身振り手振りをしてるとなると、身体がそうするのを拒もうとする。
高校生になったとき、中学まで(皆がやるので)しぶしぶぎくしゃくやっていたソフトボールとおさらばして、部員わずかな水泳部に入った。
独りばしゃんと飛び込んで自由気ままにスイスイ泳ぐのがほんとうに気持ちよかった。
さて、数年前まだ長崎に住んでた時分のはなしだ。
友人に会うためひさしぶりに福岡へ行った。
日曜の天神(福岡の繁華街)は、まるでお祭りみたいな人混みだった。
やっとこさ約束場所に着いて、ほっと一息ついてると、携帯が鳴った。
友人、急用で2時間ほど遅れるという。
な、なんてこったい...
私事で恐縮だが、こんな風に少々まとまった時間が空いたら、どこであろうと迷わずプールへ行くことにしている。
それでたいてい遠出するときには、携帯の電話は忘れても水泳道具一式は携帯している。
東京でもパリでもバリでもウランバートルでもそうしてる。
(ウランバートルにはいったことないけど)
が、うかつにも今日に限って持って来てない。
それで、一式、新たに購入することにした。
知り合いが、天神の地下街に水泳用具の専門店ができたと言っていたのを思い出した。
案内板を頼りに、その店へと向かった。
わけなく着いた。
「ど、どひゃあああーっ」
着いたはいいが、びっくり仰天、小さなその店内や店のまわり、めっちゃくちゃな人だかりだ。
「ぬ、ぬぁんだあ、この大勢さんは....!」
バーゲンにしてもこの数は尋常ではない...
「あああ..なんと!」
見ると、店内奥の壁とショウウインドウの横に大きな画面があって、WBCの決勝戦、日本対キューバの9回裏が放送されている。
集まった100人くらいの人たちはみんな、日本のピッチャーがストライクとるたび一斉に大歓声だ。
「いつだっておれは”お祭りさわぎ”に行動をじゃまされる」
と、頭(こうべ)を垂れ苦笑いした。
野球がほんとうに好きなら、街に出てこないで、家でしっかり正座して気合いを入れて見ればいい。
あるいは、野球にあんまし興味がなくて、天神にショッピングに来てんのなら、買い物だけに集中すればいい。
この、中途半端な烏合の衆は一体なんなのだろう?と思った。
思ったが、そんなこと憤ってても時間がもったいないので、店内に押し入った。
人垣かき分け前進する。
場の空気を乱す乱入者に、ひとびとは眉をしかめる...
やっとこさどうにか男水着のコーナーにたどりついた。
が、あろうことかその場所は、ちょうど、野球中継映像の真下だった。
テレビ画面の下、それと同じ幅のハンガーラックがあって、そこにずらりメンズスイムウェアーが並んでいる。
何が悲しくて、100人の視線にさらされながら海パンを選ばなくてはならないんだろう...
しかも、「あー、見えなーい!」とか、「何ーっ、あの人ーっ!」とか、「ありゃあ、あの人イチローに似とらんかい?(時々何でか年寄りにだけそう云われる)」とか、罵声みたいなもの浴びながら、だ。
もちろん、(と、いうまでもなく、もちろん)その時買い物してるのはおれひとり。
一体全体どういうわけで、水泳道具屋さんで水泳道具を買う人間が、水泳道具屋で野球見てる人間にその行動をじゃまをされなければならないんだろう。
こっちはただ単に水着買って泳ぎに行きたいだけなのに...
そうぼやきながらも、くじけてはならんと吟味して、やっと自分サイズの素敵な柄を見つけた。
「うむ、これでよし」
と、ちょうどその時、ワアアアアアッと大歓声、続けてすっごい大拍手。
日本が勝ったらしい...
その時点で、「だめだ、これは」と、水着を買うのはあきらめることにした。
この轟々ざわめく人だかりの中から店員をさがしてたら、泳ぐ前からへたばってしまう。
運良く店員見つけたとしても「何だいあんたは!この感動をじゃまするなよ」と、迷惑がられるだけだろう。
抱き合ったり小躍りして、喜びを分かち合ってる人たちの波間をなんとか泳ぎきって店を脱出した。
そう、
もちろん誰がどう見ても、こんなとき水着買う男のほうが異常だ。
偏り屈折してんのはこちらのほうである。
それはよくわかる。
そりゃあ、自分の生まれ育った国のひとたちが活躍すんのはうれしい。
そして、その活躍に目を細める同胞達の姿を見るのも、きもちがいい。
でもそれがいったん、大勢で大声になったとたん、(心はいっしょに抱き合うことを欲していようと)
身体がどうしても彼から離れようとする。
クリスマスの晩に図書館で古今和歌集読みふけってたり、空港到着ロビーにダライ・ラマ出てくるのを尻目に、売店で土産物熱心に選んでたり、戦時中、敵国の音楽夢中に聞いてたりするひとたちなんかとも、ちょっぴり人間の質が似通っているのかもしんない。
「そら、あんた単なるあまのじゃくやろう!」
まあ、簡単に言うとそうかもしれない。
けど、繰り返すけど決して好き好んでそうあるわけではない。
そんな質(たち)なのだから仕方がないのだ。
小学校の3、4年の時だったろうか、部屋でマンガを読んでいた。
とっても面白くって夢中でページをめくっていた。
と、母が庭の方からおっきな声で呼ぶので、しょうがなくマンガ置いて出て行ってみた。
指差す方を見ると眼下の街の一角、もうもうと黒い煙が立っている。
「こうじ、火事よ!」
「うん...」
「なかな大きかよ!」
「うん...大きかねえ...」
そう言うと、とっとと部屋へもどってまたさっきの続きを読みはじめた。
そしたら母がすごい剣幕でやってきて、
「あんたーっ、なにたらたらやっとっとね、火事があっとるとよ!さっさと見に行かんねーっ!」
とどなった。
とっても、びっくりした。
(まあ母が声を荒げたのにはいろんな理由があったのだろうが...)
それで、「こういう時」には、きちんとおろおろやあたふたやそわそわをしなくちゃならないんだ、っていうのを学んだ。
以来、見せかけだけはできるだけ周りと歩調を合わせるようにこころがけている。
けど、もちろんそれは見せかけだけで、悲しいかな持って生まれた中身は変わろうはずがない。
あまのじゃくチックな難儀な性質は今もそのままつづいている。
それでけっこうしんどいことも時にはある。
でも一方、そのおかげで(おそらくは)人よりちょっとだけうまく絵が描け、こうしてどうにか生計をたてることができているのではなかろうかとも思う。
先日、個展やったとき取材を受けた。
インタビュアーの人から「あなたの絵は何が描いてあっても、見る人を突き放すような感じがしない」
と言われた。
「ああ。そうなのか」とたいへんうれしかった。
人と繋がりたい(でもうまくできない)という心が、無意識のうちに手からカンバスの上にこぼれ落ち、絵を比較的親密なものにするのかもしれない。なぁ、とそうと思った。
さて、ここで気っ風のいい詩をひとつ。
富岡多恵子 「身上話」
おやじもおふくろも
とりあげばあさんも
予想屋という予想屋は
みんな男の子だと賭けたので
どうしても女の子として胞衣をやぶった
すると
みんなが残念がったので
男の子になってやった
すると
みんながほめてくれたので
女の子になってやった
すると
みんながいじめるので
男の子になってやった
年頃になって
恋人が男の子なので
仕方なく女の子になった
すると
恋人の他のみんなが
女の子になったというので
恋人の他のものには
男の子になってやった
恋人にも残念なので
男の子になったら
一緒に寝ないというので
女の子になってやった
そのうち幾世紀かが済んでしまった
今度は
貧乏人が血の革命を起して
一片のパンだけで支配されていた
そこで中世の教会になった
愛だ愛だと
古着とおにぎりを横丁にくばって歩いた
そのうち幾世紀かが済んでしまった
今度は
神の国が来たと
金持と貧乏人が大の仲良しになっていた
そこで
自家用のヘリコプターでアジビラをまいた
そのうちに幾世紀かが済んでしまった
今度は
血の革命家連中が
さびた十字架にひざまずいていた
無秩序の中に秩序の火がみえた
そこで
穴ぐらの飲み屋で
バイロンやミュッセや
ヴィヨンやボードレールや
ヘミングウェイや黒ズボンの少女達と
カルタをしたり飲んだり
東洋の日本という国の
かの国独特のリベルタンとかについて
しみじみ議論した
そして
専ら愛の同時性とかについて
茶化し合った
おやじもおふくろも
とりあげばあさんも
みんな神童だというので
低能児であった
馬鹿者だというので
インテリとなり後の方に住家をつくった
体力をもてあましていた
後の方のインテリという
評判が高くなると
前に出て歩き出した
その歩道は
おやじとおふくろの歩道だった
あまのじゃくは当惑した
あまのじゃくの名誉にかけて煩悶した
そこで
立派な女の子になってやった
恋人には男の子になり
文句を言わせなかった
azisaka : 21:19
インディア・ソング
2011年10月18日

5年くらい前のこと、パリはサン・マルタン運河、北ホテルのはす向かいにある本屋さん付属のギャラリー(みたいなとこ)で個展をした。
30枚弱展示して7枚が売れた。買った人のほとんどが通りすがりの人だった。
けっして安い買い物というわけでないのに、展示場所がどこであろうが、知らぬ名前だろうが、気に入った作品は買い求める、っていうパリジャンのあり方にちょっと驚いた。
(一枚でも引き取り手が現れりゃあ幸いだと思ってた)
残った絵は、たたみ3分の2畳くらいある四角い布カバンに詰め込んで日本へ持ってかえることにした。
飛び立つ前日、レピュブリック広場の裏手の小さな安ホテルのベッドの上、四苦八苦してどうにか荷造りを終えた。
翌朝、パリとは思えないほど異様に蒸し暑い中、ゴロゴロでかい荷物を引いて駅へと向かって歩きはじめた。
すると間もなく雷鳴とどろき、すごい勢いで雨が降ってきた。
それで電車をあきらめ、仕方なく空港までタクシーで行くことにした。
パリでタクシーをひろうのは難しい。
雨ならなおさらだ。
身体をはってでも止めてやるぜと覚悟を決めた。
が、手をあげてると、ほどなくするするっと一台やってきてとまってくれた。
なんという幸い。
降りてきてトランク開けてくれた車の運転手は短パンに草履、野球帽を斜にかぶった小さな男だった。
同じ顔つきと肌の色、東洋人だ。
どしゃぶりが呼び寄せたのだろうか...
豪雨が町並みを消し去った車の中、バタバタと激しく屋根を打つ音を聞いてると、サイゴンかどっかで人力車に乗ってるような気がした。
走り出してすぐに、強くなまったフランス語が前方から聞こえてきた。
この湿り気に似つかわしい、インドシナ半島らへんのなまりだ。
彼はヴェトナム人だった...
パリへは知人を頼って十年前に来たらしい。
半年経ったころ同胞の集まりでラオスの娘と出会い、3カ月後には結婚した。
着いてしばらくはフランス語もままならず、さりとて語学学校へ行く余裕もなく、とても苦労したそうだ。
中華料理店で働きながらタクシー運転手をめざしたが、教官が何をいってるのかわからない上、無数にある通りの名を覚えきれず、何回も試験に落っこちた。
それでもやっとこさ受かり、仕事をはじめたけど、最初の3年くらいは道を聞き違えたり迷ったりと苦い経験がつづいた。
ぼくが同じアジアの人間だということだったのであろうが、彼のおしゃべりの主題はずっと、「フランス人はバカだ」というものだった。
よほど日々、腹に据えかねることがあるのだろう、空港に着くまでの一時間あまり、これ幸いと一方的にまくしたてた。
こちらはこちらで、程度の差あれ似たような印象もってたので、「うん、うん、そうそう、その通り!」と、相づちを打ちつづけた。
曰く、
あいつらはろくに身体動かさず口先ばかり達者なだけでたくさん稼いでる。
外見だけで人を判断するんで、短パンはいたアジア人なんて犬っころ同様の扱いだ。
道徳ってものがまったくなくって、小学生でタバコを吸い、人前で抱き合い、親を全然大切にしない。
慎み深さが皆無で、自己主張ばかり、常に自分が大将だ。
しかし、おれたちアジアの人間は違う。
慎み深く勤勉で親孝行、人間の本質を見る目をもっている。
実際彼は、仕事以外、フランス人と接することはほとんどないようだった。
家では母国語で会話し、友人もみな同郷のものたちだ。
「もし、自分の国で仕事があり、家族を養って生きていけるのであれば、こんなとこにいる必要などこれっぽっちもないのだが」としみじみ言った。
どしゃぶりの高速道路。時に身振り手振り、時にふり返りながら話すので、ひじょうに危なっかしかった。
幾度もひやっとした。
けれどそのスピードと大声とはうらはらに、車内は奇妙な親密さで満たされていて、「いっしょに死ぬ相手としては、そう悪いほうではないよなあ」などと思ったりした。
そうこうしていると空港が見えてきた。
すると最後、ふと我に返るように彼がぽつんとつぶやいた。
「でもフランスは何だかんだいっても大したものだ...だって外国人に仕事を与えてくれる。」
「おれたち望んでも、日本では働けないもの...」
azisaka : 20:50
ペンネーム
2011年10月12日

高校時代、在籍してた水泳部は弱小で部員も少なく、一つ上の先輩は男女各1名だけだった。
女の先輩は器量も性格も部に不釣り合いなほど良かったが、一方、主将である男の方は、姿はずんぐりむっくり、性格は妙ちくりんだった。
みんなブランド物のスニーカーなのに彼だけ購買部で買った運動靴(しかもマジックで自分の名前を書いていた)で、校則通りのストレートズボンを履き、頭は丸坊主だった。
そんな風に我が道を行くひとであったが、その反映かいつも虚勢をはっていた。
”潜水で50m泳ぐのは困難”と誰かが言えば、精一杯無理してそれをやって見せ、ぜえぜえ言いながらも”あーん、調子良かったらまだあと25mはいけるばい!”とうそぶき、世界文学の有名どころはほとんど読んだと豪語し、どう見ても童貞なのに”女というものはなぁ”とどこかで読んだ性的な話を後輩に得意げに語った。
まったくもって自分を飾ること能わざるの、愚朴で、野っ原の土塊みたいな人間だった。
ある日のこと部員の誰かが、まったくの冗談で「先輩たち2人はつきあってるんですか?」彼に聞いた。
真に受けた彼は赤面してうつむくと、「ははははは、おまえらにゃあそう見えるかもしれんが、俺たちは何もなかとばい」と甲高く言いいながら、額の上で何回も手を振った。
女の先輩にいかした彼氏がいることを学校中で彼だけが知らなかった。
高総体が終わり、2人の先輩の送別会が顧問の先生の下宿で行われた。
ワイン(その先生が葡萄酒党だったので)がたくさんでた。
先輩は「俺はいつも親父の焼酎ばくすねて飲みよっけん、これなんかジュースのごたる」といいながら注がれるまま(そうじゃなけりゃあ自分で勝手に注いで)ごくごく飲んでた。
そうしてみんなチェッカーズだとか松田聖子のはずんだ歌なのに、彼だけが長渕剛の誰も知らない暗い曲(”堕ちてきた~堕ちてきた~”っていうやつ)を絶唱した。
夜が暮れ宴の終わり、最後に別れのエールをすることになった。
部員全員で肩を組み円陣をつくり、最初に主将の彼が「佐南(佐世保南高校の略)ーっ!」と叫んだ後、「ファイト!」「オーッ!」と全員で叫ぶのだ。
広間の畳の上、真ん中に円陣を組んだ。
みんな感無量で涙目だ。
先輩がひとりずつゆっくりと皆の顔を見回す。
そして一回、目を強く閉じると一転カッと見開き、「じゃあいくぞおまえら」と静かに言った。
つづいて、どでかい声で「佐、南~!」
ゲボゲボゲボボボボボーッ...
彼は叫ぶと同時に円陣の真ん中、畳の上に今まで飲み食いしたものを全部吐いてしまった。
酔った眼に、それはスローモーションで落ちてくる無数のガラス玉に見えた。
キラキラと輝いて、ほんとうにきれいだった。
彼は高校3年間の虚勢を全部そこに吐き出したのだった。
気付くと女子部員たちが汚物を手ですくっていた。
この先輩の名がアジサカである。
ぼくの本名は別にある。
イラストレーターとして食べていこうと思った時、この彼の名をつかうことにした。
azisaka : 07:14
お知らせ
2011年10月03日

イラスト描いてる友達が古いマンションの一室でひそやかにギャラリーをやっています。
今週末からちょっとの間そこで行われる企画展に参加することになりました。
期間は2011年10月8日(土)~23日(日)で、
期間中の土日月曜日開催です。
「少女採集」(ちょっとどきっとしますけど)というテーマということで、そんな感じがしないでもない絵を6枚展示販売いたします。
どんなんかといいますと、上に添付したみたいなもので、サイズはすべてF4(33X24)です。
さて、アンニュイな少女の絵ばかり描いてるそこの主人ですが、作品とはうらはらに、メガネとお笑い好きのひょうきんな女性です。
場所が若干わかりづらいですが、どうぞみなさん気軽に立ち寄ってみてください。
詳細は以下のサイトをご覧ください。
azisaka : 18:54
まなざし
2011年10月01日

「あずみ」っていうマンガがある。
主人公の女の子らは生まれた時から人里離れた山奥で共同生活、
忍術や武術、剣術なんかの特訓をひたすら受ける。
そしてしかるべき年齢になったとき山を下り、殺しを命じられるのだが、敵が相当な使い手なのにもかかわらず、あっけなく斬り殺してしまう。
山の中の閉じた世界、その忍術仲間の内においては、獣よりも素早く駆けたり、飛んでくる矢を紙一重でかわしたり、猪を一刀両断にしたりするのは、他のどの仲間でもできるごく普通の当然のことだった。
しかし、そこから一歩出てみたらそれは人間離れした特別な能力で、対する剣客の動きがやたらとのろい。
まるでスローモーションでも見ているようなのだ。
自分の強さはごく当たり前と思っているので、相対した敵の弱さのほどに主人公のあずみはただただあきれ驚いてしまう。そのくだりが面白い。
さて、むろん、彼女らなんかとはまるっきり桁が違うのだけれど、ちょっぴり似たような経験がある。
大学に進学し、中国拳法の部活をはじめて間もなくの頃だ。
他の連中はほとんどが武術は未経験だったけど、こちらは中高あわせて5年間、週末だけとはいえ空手の道場に通っていた。
そこではまあ、強くもなけりゃあ、かといって負けてばかりというわけでもない、普通の空手やってる兄ちゃんだった。
しかし、大学の部活ではけっこう強い兄ちゃんになっていたのだ。
寸止めではなくグローブはめて実際に殴っていい、ってのが性に合っていたのかもしれないが、とにかく楽に勝ててしまう。
パンチパーマのケンカでならしたというやつ(なんでこんな輩が国立大学に通るのか不思議だったけど)も、見た目は非常に怖いが、組み手やると突き蹴りはぜんぜんしょぼくって、その弱さ加減にびっくりした。
そんなわけなので、さしてまじめに練習したわけでもないんだけど、最初の大きな大会(つまり新人戦)は一回戦、二回戦と勝ち上がり、いつのまにやら準決勝まで勝ち上っていた。
「ほう、これは優勝するかな...」とちょっとだけ思った。
それで「よっしゃあ」といつになく気合いを入れて試合に臨んだ。
ところが、「おりゃーっ」と放った拳はいとも簡単にかわされ、代わりに見たこともない早さでパンチが飛んできた。
しかも重い。
ズバーン。
なんだあこりゃあ!?いってえーっ、頭ぐらぐらやん、ひゃあ!
と、あっけにとられてるうち、さらにズバーン。
たちまち2本とられあえなく敗退。
後で聞くとそいつは高校時代ボクシングで鳴らした強者だった。
まるっきり格が違ったのだ。
まあ、それでも三位決定戦には勝ち入賞を果たしたので、その後しばらくはクラスや同郷の仲間内ではちょっとしたヒーローだった。
しかし良かったのはそれっきり。
その後ずっと華々しいものはなかった。
せいぜいが小さな大会で2、3回勝ち、準々決勝に進むくらい。
高校までの武道貯金はすぐに使い果たしたし、大学での生活に慣れ夜のバイトをはじめ、練習あんまりまじめにやんなくなったからだ。
さて、そんな風に生きてたら若い3年間なんてのはすぐに過ぎ、大学最後の大きな大会が数ヶ月後に迫ってきた。
するとなぜだか無性に、このまま卒業してしまうのは良くない、という思いが強く湧きあがってきた。
一花咲かせなければ、いろんなものに対して申し訳がたたない。
いろんなものって何やねん?っていうと、かつて通ってた道場の先生や、生んでくれた親や、お天道様とか、そんなもんだ。
その頃、部の実権はとうに後輩に移って半分引退の身であったし、卒論や就職活動で忙しい時期だったので、部活には行っても行かなくてもよかった。
けど、そんなわけ(申し訳がたたぬ身の上)なので他の部員が不思議がる中、毎日真剣に練習した。
部活のない日は自主特訓と謳い裏山を走り込んだ。
”別に誰かに頼まれたわけでもないのに、勝手に自分を追い込み、ただひとつのことだけにひたすら打ち込む”のが非常に心地いい!
ってのはこれはかつてむさぼり読んだスポ根マンガ、とりわけ梶原一騎の強い影響だ。(たぶん)
人生の端々でちょこっとは生活を”ジョー化”しないことには生きているという実感がわかないのだ。
だんだんと、なまってた身体がひきしまり、心身が野性的になってくるのがわかった。
そうこうするうち日は流れ、最後の大会がやってきた。
身体がとっても軽い。
なんにしても同じだと思うんだけど、調子がいい時っていうのは、その実感があまりないもんだ。
つまりうまくやってるときには、うまくやってるというという意識がない。
事に当たって計画だとか戦略だとかをたてる前から身体が勝手に動いて、気がついた時にはすでに事は終わってしまっている。
したがって、自分でやったっていうより、誰かにやってもらったみたいな感じで、充実感はあんまし得られない。
たとえば、ふと顔を上げたら、眼前にいつの間にか素敵な絵が出来あがっていたりとか(時々ある)、はっと気がついたら想っていた女の子が隣で眠っていたりとか
(ほとんどない...)
さて、その時、つまり先ほど話してた大学最後の大きな組み手の大会の時は、すぅーごーっく!調子がよかった。
したがって、(笑っちゃうけど)はっとわれに返ったら決勝戦の舞台に立っていた。
いつの間にやら4、5人に勝っていたというわけだ。
(なんとその中には驚いたことに、その頃負け知らずの現主将の後輩や、よく練習試合やる隣の大学随一の猛者なんかもいた。)
でもって今、対峙してんのは、なんと伝説のあの人だった。
学生時代、無敗の天才として九州中にその名を馳せた人だ。
かつて彼のライバルといわれた人で、うちの部にときどき指導にやってくる、これまた名うてのすさまじく強い先輩がいるのだが、
その先輩といえど、ただの一度も彼に勝てなかった。
今は社会人になってるそんなレジェンドな人が、なんでまたこの大会に出てるのか不思議だったんだけど、彼には彼の理由があったのだろう。
むろん、彼が出場すると決まった時点でその優勝は約束されてんのと同じだった。
さて、伝説の彼の、そのライバルであった先輩とは何度か拳を交えていた。
交えたっていうか、あんまり桁外れに強いので、交える以前にたちまち突き蹴り入れられて完敗した。
そんな先輩より彼は数段強いっていうんだから、あれこれ考えてもまあ無駄なことだろう。
第一、目の前に立つそのたたずまいの、深い森のような静けさが「ここは頭を使うとこではありません」ってこちらに告げているではないか。
頭を閉め、こころをすっかり身体にゆだねる。
”はじめ”のかけ声があがる。
それとともに、すーっと前に出て行く。
気負いなんてものはなく、無防備でふてぶてしいことこの上ない。
皇室に招かれて、やおらパンツ一丁、縁側に寝そべって池のでかい錦鯉見ながらアイス食べ食べマンガ読んでるみたいだ。
スパーン!と伝説男の左の胴、きれいに蹴りがはいった。
さして重くはなく、実践であるならば痛手なんてのはほとんどなかろう...
が、タイミングが良かった。
審判は三人とも即座に旗をあげ、一本となった。
会場はみんなびっくり仰天、すさまじい歓声。
伝説は「あれ?こんなので一本?」と少し眉をあげ、驚いた風な顔をした。
が、それももつかの間、その眉間のとこが、ぴかーんと輝いた。
わあ、本気になったのだ。
すっと、構え直すのだが、ほうとため息をもらすほど、かっちょいい。
今まで実際に対峙したことのある立ち姿の中で、最も美しいものだった。
見とれていたら、左の脇腹のとこが、ちょこっとだけむずっとした。
そのむずっとしたところが、相手の右足をすさまじく大きな吸引力で引き寄せる。
びゅううううううーっ!
ど、す、ん!
それは明らかに、部活で武道やってる学生の蹴りではなく、武道家の蹴りだった。
胴を巻いておらねば、あばらが数本折れていたであろう気がした。
ほわあ、こんな人、こんな世界もあるのだなぁ、とすっかりぼんやり夢心地になった。
そうやってて数十秒たち夢からさめると、伝説の男がさらに一本とって勝ち名乗りをあげているところだった。
閉じてた耳が開き、そこに拍手が鳴り響く。
わあーっ!
拍手はこちらに向けられたものが多いような気がした。
なぜなら、聞いたこともないやつが決勝まで勝ち上がり、さらには伝説の男から、へなちょこ蹴りだとしても一本とったからだ。
と、前置きがずいぶん長くなってしまったが、以上はちょっと格好つけた自慢話で、別にあえて語るほどのことでもない。
語りたかったのは以下のことである。
勝っても顔色一つ変えぬ伝説男と主審に礼をして自分の大学が陣取ってる場所へもどると、拍手と歓声が出迎えてくれた。
ふうと、腰を下ろし気がつくと汗びっしょり。思わず声が漏れた。
「誰かタオル...」
するとすぐさま、斜め前から「押忍!」といってタオルが差し出された。
差し出した男の、その瞳を見てびっくりした...
彼は同じ大学の人間ではない。時々練習試合をする近くの私立大学の2年か3年で、何となく顔を覚えてる程度の目立たぬ存在だ。
その彼が向けるまなざしの質が、それまで経験したことのないものであった。
それが、たいへん好意的なものであるというのはわかった。
しかしそれは、お乳飲ませてくれる母の目でもなければ、チョコレート渡す女の子の眼でも、口づけ交わす恋人の瞳でもなかった。
ああ、これは”尊敬”のまなざしだ!
生まれてはじめて向けられる、「あなたは、ほんとうに立派です、すごいです!」という声明だ。
彼の瞳にはいっさいの曇りなくガラス玉のようにピッカピカで、
ほんとの真心だけから生じる光を放っている。
まったくもって信ずるに値するものなので、その輝きが望むのであれば、たいていの規則は犯すことができるであろうし、己が腕の一本や二本くれてやってもまったく惜しくはないという心地がした。
あるいは、その輝きのエネルギーによってどんなことでもできそうな気がした...
さて、それから二十数年が経つ。
不思議なはなしだが、四年間の大学生活の中でもっとも繰り返し思い出されるのは、というより絶えず身近にあり、ときおり強く感じるのは、
他でもないこの名も知らぬひとりの青年の、一回限りのまなざしだ。
例えば、パリ暮らしの時代、貧しい身なりの黄色いアジア人というので邪険に扱われた時、福岡へ帰ったもののイラスト仕事がなく途方にくれてしまった時、ベルギーに住み始めたけれど人付き合いがいやになり孤立した時、自信をなくし冷えた心を暖めてくれたのは、
他ならぬ彼の瞳に灯るあかり、つまり”こんな自分でもかつて一度はたしかに人に尊敬されたことがある”という経験の小さな輝きであった。
そしてまた、それ以上に驚くべきことには、絵を描きはじめてしばらくしてからは、彼のそのまなざしが、最も信頼のおける批評家となったことだ。
どういうことかというと...
大学出てバイトしながら絵ばっかりひたすら描いてたら、しだいに、他の絵描きのことは気にならなくなってきた。
どのみち自分よりはるかに優れてるので、比べてみたって己のふがいなさに嘆くだけだし、あんまし為にはならないからだ。
さらにはだんだんと他人の評価というのもそれほど大切なものではなくなってきた。
問題は自分だ、他人は関係ない、と思うようになった。
周りがどうであろうと、自分が充分に力を尽くしたと納得したならそれでよい。
そうしてできた作品の横に並べて比較するとするならば、それはただ唯一、自分の過去の作品だ。
今描き上がったものが、昨日描いたものよりもちょっとでも良くなっている、と、そう自分が思えばそれでいいんだ。
(以上、大仰な言い回しで恐縮です。)
ところがしかし、それだけでは、何かが足りない...
”自分”だけではなんだか不十分なのだ。
自分以外の別の何かが”良し”と言ってくれないことには、納得し先へ進むことができない。
その”何か”に、彼のまなざしがなったのである。
つまり、「うむ、今日はけっこういい絵が描けた」と筆を置くとする。
その時、ほんとうに力を尽くし良くやったのであれば必ずや彼が登場し「押忍!」と言ってあのまなざしを向け、タオルを差し出す。
しかし、自分が良くやったと思ってても、実際に(どんな実際かまったく謎だけど...)そうでなけりゃあ、彼は現れない。
このように、自分以外のもので、現実にはいないのにもかかわらず、その行いを、何がしか尊いものとして承認してくれる存在、そんなものに、もはや彼と、その瞳はなっちまったのである。
ひゃあ、びっくりだ...
先に話した最後の大会の時、その時は、誰がどう見たって主人公は準優勝した人間の方で、2回戦かそこらで敗退しタオル差し出した人間の方ではない。
しかし、その後の人生ではなんとすっかり立場は大逆転してしまった。
タオルは、準優勝のことなどすっかり忘れ去ってしまっているだろうが、準優勝にとってタオルは今や、その生活を時に励まし、時に律する、輝けるヒーローみたいな存在となっている。
まったく人の世のしくみというのはちんぷんかんぷんだ。
彼は、映画とか小説とかそいうった芸術作品をつくったわけでもなければ、講演や論文で自説を説いたわけでもない。
もちろん権勢を笠に大きな声で命令したわけではさらさらない。
他人を一度、ほんとうに敬っただけである。
人を動かすには、真心から生じた敬意のまなざしを向ける、ただそれだけで事足りる。
他の人はどうか知らないけど、少なくとも、ぼくの経験はそう物語っている。
と、書いて、けっこう満足して筆を置く。
「押忍!」と言って彼がタオル差し出す。
おお、やったーっ!
でも、彼について書いたものだからなあ、点数が甘いのは当然やもんね...
今回の曲
小川美潮「夜店の男」
パリに暮らしてた頃、ベルヴィルっていう移民街のぼろアパート、中庭挟んだはす向かいの住人はファンキー野郎だった。
しょっちゅうバカでかい音で、J.Bやスライやパーラメントを聞いていた。
それに対抗して負けじと大音量で聞いてたのが、ちょうどその頃友人に送ってもらった小川美潮のCDです。
パリを舞台に日米戦!(笑)
なので、この曲聞くと、なんでか屋根裏の窓からほんのすこし見えるモンマルトルの丘のことを思い出す。
彼女の歌声はあの街の長い夕暮れによく似合ってた。
azisaka : 22:44
お知らせ
2011年09月27日

みなさん、こんにちは。
先週末、夏の個展が終了いたしました。
お越しいただいた方々、手助けしてくださった方々、ほんとうにありがとうございました。
けっこう評判がよかったので、今回展示の作品に3、40枚ほど関連した小さな作品を加え、
一年後くらいに東京あたりで個展が開ければいいなあと思っています。
ところで今週の金曜日、一日だけですが、福岡は天神にありますソラリア一階のゼファという
会場でおこなわれるグループ展に参加いたします。
先の個展の間に描いたF30号のアクリル画の新作(上に添付した画像のやつです)を一点だけですが展示いたします。
合わせて、このアクリル画とおなじモチーフをPCイラストで描いたものをプリントしたオリジナルTシャツの販売もする予定です。
SとXSの2サイズ、色はホットピンク、サムライブルー、杢グレーの3色です。
なかなかいかした感じで、秋の澄んだ空にお似合いです。
もしその日たまたまお近くにお越しの際には、ふらり寄ってみてください。
azisaka : 13:19
絵箱店終了等のお知らせ
2011年09月04日

みなさん、こんにちは。
去年の秋より一年と期間を定めてやってまいりました絵箱店ですが、その一年が過ぎましたので先日、お店を閉じました。
わざわざお越しいただいた方、さらにはお買い上げいただいた方、ほんとうにありがとうございました。
たまたま作り始めた絵箱ですが、やってるとけっこう楽しいので、お店はなくなりましたがこれからもぼちぼち作り続けていくつもりです。
とりあえずは今残ってるものに新作を付け加え、30点くらいにして冬くらいにどこかで出張絵箱店を開ければいいなと考えています。
そんなわけですので「おいらの町にも来ておくんなよう!」「私の島にもおいでくださいな」とちょっとでもお思いの方は気が向いたらメールください。
一方、現在開催中の新作絵画の個展についてですが、展示作品を素材としたトートバックやTシャツ、ポストカードや缶バッジなどの販売もおこなっています。
意外と素敵ですのでここはひとつ奮発して一式揃えてみてはいかがでしょう。
と、手前勝手な連絡のみの文章ですみません。
azisaka : 13:55
個展のお知らせ
2011年06月28日

「おれはゲーテなんだ。おれの学問には体系はない。おれは窮屈なシステムなんか持っていない。しかしあらゆることに共鳴する豊かな感情を持っている。」北一輝
夏の終わりに3年ぶりの新作展をおこないます。さぼっていたわけでは決してないのですが、自他ともにいろいろあってこのような運びとなりました。冒頭、大仰にかかげた文章は、今回展示の作品を描いてる間中、ずっと懐に抱いていた言葉です。ゲーテのことも北さんのこともたいして知ってるわけではないのですが、絵を描き進める時の足場として、とってもしっくりいったもんですから、この言葉を役に立たせていただきました。
展示作品は2008年冬から2011年の春にかけてイラスト仕事の合間にせっせと描きためたアクリル画です。
最初一つ描いて、あとはしりとりみたいに、繋げて描いていきました。
結局、F30号(73X91cm)の大きさのものが24枚仕上がって、繋げると20メートルくらいの大きな作品になりました。
個展のタイトル『自治区ドクロディア』というのは、全部描き終わった後、数日してふいにひらめいたものです。
展示して見ていただく絵は、個展というものを始めた当初からいつもそうなのですが、描かれているものはどうであれ、日々の生活から生まれたものです。いわば絵日記みたいなものといってもいいかもしれません。
そんなわけですので、見る人も、それぞれ自分の生き方にもとづいて好き勝手に見ていただけるとうれしいです。(ちょっと、大げさですけど...)
会期中、金曜と土曜の午後は会場におりますので、「よう!」と気軽に声をかけてください。
今回も、いつものようにチラシやポスターのデザインは押見保やん、写真は牧野マッキー、展示空間は坂崎隆ちゃんにおねがいしました。
個展の初日にはオープニングパーティがあります、けっこうおいしいワインとかがあります。みなさん気軽にいらしてください。
そいでもって、その後には、ライブがあります。
ライブはツジコノリコ姉さまに歌っていただくことになりました。かなり、いいです。
個展の詳細は以下!
会期:8月27日(土)~9月24日(土)
開館時間 火〜金 10:00-13:00/14:00-19:00 土 10:00-13:00/14:00-18:00(日祝月は休館)
場所:九州日仏学館5Fギャラリー
福岡市中央区大名 2-12-6ビル F Tel:092-712-0904 http//:www.ifj-kyushu.org地下鉄赤坂駅
3番出口を出てすぐカステラ本舗福砂屋さんがあるビルの 5階
オープニングパーティー:8月27日(土)18 :00-20:00 入場無料
オープニング特別企画ツジコノリコライブ
日時:8月27日(土) 20:00 九州日仏学館多目的ホール
料金(ワンドリンク付):一般前売 2,500円 学館生前売 2,000円 当日 3,000円
チケット販売・お問い合わせ:九州日仏学館 Tel :092-712-0904
ツジコノリコは、フランスを拠点に活動しているミュージシャンです。
今までソロをはじめ、エレクトロニカで名を馳せるピーター・リーバーク、青木孝允、イギリスのローランス等とのコラボレーションでアルバムを作っています。
そのほか、映画やダンス、アニメーションの音楽も数多く手がけていて、そのオリジナリティ溢れる音楽は、国際的に高い評価を得ています。
ライブはとってもいいと思います。手前勝手な言い方で恐縮なのですが、そんなに会場が広くないので、チケット、ばばっと早めに買っといたほうが、無難だと察します。
http://tujikonoriko.com/
azisaka : 22:23
首
2011年06月01日

みなさんご存知のように、にがつ如月というのははひじょうにすばやい。
脱兎のごとく、瞬きする間に眼前を駆け抜ける。
毎年何も手につかぬまましてやられるので、今年は用心してなまけ心をおこさず、家にこもって黙々と絵を描いた。
その甲斐あってさんがつ弥生ねえさんが、レモン色の薄手のカーディガン着て「一緒にたけのこ掘りに行きません?」ってやってくる前に、2年がかりのおっきな作品(24枚の連作)を仕上げることができた。
ブラボーだ、よくやったぞ。
あとは、春の間のんびりと連載のイラスト仕事こなしたり、個展の会場やオープニングで歌ってくれる人なんかをさがしつつ、ちょっと高いブルゴーニュの赤とか飲みながら、一枚一枚取り出してはうきうきとタイトルをつけていくのだ。
ああ、安くんぞこれ以上の幸せがあろうか、いやない。
と、いうようにいささか浮かれていたら、地震と津波がやってきた。
九州に暮らしてるので直接ではないが、やってきた。
3月いっぱい、ぼうっとしていた。
4月になったらずいぶん前からチケット買ってたので父とふたりベルギーへ行った。
しばらくいて帰って来て、たまってたイラスト仕事を時差ボケ頭でぬめっとやって、ふうってけっこう重たい溜め息をついた。
その後、おお、そうだった絵のタイトルをつけようと、押し入れから絵を取り出して並べてみた。
見てみたら、まあ、ちょっぴり予想はしてたんだけど、まるっきりだめだった。
だめになってしまっていた。
「は?いきなり、そう言われてもなんのことやら、わかりませんよーっ私たち」って皆さんおっしゃるに違いない。
それはもっともなので説明をします。
二年と半年くらい前、一枚の絵を描いた。
近未来の高速道路みたいなとこを、二人乗りの車ともオートバイともつかぬ一台が疾走してるっていうものだ。
座席には、あんまり幸せそうではない男女が座ってる。
さて、その絵を描いてしばらくしたら、ある朝ふいに、この道路の先を描いてみたくなった。
いったい彼らの行く手にはどんな風景が広がってるんだろうか、と興味が湧いたからだ。
それで、左側に同じ大きさのキャンバスを置き、道を繋げ、心の向くまま別の登場人物や背景のビルを描いた。
これがやってみるとなかなか楽しかった。
それと同時に苦労も多く、得るものも大きかった。したがって、しばらくの間続けてみることにした。
一枚描いたら、また次の一枚、それが終わるとまた新しいやつ、という具合だ。
他の仕事もやりながらなので、だいたい一枚にひと月くらいかかった。
その時々の心や身体や周囲の状況によって描きたいものを、しりとりみたいに描いていく。
今描いてる最中の絵の先ににどんな絵がくるのかは、今の絵が終わってみなけりゃあわからない。
テーマや伝えたいものが明確にあってそれに従って描いていくわけではない、従うと言えばただ、筆をもったその時々の正直な感情だ。
そういう風に描いてったので、道はずっと続いており、それなりの統一感はあるものの、一枚一枚の雰囲気が異なっている。
限りなくモノトーンに近い墨絵のようなものもあるかと思えば、色彩豊富なまるで縁日みたいなやつもある。
湿った感じのもあれば乾いたやつもあるし、人が少なく寂しいものが2、3枚続いたかと思うと唐突にたくさんの人が登場しにぎやかになったりする。
描いてる時には意識なんてしなかったけど、後から見ると不思議なことに、人と別れたり失恋して悲しい時にはにぎやかな絵、満ち足りて幸せな時にはモノクロで硬質な画面になっている。
ううむ、自分で言うのもなんだが奥が深いぜ。
まあ、とにかく一枚一枚ががてんでばらばらで、独立した小さな世界が、数本の道を介しなんとなく繋がっているという趣だ。
そんなわけなので、これを大きな一枚の絵として見れないことはないけれど、申し訳ないがそうしたときの完成度は低い。
きちんとした作品(商品)とする気持ちがあったのなら、ぱきっと一貫したリズムやメロディを奏でておかなくちゃならないのだろうが、それらをないがしろにしてでも即興演奏をやりたかった。
しかし同じ人間の手からでてきたものだから、その人特有のこころの響き、ハーモニーみたいなものは終始あるはずだ。
そのおかげでなんとかぎりぎりセーフ、一枚の大きな絵としてだって成り立つだろう。(たぶん)
おおっと、前置きがたらたらたいそう長くなっちまったぜ、すまん。
さて、そのように、その時々の”今”に誠実に(ちょっと大げさだけど)描いていった24枚なのだが、それを”今”見ると、どうにも良くないのだ。
なかんずく、描かれたほとんどの人の顔がだめになってしまった。
こういうことは、7年も8年もむかしに描いた絵を取り出してみるときにはちょくちょくあるのだけど、わずか1、2年前、それどころか数ヶ月前に描いたものさえも唐突に力を失ってしまった。
3月を境に。
去年描いた笑顔は今の笑顔ではないし、二月の悲しい顔は今の悲しい顔ではない。
おどけた顔、夢見る顔、無表情もおんなじだ、以前のものはずいぶんと古くなってしまった。
描きなおさなくちゃならないな...
情けないが、宮崎駿が製作中の新作について「震災の前と後とで内容が変わるようなことは一切ない」とコメントしてたのとは大違いだ。
(比べたりしてすまん、駿ファン...)
それで身勝手なことこの上ないが、人物の首から上だけ、あらかた描き直すことにした。
手始めに、もっともしっくりこない頭を下地塗り用の白絵の具で塗りつぶし、乾いたらその上にまた絵の具をのせていった。
が、絵の具がうまくのっかんない。
そりゃあそうだ。今となってはしっくりこないその頭も、それを描いた時には精一杯苦心して絵の具を何度も塗り重ねてる。
その上にさらに下地剤を塗ったものだから、キャンバスの目がすっかりつぶれてしまったのだ。
もちろん、描いて描けぬことはない。が、細部の表現はままならなくて単純な表現になってしまう。
つまり頭部だけがルオーが描いたみたい(たとえにつかってはなはだ恐縮だけど)になる。
これでは身体は井上雄彦だが頭は赤塚不二夫みたいな人物ができあがってしまう。
それじゃあ、いくらなんでも変過ぎだ。(それも時には良かろうが...)
うう、どうしたものか...と頭を抱えこんでしまおうとしたとたん、ああそうだ、こんな風に困っているのは世の中おれひとりではないはずだ、きっと苦難を同じくする仲間がいるに違いない、ということに気がついた。
そこでこういう時こそ便利なインターネットで探したら、「アクリル絵の具剥離剤」なるものが見つかった。アクリル用の液体消しゴムだ。
鉛筆は手にしたとたん消しゴムがついてくるが、アクリル絵の具は手にしてから四半世紀くらいたってようやく消しゴムの登場だ。
(他の人はもっと早い時期と察するけど...独学なので仕方ない)
さっそく画材屋さんから買って帰りキャップを回すととっても強いシンナーみたいな匂いがした。
窓をちゃんと開けとかないと自分の頭が消されてしまいそうだ。
ためしに、画中のひとりを選んでその頭の上にぽたぽた剥離剤を垂らし、布でこすったら、べろっとあっけなくはがれ落ちた。
液が飛び散ったとこもまだらにはがれてしまった。
この感じ、どっかで経験したことあるよなと思ったら、陽に焼けた皮膚を剥がすのによく似ていた。
さらに、跡形もなく引き剥がされる様は、まるで津波のようだとも思った。
そこだけが、瞬きする間もなく何もない真っ白な場所になってしまう。
画面の中、道の上にうごめくひとびとのその首を次から次に手当たり次第、液体ギロチンで刈っていった。
刈ってはまた新たに首を描いていく。
そういう、昼間は死刑執行人、夜はお産婆さんというような作業をしばらくやっていた。
やりながら、何かこんな作業に意味があるんだろうか、と自分に問うた。
で、はっと、”道”という漢字の語源を思い出した。
「~道は人が識られざる神霊に挑むことを意味している。道の古い字形は、首を携えて進む形であり、いまの字形からいえば、導と釈すべき字である。
識られざる神霊の支配する世界に入るためには、もっとも強力な呪的力能によって、身を守ることが必要であった。
そのためには、虜囚の首を携えていくのである。道とは、その俘馘(ふかく)の呪能によって導かれ、うち開かれるところの血路である。」
(「道字論」白川静)
おお、そうだったのか、道(の絵)を(描き)進むのだから、そのためには誰かの首が必要であったのである。
ということは、24枚の異なる絵(世界)に次々進むのだから、少なくとも24個以上の首が必要だったのだろうか?
それとも一首持ち回しで3つくらいの神霊に対抗できるんだろうか?
どっちにしろ、30くらいの頭を捧げたから大丈夫だろう。
さて、はなしは若干おどろおどろしくなったが、ともかく描き直した絵を並べて見てみた。
とっても奇妙だ。
首を無理矢理すげ替えてしまったのだから無理もない。
消えてしまった顔のほうがつきあい長い分なじみが深く、新しい顔の上にぼおっと立ち現れてはこちらにまなざしを向ける。
悪かったなあ、すまんなあ、とこころのなかで手を合わせる。
首を半分くらい描き変えたら、24枚目、つまり最後の絵が今あるものではふさわしくないという気が強くしてきた。
消されてどっかにいった首と、生まれ出てきた首が、みな口をあわせて「それが結末じゃ、ちょっとなあ...描き直さんといかんやろう」と言っている。
それで最後の絵だけは全部新たに別のカンバスに描き直すことにした。
うひゃあ、夏の個展に果たして間に合うのか?
ちょっとやばいぜ...
さてしかし、描いてる絵についてだらだらと話したところで、そんなこたぁ他人が知ったことじゃない。
見る人は、見えるものがすべてだ。
あいかわらず成りはでかいがマンガみたいな絵で、「あらまあ、けっこうお考えになって苦労して描き直しとかされてるみたいですけど、できあがったものは、へなちょこですよねえ、おほほほ...」って言われたって、ただうつむいて苦笑いするより術がない。
個展は来る8月27日から4週間、九州日仏学館で行うことに決定いたしました。
27日はオープニングパーティとすごくいかしたライブです。
詳細はおってまた連絡いたします。
ところで、ここのところずっと、枕元には生首が置いてある。
もちろん本物ではなくって、辺見庸の詩集「生首」だ。
(昨年の中原中也賞受賞作)
読むと、その言葉に身がひきしまる。
西の街に住まう自分が、ほんの少しだけ、テレビや新聞に映し出されることのない死者の姿を見たような心地になる。
その最後に納められた一編。
「世界消滅五分前」
懺悔するな。
祈るな。
もう影を舐めるな。
影をかたづけよ。
自分の影をたたみ、
売れのこった影は、海苔のように
食んで消せ。
生きてきた痕跡を消せ。
殺してきた証拠を消却せよ。
しずやかに、無心に、滑らかに、
それらをなすこと。
いまさらけっして詫びるな。
告解を求めるな。
じきに終わることを、ただ
てみじかに言祝げ。
消失を泣くな。
悼むな。
賛美歌をうたうな。
すべての声を消せ。
最後の夕焼けを黙って一瞥せよ。
折りもおり、五分前に誕生した赤子を
心から祝福せよ。
もしもまだ時間があったら、
もっとも罪に縁遠い顔をした
あの幸せな老詩人を
ぶち殺しに行け。
なーに構うことはない。
やつが真犯人(ほんぼし)なのだ。
次のことどもが
まもなく証されよう。
──生と死の両岸のあわいには、
川も海も、じつは、
溺れいたる時の
真っ白い浜辺さえもない事実が。
なのに、高い通行税を払いつづけてきた滑稽が。
十万年の不可逆的変化が、
水蛸一ぱいがへらへら笑ってなしとげる
吸盤の脱皮ほどの
意味すらもちえてないことが。
愛でも慈しみでも謀反でもない、
ただ資本の甘い酖毒(ちんどく)に
酔いしれていただけのことが。
この百年の
始値と終値の差が、たんに
雲脂(ふけ)のひとかけらであることが──。
だから、神に詫びるな。
母に詫びるな。
赦しを乞うな。
さあ五分前、
無表情に一発、放屁せよ。
このおならの”ぶりっ”という大きな音で毎日目が覚める。
かすかに希望の匂いがする...
azisaka : 06:31
お知らせ
2011年04月08日

こんにちは。
いきなりで恐縮ですが、今月4月の第2と第3、第4の週末、絵箱店をお休みさせていただきます。再開は30日土曜日からとなります。勝手を申してすみません。
azisaka : 02:11
ばあちゃんの女の子
2011年02月15日

カツンカツンと、聞き慣れぬ音が階段の方から聞こえてきた。
ちょっと寒くなりかけの秋の日曜、絵箱屋さんでイラスト仕事しながら店番してる時だ。
まもなく入り口のドアが開く気配がしたのでパソコンの画面から顔を上げると、でっかい茶色の毛糸玉で斜め下から編み棒が突き刺さってるようなものが見えた。
カツンカツン鳴ってたのはその編み棒だ。
何だかわからなかったが、とりあえず「こんにちは」とあいさつをした。
ぐるぐる巻きのその固まりは、だまったまま部屋のちょうど真ん中あたりまでくると、空いている椅子を見つけてゆっくりと着座した。
その時「どっこいしょ」だか「おいっさっさ」だかの声を発したので、それが人間の女で、たくさん着込んで杖をついたおばあちゃんだということがわかった。
ばあちゃんは「ふひぇーっ」とか「ひゅあー」とか、は行で始まる年期の入りまくった溜め息をいくつか漏らしながら、
その身体に巻いたショールやコートやカーディガンやニット帽らを剥がしていった。
それらをとなりの椅子に積み上げてしまったら、ばあちゃんとまったく同じ色合いと体積で、分身の術つかって二人に増えたみたいだった。
2秒くらい何も起こらなくて、その後やおら「よっこらさ」と立ち上がったのだけれど、背中がとっても曲がってるので、見た目には立ったのか座ったまんまなのか、あんまり違いがわからなかった。
さて、こちらはというとその時くらいまでは、ばあちゃんはここをどこか別の場所と間違えて入ってきたのだと思っていた。
あるいは、どこでもよくって、ただふらふらとさまよい歩いていたら、たまさかここに行き着いたのだと思った。
さらに、巾着をでっかくしたような頭陀袋下げてたので季節柄、柿とか栗を行商してまわってるのかもしれんとも思った。
いずれにせよ、きちんとあいさつをせんといかんので、「わあ、おばあちゃんこんにちは」と立ち上がって言うと、「ふひゃあ、やっとたどりついた」といって、力石徹のアッパーカットみたいな急な角度で下から見上げた。
その眼を見てどきりとした。
「つぶらな瞳ってのは、俺らのことを言うんだぜ小僧!」と何でか知らんけど、男言葉でキラリと輝いて、たいへんに魅力的だったからだ。
そんな両の眼にかかる白い髪は、おかっぱをほんのすこし短くしたみたいな形状、そいでもって、手を見ると手は、幼少の頃より慣れ親しんでる自分の田舎の祖母らと似たような面構えだった。
太くて短い黒かりんとうのような指、その先のギョロリ睨んでるような爪、しみの星を湛え天空みたいに奥行きのある甲。
野良仕事用の手だ。
裏を返すなら手のひらは、きっとたくさんの力強いしわだらけ、まるで五月雨あつめて早い最上川みたいだろう。
「わたしは、絵はがきば集めるとが趣味とやもん」と、ばあちゃんは話し始めた。
「きれか絵はがきのあるごたっとこなら、どこでもさろいて行くと」
「ほら、絵は高かけん買えんけどハガキなら150円くらいやけんね。買うて集めていつでも見れるやろう」
つまり、ばあちゃんはそんな風なので、いかした絵はがき求めあちこち杖つき歩いてまわる。
先週は若手の絵描きが天神(福岡の中心街)でやってるグループ展を訪ねていった。彼らの手による絵はがきが展示販売されてると聞いたからだ。
そこに縁あって絵箱も数点出品されていた。ばあちゃんはたまたま絵箱を見、そのかたわらに置いてあったDMの地図をたよりにこの場所にたどりついたのだと言う。
「うひゃあ、ばあちゃん、わざわざこがんとこまでたいへんやったでしょう?」
「ぃやあ、あたしゃよたよたゆっくりばってん、電車とかバス乗り継いで遠かとこでもひとりでいくとやもん」
「おお、達者かですねぇ、すごかですねぇ」
「ははは、そーげんこつなか」
と話しながらもばあちゃんは机や椅子の上に並んだ絵箱らを見渡していたが、「あーっった、これこれ!」と言うなり、その中のひとつに近づいた。
そして手に取るとそうっと撫でながらしばらく見ていたが、顔を上げると唐突に言った。
「これは、おいくらですか?」
うっく、と思わぬ質問に息を詰まらせた。
そしたら「ほら、この前のとこでは値段ば書いとらっさんかったでしょう?」とことばを続けた。
さて、その絵箱はグループ展の少し前、同じく天神近辺の画廊で行われた「少女採集」という企画展のために描いたものだった。
黒の背景に白いワンピースを着たお下げの女の子が座っている。左の手足が白いひもで結ばれている。
その画廊に置いてたときには5万という値段がついていた。オーナーと話してそれくらいが妥当だということになったからだ。
しかし、ばあちゃんは、ばあちゃんだ。
どうみても戦前の生まれで、その顔や背や手を見るならば、戦の最中、前後には木の実や雑草を喰らって凌いできたような人間だ。
今だって、1パック128円のしめじでは高いからと、少し歩いてでも別の店へ行き、98円のやつを買い求めるような、贅沢することを知らぬ類いの、土の香のするばあちゃんだ。
150円の絵はがきを、方々出歩きせっせと集めているのだ。
何も描かれておらねば数百円でもありそうな小箱に、何万もの値段を付して言うのは、その人生に対し礼を欠いているのではなかろうか....
(「じゃあ、あんた、見た目が若者や金持ちなら、平気でぼったくるんかい!?」というような話しではない、ここでは)
そんな印象が、0.8秒くらいかけて脳内で生まれ固まって形を変えて口から出てきた。
「あ、う、その箱ですか...それは箱ばってん、絵を描くのはなかなか大変で、それで、あの、高かばってん、2万円くらいすっとです...」
それを聞くとばあちゃんは、箱を元あった場所に置き、自分の分身の剥いだ衣類の山のとこまでもどると、埋もれてた頭陀袋をひっぱりだした。
中に手をつっこむとしばらくごそごそやっていたけど、じき利尻昆布みたいに大きなサイフを見つけ、お札を2枚取り出した。
そして差し出した。
「はい、どうぞ...ちょうどでよかですか?」
とてもびっくりおったまがった。
てっきり、「ひゃあ、そがんすっとですか、やっぱり高かとですねえ、手描きじゃもんねぇ、ほわーっ...」という嘆息が聞こえるものと思っていたからだ。
その時になってようやくわかった。
ばあちゃんは、この少女の絵箱を求めんがため、ただそのためだけに、真っ直ぐにここへやってきたのだ。
「うっかり5万と言わなくてよかった...」
なぜならば、その箱を求める様子があまりに確然としていて、ためらいとか揺るぎといったものがぜんぜんなかったからだ。
よっぽど桁外れでないかぎり、言われたとおりの金額を銀行へおろしに行ってでも差し出したという気がする。
それに「これ、おまけです」と手渡した小冊子が、売りものとわかるや否や、頑としてただでは受け取ろうとしなかったところを見るならば、あわてて値段を下げることも、よしとはしなかっただろう。
しかし、何でまたいったいこの絵箱をそれほどまで...
ばあちゃんは、白いワンピースの女の子に何を見たのか、想ったのか...
絵箱を包みながら、ふたつのことを思い出した。
その1「ガンダム」
長崎の実家からちょっといったとこの煎餅屋さんのそのまた先にリサイクルショップがある。
もと鉄工所か倉庫だったような吹き抜け天井のだだっ広い建物の中、食器や衣類、電化製品や家具など中古の日用品がなんでもかんでも売られている。
三年前くらい、煎餅を買いに行ったついでに、めぼしいものはないものかと入ってみたらなかなか素敵な有田焼の小皿があった。
なます盛りつけたらさぞかし映えるだろうな、とか思いながらレジらしきものの方へ行くと、腕時計やライターなどの小物が並んだガラスケースに囲まれた小さな空間があり、その端の方にうまく染まってないような茶髪の頭が見えた。
「これ、お願いします」といって声をかけるとそれは、”若干太った”と”がっしりした”の狭間にあるような体つきの30半ばくらいの兄さんで、60歳くらいの雌猫みたいなやさしい笑顔で「いらっしゃいませ」と応じてくれた。
「おお、好みのタイプだ。目写真とっとこう!」と思い、記憶せんがため兄ちゃんの姿に目を凝らそうとしたら後方の棚の上にずらーっと、色とりどりの細かい絵が描かれた箱が並んでるのが見えた。
それで今度はそっちに焦点を合わせた。
それらはすべてガンダムのプラモデルだった。
しかも、そのどれもが20年以上前、このロボットアニメが最初にテレビ放映された当時の古いものだった。
「うおーっ、ガンプラ、すごかですねーっ!」とでかい声あげて嘆賞する男に向かい、小皿を一枚ずつ新聞紙に包みながら彼が言うのには、「はい、でもこれは売りもんじゃなかとです...」
「ぼくんとこはむかし家が相当に貧乏やったけん、プラモデルのごたっとは子供んときは一個も買ってもらえんやったとです。」
「友達とか、持っとんのが、うらやましくてですねぇ...」
「今は大人になって、まあ、ちょっとは小遣いもあるようになったけん、ネットとかで買ってこうして集めよります。」
その2「田んぼ」
作家の水上勉が1986年に水俣をおとずれたとき、その講演の中で貧しかった少年時代の思い出を語った文章だ。
図書館行って彼の全集さがしても、どこにも見つかんなくって、あれーどこで読んだんだったっけ?と思ってたら石牟礼道子さんのエッセイの中だった。彼女がその講演を聞き後日そのエッセイの中でとりあげていたのだった。
「~日暮れになりましても、お母(か)んが戻ってまいりません。ひもじゅうて、お母んのいる田んぼに迎えにまいります。畦からこうのぞいて、呼ぶんでございますが、お母んはまだ、田んぼの中に漬かっておりまして、狭い田んぼで、胸までも漬かるような湿田でして、そこから、子供たちの居る方へ上がってくるのでございますが...胸から腰から、田の泥にまみれておりまして、蛭がびっしり、付いているのでございます。
それをこう、濡れた泥をかき落としながら、取り外します。外さないと子供たちのところに来れません。あちこち食いついておりますのを、一匹一匹引っぱって、取って外すのでございますが、泥水をかき落としますと、お母んの肌は、子供心にもお母んの肌はまっしろで...その白い肌に、蛭をひき外しますと鮮血が...さあっと流れまして、体じゅうに鮮血が...。
ものを書くようになって、お母んのその田んぼを買い戻しました。そこに文庫を建てました。いつかひとりの少年が、本を読みに来てくれる日を待っております」
と、いうふたつのことを思い出した。
ガンダムや田んぼにくらべれば、むろんその絵箱はまったく取るに足らないものだ。
しかし、その絵箱を希求するばあちゃんのたちふるまいは、リサイクルショップの兄さんや水上勉のものに負けぬほどの、なにがしかの強い思いで削られており、宝石みたいだった。
絵箱包みながら、なんだか申し訳ないような気がした。
ばあちゃんからだましとったものを、高値で買い戻させてるような気がしたのだ。
このおさげの少女の絵の中に溶け、ばあちゃんの心を惹き付けた物質、粒子みたいなものはもともと、ばあちゃんの中にあったものだ。
でも、ずいぶんむかしにその体の中から流れ出て行って、世界のいろんなとこをめぐっていた。
ロシアやメキシコ、海や山、鰯やカラスや、大根やひなげし、煙草の煙や泥水の中。
そいでもってたまたまある日、ひとりの絵描きに流れ着き、先月その筆の先から、ひょこんと出てきた。
そういう心持ちが強くした。
包み終わる頃、「あーっ、そうやった、箱にサインばしてもらわんばいかん」とばあちゃんが言った。
「ええっ、ボールペンしかなかですよ。ちょっと、かっこう悪かですよ」
「よかと、よかと、別に人に見せるわけじゃなかけん。息子にはこげんものば買うたってな、言わんとじゃもん。秘密にして、ひとりで、見るとやけん」
聞きたいことや話したいことがたくさんあったのだけど、ばあちゃんは「そいじゃあ、日暮れんうちに帰ろうかねっ」といって箱をしまうと、さっさと帰り支度を始めた。
「あの、もし良かったら名前と住所ばおしえてくれんですか?今度、個展とかするとき案内状とか出しますけん」と言ったけど「いやぁいや、よかよか、あたしゃあ、こげなばあちゃんやけん、よか」と言って受け付けてはくれなかった。
断るのを無理に、駅への道がわかるとこまで送って行った。
別れ際「握手ばしともらっとこう」と手を差し出すので握手した。
冷たくも暖かくもない、自分と同じ温度の手だった。
白いワンピースの女の子は、ばあちゃんにとっていかようなものであったのか。
(ばあちゃんは他の箱にはほとんど目もくれなかった。)
その絵は「少女」をテーマにした企画展をやるというので、そいじゃあと、そこら辺にある雑誌の切り抜き見ながら描き始めたものだ。
描いてるうち、仕草や表情、服装が変わっていき、いつの間にかそう苦労もせずに絵が完成した。
何か特別なメッセージを表現したわけでも、ましてや強い想いや魂なんてのは微塵も込めたつもりはない。
そんな”軽い”絵が、あるひとにとっては、とても”重たい”ものとなる。
むろん、逆もあるだろう。
なんちゅうこの世のなやましさ。
そしてそれはまったくもって信じるにあたいする。
azisaka : 08:56
お知らせ
2010年12月26日

絵箱屋は、年内は12月19日までで終了しました。
しばらくお休みして年が明けての1月は15日の土曜日より、またはじめます。
年末年始、実家で10点ばかり新作を作ってこようと思っています。
今年はありがとうございました。
ひきつづきよろしくお願いいたします。
azisaka : 06:07
11月18日、ミゾグ。
2010年12月14日

いつものように朝から絵を描いてると、胸ポケットの携帯が震えた。取り出してみると連載仕事一緒にやってる仲良しの編集者だったので「いよーっっす!」と勢いよく出た。が、返事がない。あれ?切れちゃったかなと思ってると受話器からとぎれとぎれに黒くてバサバサした固まりが耳の中に入り込んできた。
「う、わ、何だこりゃあ」と不意をつかれてまぬけ顔で突っ立ってると、やがてそれらはゆっくりと脳の中の言語を司る部分あたりにたどり着き、パラパラと崩れ落ちてことばになった。
ことばを解するに、「ミゾグが昨晩、事故で死んだ」らしい。
ミゾグはイラスト仕事をしはじめた時からのむかしなじみだ。耳の先でボロボロ泣いてる彼女にとっては仕事仲間、姉貴分にあたる。そんな内容の知らせをやっとのことで引き渡すと、彼女は耳元からすぐに消え去った。そりゃあそうだろう、とっとと自分のなみだに専念せねばならないからだ。
仕事場から四畳半の小さな畳敷きの部屋の真ん中に場所を移すとその場にへたり込んだ。30秒ばかしたつと両の目からぽたんぽたん温かな雫がこぼれ落ちてきた。正座して拳を膝の上にのせ肩を震わす。窓の外のカラスの目には、でかい幼稚園児が障子破いてしかられていると映っていることだろう。やがて、ひっくひっく、えーんえーんと声をあげて泣きはじめた。音声ありの涙にびっくりした。ドラマや映画を見てのことなら4、5年に一回くらいはあるが、現実のことでは相当にひさしぶりだと思った。たぶん小学校以来だ。
そういう具合にしばらくの間メレメレと濡れそぼっていた。しかし8分ぐらい経過すると、ぴたりとやめていきなり立ち上がった。ずっと様子を見ていたカラスは、のぞいてるのがばれちまった!とギクリとし、カーと一声叫んで飛び去った。
立ち上がったのは、「こうしちゃおれん」と思ったからだ。
40数年生きながらえてきた甲斐あって、たいていどんな別れの痛みも、やがて当初の激しさをやわらげ形を変え、こころのどっかに納まるものだとはわかっている。
時の経過、時間っていうのは、たまにじれったくて文句もいいたくなるが、それでも信頼できるただ唯一の処方箋だ。
しかし今回はそういうわけにはいかなかった。どうしてかっていうと四畳半で震えてる背中に誰かの声が届いたからだ。声は「時間に頼らんで、自分で何とかやってみなよーっ」と言っている。
カラスにしてはやわらかいな...おお、ミゾグの声だ!
そんなわけで取り急ぎ立ち上がってみた。けれど、「いったいどうしろっていうんだ?」と途方に暮れた。しかしそれもつかの間のこと。絵描きなので絵を描くことにした。そうだ、ミゾグ、あいつのポートレートを描いてみよう。写真、どっかにあったっけ?デジタルになる前とった写真が何枚かあるがあれは実家だ。パソコンの中に最近のは入ってない。共通の友人にメールで送ってもらおうかとも思ったが、今は誰とも彼女について話したくない。ううむ、しまったなあ。
それでネットの画像検索に彼女の名を入れてみた。そうするとすぐに酒場で笑ってる小さな画像がほんの数枚見つかった。それ見たらまた四畳半で正座したくなったがこらえた。残念なことに写真が見つかったはいいが小さすぎるし求める表情ではなかったのでパソコンをぱたんと閉じた。そしたら、そのぱたんという音でひらめくものがあった。
そうだ、なにも新たにミゾグの絵を描く必要はない。今描いてる絵をミゾグ化しよう。
この場にたまに書きなぐってる文章読んでる方々はご存知の通り2年前から大きな長い連作を描いている。今はその21枚目で、下描きが終わり濃淡をつけはじめたところだ。画面には近未来風の高層ビルが立ち並びその真ん中に高速道路、道路の上では祭りかなにかの行進がおこなわれている。
午前中の仕事場である台所(昼前はここが一番陽がさすのでここで絵を描く)に立ってるイーゼルの前に復帰すると下地用の白絵の具をとりだし、描かれてるビル群をさっさと塗りつぶした。
そうしてぽっかりあいたその真ん中に鉛筆で大輪の花の形をした建物を描き、その図太い茎に当たる部分に彼女の命日と名を書き込んだ。まわりにはやはり、蓮やマーガレットなど花の形のビルを並べた。すると少しだけ安心した。
だいたいこの大きさのキャンバスだと完成するのにひと月半くらいかかるだろう。そのくらいの期間、毎日彼女と向き合っておれば、それなりに生きてた頃とは別の関係が育まれ始めるだろう。
昼を過ぎたので仕事場を居間(西南向きで日没寸前まで明るい)に移しそのままずっと描き続けた。携帯が5、6回鳴ったようだった。やがてすっかり陽が落ち手元が暗くなった。少しだけお腹がすいたのでバナナとりんごを食べ、豆乳を温めて飲んだ。普段なら自然光が費えた時点で筆を置くのだけど、その日はデスクライトを側に運んできて夜中も描き続けた。そうやって10時を過ぎるころ、疲れて眠くなった。それで歯をみがいて布団をしいて横になった。すぐ眠りにおちた。
夢には誰も出てこなくて深く寝て目が覚めてトイレに行った。ついでに炊飯器に付いてる時計見たら5時だった。「おお、朝か」と暖房のスイッチを入れ部屋が暖まるまでと布団に舞い戻ったとたん昨日のことを思い出した。そうしたらぎゅっと切なくなってきたので、それをバネとし起き上がり布団をたたんで、パソコン開いてメールを見た。すると週一回連載のマンガの原稿が送られてきていた。「こんな心持ちのときにお笑い考え出さんといかんのかよぉ」と嘆いた。しかし仕事とあらば仕方がないのでとりあえず読んだ。ところが読み終わる頃にはなかなか面白く笑えるマンガのネタが頭に浮かんできていたのでびっくりした。脳のしくみはいったいどうなってるんやろう?まったくチンプンカンプンだ。
せっかくなので忘れないうち、さっさとノートに下描きを描きつけた。描いてて自分が情のない人間のような気がした。終わると陽がのぼり光が射してきたので、悪事をもみ消すようにそそくさと台所へ行き、新しい水を汲みまた昨日の絵の続きを描きはじめた。
数時間くらい描いてるとトイレに行きたくなった。行ったついでに炊飯器見るとすでに12時を過ぎていたので、何か食べようと思ったがいっこうに腹がすいてない。たいていは何があっても食欲だけはあるのに、身体はきちんと悲しんでいるのだなぁと感心した。まあいいや、「エーゲ海」でも食べよう。「エーゲ海」というのはトーストにオリーブオイルぐるりと垂らして上から摩った岩塩ふりかけて食べる、最近慣れ親しんでいる食べもののひとつだ。なんとなく地中海っぽいのでそう勝手に名付けた。
エーゲ海2枚食べて温めた豆乳飲んだら今日はプールへ行く日だったことに気がついた。それで歯を磨き風呂場の窓際に干してある水着や水泳帽をとりに行った。洗濯バサミからはずしながら、ああこいつらを夕陽に向かって干したときには、まだミゾグは生きていたのだなと思った。
とことこ歩いてプールへ向かった。素足にサンダルはもはや冷たかった。
あいかわらず人はまばらで、コースがひとつぽかんと空いていた。泳ぎ始めて驚いたことに、水を掻く腕も蹴る足も軽くしなやかに動き、泳いでるっていうより誰かに引っ張られてるような気分がした。身体がまるで名うての船頭さんに操られる川船みたいにすーっと進んでく。とってもいい気分だ。しかしどうしてだろう?ああ、そうだ昨日からほとんど何にも食べてないからだ。それで身体が軽いのだ。しかし、ということは最初の数百はいいがじきにへたばるな...
思った通り、普段だったら調子が上がってくる千メートル越したあたりで手足のキレがどろんと鈍くなってきた。でれでれカップルに足で漕がれるアヒルボートになったみたいだ。それでも今年は一回に3千と決めているのでアヒルのままガァガァと最後まで泳いだ。
中華料理店の店先にぶらさがってる北京ダックみたいな態でプールから上がり、よろよろとシャワー室に向かった。途中、見慣れぬインストラクターの人が「お疲れさまでしたーっ」と笑いかけてきた。整った容姿の女の人で素敵な笑顔だったので、ちょっとドキドキした。ドキドキとしたあと、昨日人が死んだのに不謹慎だなあと思った。
そのあと最寄りのディスカウントスーパーへ行った。香典袋を買うためだ。朝メールを見た時、今晩のお通夜、明日の葬儀の案内がきていた。ふたつとも彼女の実家のある大分でおこなわれる。お通夜には行かないことにした。自分がお通夜に出るほど近しい友人ではなかったような気がしたからだ。葬儀の後ろの方にこそっと座るのがよかろうと思った。
店に入るとあいかわらずいろんな国の言葉が飛び交っていた。今住んでる辺は留学生や海外からの出稼ぎ人が多く暮らしてるのだが、この安売り店は彼らの一番人気なのだ。独特の活気があって、買いものに来る度むかし住んでたパリの移民街を思い出す。真っ直ぐに文房具コーナーへ行ってみると、黒いひもで巻いた封筒はいくつか種類があった。何しろはじめてのことなのでどれが葬儀用にふさわしいのかわかんなかった。けど見るとそれぞれ裏にちゃんと説明がなされていたので、相応のものひとつとって買いものかごの隅に置いた。
その後食品売り場へ行った。ピーマンと挽き肉を買うためだ。泳いでる時ふと、今晩はミゾグとゆかりのあるものを食べようと思い立ったのだが、それが生のピーマンに炒めた挽き肉を詰めたものだった。彼女が博多にいる時分よく行ってた居酒屋、定番の品だ。シャキッとした肉厚のピーマンなかったし肉の種類も味付けも適当だが、それなりの感じは出るだろう。
他の雑多な買いものもついでに済ませ、いつものごとく混んでるレジへと進み列のしんがりにならんだ。やがて順番がまわってくると、つい最近までお姉さんだったようなおばさんがいた。置いたカゴからてきぱきと品物をとりあげるとピッピッとバーコード読んでとなりのカゴへ移していく。最後に底に香典袋がのこった。それを見つけると少しうごきがゆるやかになり、後方から取り出した小さなビニール袋の中にいれた。そのあとコクンとほんの微かにおじぎをするとかごの上にそっとおいた。「ああ、この国のこういったとこは、ほんとうにいいよなぁ」とそんなふるまいを見てしみじみ思った。
帰ると水着洗って干して、また絵の続きをはじめた。日暮れまで描いて風呂に入り肉詰めピーマン作って食べた。意外にうまかった。
ミゾグに最初会ったのはパリから帰って福岡に住みはじめた頃だ。彼女は大学出たてのタウン誌の編集者、こっちはかけだしのイラストレーターで、他の二人の編集者とともに北九州へ街の取材に行った。京都の大学を出たというがなんとも不器用で、田舎にずっといたような純朴さがあった。それに惹かれ見ていると、格好つけで弁ばかりたつパリジャンに慣らされ固くなってた眼が、ほぐれていくみたいだった。
それから彼女は熱心に働き経験を積み、10年ほど前、福岡から大阪へとその編集の仕事の場を移した。
さて、明日の葬儀、せっかく彼女の生まれ育った町へ行くのだから、その片鱗にだけでも触れようと、町を取材し絵地図を描く心持ちで臨もうと思った。つまり車で一緒に行こうとの誘いを断り、ひとり始発電車で行くことにした。着いたら葬儀のある午後までカメラ片手に彼女の故郷をめぐるのだ。ダンボールの奥から、絵地図の仕事やってた当時いつも着てたジャケットも引っ張り出してきた。気合い十分だ。一張羅のスーツとネクタイのセットをリュックに詰めると安心し、シャワーを浴びて早々に寝た。
朝起きて駅へ行くと、彼の地へと向かう特急列車「ゆふの森号」は始発も次も、その次も予約で満席だった。「え、あの、立ったままでもいいんですけど」と食い下がったけれど、それはダメだと断られた。鈍行で行くと遠回りになり葬儀には間に合わない。秋の真ん中の晴れた土曜日なのだから、由布院行きの特急が満席であるのは仕方ないことなのだろうが、行楽客ごときに進路をふさがれようとは。ううう...ちくしょう...とうなだれてしまった。うなだれてる背中に「うひゃはははーっ、感傷旅行やろうと自分に酔ってたのが覚めたやろーっ、ちゃんと取材は前もって準備しとかんとね!」とミゾグの声がつきささった。
あわてて昨日誘ってくれた友達に電話すると、こころよく同行を了解してくれた。ほっとし、待ち合わせまでだいぶ間があるのでとぼとぼ家へ舞い戻った。しばらくお茶飲んでぼおっとした。それから、車で行くんならはなから着用やなと、スーツを袋から取り出してみたらしわくちゃだった。着る機会2年もなくて畳んだままにしといたのでもっともなことなのだが、困った。ひとつしかもってないネクタイさえ折れ曲がっている。ひゃあ、そのまま電車で行ってたらたいそう礼を欠くところやった。やばかったぁ。
近所の友達に電話してアイロンを借りることにした。ありがたいことにすぐに持ってきてくれた。ほんとうは彼にやってもらいたかったのだが、忙しそうだったので自分でやることにした。小学校の家庭科以来で、思い出の中の古いやつと違ってすぐに熱くなったのでびっくりした。熱くなった後たくさん種類がある目盛りにたじろいだけど、どうにかめぼしをつけカチリと合わせ、ぐいと手に持ちスーッとアイロン走らせた。が、ぜんぜん走んなかった。家庭科でやったのは真っ平らのハンカチ、スーツの造形は立体だ。なんとか苦心してアイロンあてるものの返って強いしわができてしまう。肩や袖の部分なんて実に微妙な曲線で、ピンと張らせるのは不可能に思えた。そしたらクリーニング店をやっているいとこのことを思い出した。訪れるとニコニコ話しながらも、手は休まず次々と軽快に、まるで花に水撒くようにアイロンがけをしている。すばらしく高い技術だったのだなと感心した。
けっしてピンとはしないが、なんとかしわがそんなに目立たないようにはなった。汗だくになったのでシャワー浴びてたらすでに待ち合わせの時間になってたのでいそいで家を出た。
乗っけてってくれたのは、ミゾグと初対面の時の北九州取材を仕切っていた編集者で、その大先輩に当たる人だった。彼女に最初に会ったときも最後に会うときも、同じく彼の車に乗っているということがたまらなく不思議だった。高速を走りながら、とぎれとぎれに思い出話をした。2時間かそこらで彼女の町の名の標識が見えてきたので高速を出た。少し下ると、ぱあっと視界がひらけた。どちらともなく「いいとこやぁ」とため息がもれた。小春日和のこの上ない演出差し引いても、なだらかな山々に抱かれたその土地のたたずまいは美しかった。
道の駅があったので、おにぎりかなんか食っていこうということになり駐車場へとはいった。するとすぐさま、ひげもじゃで赤黒くて斜めに帽子かぶったおじちゃんが跳ねるようにやってきて、満車だからしばらく待ってるようにと言った。山丈がいたらきっとこんな風だと思った。見てるとだだっ広い駐車場、方々から次々入ってくる車に跳ねてって、おなじことを繰り返してる。あんな味わい深い顔と動きの人は自分が今住んでる街にはいない。いいなあ、と思った。結局とめる場所がないのであきらめて葬儀場へと向かった。
彼女が横たわる建物は盆地の真ん中、川沿いの田んぼの中にちょこんとあった。少しだけ時間に余裕があったのでいったん前を通り過ぎ、川向こうへ出てみたら天然酵母のパン屋さんがあったのでそこに車を入れた。引き戸を開けて中へはいると小麦のいい香りがする。くるみパンとと抹茶あんパンを買った。彼はくるみパンだけだった。店の裏手にまわり川辺に出ると前方、晩秋の山の景色が広がる。樹々も果実も家も人も陽光に溶け、黄金色に塗られた一枚の大きな絵を見ているようだった。その一色で塗られた絵の底、中ほどに小さな長方形の穴がぽっかり空いていて、それが葬儀場だった。そんな絵の前で立ったままむしゃむしゃパンをかじった。ふたりとも何も話さなかった。やがて食べ終わりお腹は満ちたが、四角い穴はくっきり黒く空いたままだった。
到着するとみんなすでに着席し、式がはじまろうとしてるところだった。末席に腰を下ろすと、目前にたくさんの喪服でできた大きな灰色の固まりがあった。そのてっぺんにちょこんと遺影が乗っかっている。その顔はなんだか会ったことない知らない人みたいだった。やがて誰かが低い声で何か言ってるのが遠くの方で聞こえ、お坊さんらしき人がお経を唱えはじめた。けれどその音声は耳の中に入り込む重さをもたず、頭上をすらすら通り過ぎると田んぼの上へ散っていった。なんだかすべてが絵空事のよう、歯医者の待合室のテレビで芸能人の葬式でも見てるみたいだった。
と、突然耳に聞いたことのある名が流れ込んできた。我に帰り身をのりだして見ると、弔辞を読むべく立ち上がる一個の背中が見える。ミゾグの訃報を最初に知らせてくれたなじみの編集者だった。その時、その彼女の背中だけが自分とミゾグを繋ぐ生身の具体的な存在であった。なのでそれをよすがとし両の目はいきなり涙を生産しはじめた。こういう場所では泰然としとくもんだと構えていた心がぐにゃぐにゃになった。
とてもいい弔辞だった。
式が終わりぱらぱらと外にでた。たくさんのなつかしい顔に、あいさつするでもなく少しだけ頭をさげ続けた。それぞれの顔の、額に落ちた深い影を見ながら、絵を描かぬ彼らはこの二日間をいったいどのようにして乗り切ったのだろうかと思った。許されるのならば個々に聞いてみたいと思った。
なんとなく立ち去りかねていたら「彼女が最後にやりとげた仕事です。この本、たったひとりで編集したんです。」といって本をもらった。”お惣菜とおつまみ”という題名だった。
家へ帰り着くと、筆箱の中から油性マジックを取り出し、イーゼルの支柱の突端に”ミゾグ”と名を刻んだ。絵を描くことを自分の仕事だと決めて以来、大切な人が死ぬとそうするのが習わしとなっているからだ。彼女は5人目。一昨年亡くなった伯父のとなりだ。
絵を描いてると、話し声が聞こえる。
ミゾグ「こんにちはーっ、はじめまして」
伯父「おお、こんにちは。いらっしゃい」
ミゾグ「うわあ、牡蠣と日本酒ですかぁ」
伯父「癌が見つかってから酒類は絶っとったけん、こっちへ来てまたこうして飲めるのは幸せですばい...」
ミゾグ「しかも小粒で濃厚な九十九島の牡蠣と波佐見の純米酒!」
伯父「あなたも、いっしょにいかがです?」
ミゾグ「あ、どうも...」
「くーっ、うまい!」
azisaka : 07:34
鰺坂絵箱店開店のお知らせ
2010年10月17日

9月の25日からしばらくの間、箱屋さんをやります。
まずは、この夏仕事の合間をぬって描いた大小様々の絵付きの箱25点からはじめます。
あとは週ごとに1、2個新作を付け加えていこうと思っています。
場所は九州大学箱崎キャンパス正門近くの古いビルの2階です。
扉を開けてはいると手前が服のブランドGROUのショウルーム、
奥が絵箱の店になっています。
営業時間は、毎週土曜と日曜の 13:00~19:00
住所は、福岡市東区箱崎3丁目9-38 明石ビル2F です。
azisaka : 08:23
ゆく夏。言いわけ。絵付きの箱。
2010年08月31日

ひさしぶりに近況を報告します。一昨年から描き続けていた長いパノラマ状の作品(以下略して”長絵”)は、屋外プールがオープンする6月末の時点で予定していた20枚を描き終え、かねてより吹聴しまくってたように8月の半ばには個展開いて皆さんに見ていただくはずだったんですが、いくつかの理由でとりやめにしました。
(って、そうかしこまっていうことでもないのでしょうが、楽しみにしてらした方もちょびっとはいると想像するので、若干かしこまります)
以下そのいくつかの理由ってやつを力が強いものから順に記します。
その1)
足掛け2年も同じシリーズもの描いてると別れが惜しくなってしまった。ので、あと4枚描き足して24枚にすることにした。
つまり、この長絵描いててすごく楽しいし、発見(学ぶこと)がきわめて多いのでもうしばらく描き進めることにした。
その2)
春に予定外の旧作展をやっちまったため、対外用一年分のエネルギーの大方を使い果たしてしまった。
その結果、夏の個展のための場所探しや告知活動、搬入搬出する力が潰えてしまった。
(絵を”描く”のは疲れないが、絵を”見せる”のは非常に疲れる)
その3)
箱屋さんをすることになったので、とりいそぎ箱の制作をしなくちゃならなくなった。
「あん?」「はこや?」
と、いうことで箱屋さんのことについて書きます。
前回お話ししましたように今春から福岡は東区の箱崎ってとこで暮らしてるんですが、近所に服を作ってる友達が住んでます。
その彼がアトリエ兼ショールームとして使ってる場所が今度半分空くことになったというのを6月初めくらいに耳にして、当初は他人事だとさして気にしなかったんですが、2、3日すると、その場所は好きだったしこれも何かの縁なので、なんかできんかなあ、と思うようになりました。
そいでもって思いついたのが、箱崎で箱(空間)があるんだったら、やっぱり「箱屋さん」をやるのがいいやろう!ということでした。
あこがれのショップオーナー、専門店の店長です。
「おお、そりゃあいかすやん」「しかし、箱はどうするん?」
そう、売るもんないと、店ははじまらんです。どっかで箱を調達してこんといかん。
そんなわけで、その場所を貸してもらうのは9月からということで了承を得、夏は箱の制作に専念することにした。
制作というのは、白木の出来合いの箱(けっこういいやつ)を買い求め、その表面を磨いて下地を塗り、その上に絵を描いて、最後にニスを塗って仕上げるというものです。
が、これがなかなか大変。ヤスリがけやニス塗りなど手間がかかるし、木材なので絵の具が着きにくい。それに何てったってキャンバスと違う立体で、6面もあるので見た目ちっちゃくても絵を描くのにたいそう時間をとられる。
わあ、おろろんおろろん、今夏は長絵(長いパノラマ状の作品)とプールと抹茶ソフト三昧の日々だと思っていたのにぃ、何てこったい、この唐突な試練は...うう。
と、出だしはそう思っていたんですけど、あらまあ、やってみるとこれがまた楽しい。
何が楽しいって、まず身体が楽しい。いつもはイーゼルに置いたキャンバスに向かい真っ直ぐ立って絵筆を動かすのに、箱の絵付けは椅子に座り箱を片手に持ってやや背を曲げながら。やってると、輪島塗りだとか博多人形とか伝統工芸にたずさわってる人って感じで、何気に風格が増したようないい気分になる。加えて、木に描くのは麻布に描くのとはまた異なった感触と画面の表情で味わい深い。描く面が変わる度に絵がねじれたり、一方向からだけでは死角になる部分があるので、それを生かして構図を考えるのが面白い。さらに、うふふ、仕上がった箱をこう、ひとつずつちょこんちょこんと、並べていくのが相当心地いい。気分はすっかり洒落たフランス雑貨屋さんで働くセントジェームスにエプロンの娘だ。
と、そんな感じであの暑い最中、怒濤のごとく描きまくり、今やっとこさ18個完成。
「怒濤のごとくってったって、一ヶ月半もかかってたった18個かよ!」
うっく、すまん。しかしこの季節はあっちいったりこっちいったり、けっこう他にやることあるんでなかなか制作の時間がとれんかったです。
しかし、あと何個かさらに仕上げ30個くらい(希望)にして9月の25日あたりにいよいよオープン!というジェットな作戦だぜ。
箱の大きさは6種類、一番小さいのがi-phoneを3つ重ねたくらいの大きさで、最もおっきいのが中くらいの巨峰の房がひとつ納まるくらいの大きさです。
値段はひとつ8千~2万円くらになる算段です。
店の名前は「鰺坂絵箱店」(なんや、そのままやん!)場所は箱崎3丁目の古いビルの2階。土曜と日曜のみの営業で、ひとまずは、入って手前が先の友人の服「GROU」のショールーム、奥が箱の店という仕切りです。”ひとまず”っていうのは、時と場合によってこの空間をいろんな形で自由に使っていこうと話し合っているからです。
開店の日にわせてオープニングの催しをGROUと共同で開催する予定です。
店の場所や開店時間、その催しのなどの詳細については後日、お知らせいたします。
この店は毎週1、2点新作絵箱を発表しながら、来年の8月まで1年間だけ続けてみようと思っています。
(箱作り、1年は飽きんやろう、たぶん)
azisaka : 21:23
クールミントな誕生日
2010年05月20日

去年の春のことだ。いつものように誕生日がやってきた。日頃世話になっている手前、何かとびきりいかしたプレゼントを自分に贈ろうと思った。けどプレゼントといっても、靴や本といった物でもなけりゃ、フランス料理とか温泉旅行などの娯楽でもない。そんな、もらったら心がうきうきするようなものではなく、どちらかというと反対にずんと沈んでしまうようなやつだ。つまり漢字の書き取りノート十冊!だとか、素振り千回!とか言った類いのけっこうきびしい試練、それを自分に贈ろうと思った。(”贈る”というより、”お見舞いしてやるぜ!”ってのが近いかな。)
でもまた、なんでなん?というと、自分ができるかできんかわからんくらいの難題を課してそれをやり遂げた瞬間の、あのとびっきりすがすがしい気分を味わいたかったからだ。久しく遠のいていたけど、そりゃあなんてったって気持ちがいい。生きてる手応えみたいなものがギラリきらめき、年をしっかり重ねたという最上の証しとなるだろう。(たぶん...)
そんなわけで、仕事場兼住処のある長崎市内から実家のある佐世保まで歩いて帰ってみることにした。60キロくらい離れてる。その前の年、自転車で帰ってみたら半日かかった。徒歩なら一日あれば大丈夫だろう、夜明けに出発し日没くらいには着くだろう。マサイクッションのついたMBTサンダル(「何なん、それ?」という人は自分で調べてみよう)ですたすた行けるとこまで行き、しんどくなったら自身にもっとも快適なニューバランス1700に履き替える作戦だ。リュックにその1700、途中で食べるおにぎり、手ぬぐいと靴下を詰めて10時には寝た。
5時ちょうどに出発した。なんてったってしだいに明るくなっていく景色の中を風切って歩くほど心地いいことはない。もしそれがちょっとした冒険の始まりであったのならなおさらだ。このはじめの数キロの、でっかいわくわく感を味わうために60キロを歩くのだと言えるくらいだ。さて、履いたことある人はわかると思うがMBTで歩くのは気持ちがいい。タンタンタタタンと太鼓たたいてるような軽快なリズムで身体が前に進んで行く。
「おお、なんっちゅうすがすがしさやあ...」といい気分で歩を重ねていたけれど、そこは所詮サンダル、平和公園の近くまで来たあたり、まだ5キロさえ満たないのに足の甲と踵のとこが擦れて痛くなってきた。それで1700に履き替えた。「かつがつ暮らしの風来坊ごときが、そんな高いスニーカー買うのはけしからん」と母にひどく腹を立てられたことのある一足だ。たしかにスニーカーにしちゃあたいそう高価だ。高価だが、足の甲が高くそんじょそこいらのスニーカーではピタリ合わぬので多大な出費も仕方ない。「1700、1700、おまえはおれの最強の味方、頼りになるぜ、かっこいいぜ、おれら供に地の果てまでも駆けていく~ラララ~」と鼻歌うたいながらまたすたすた歩き始めた。
快晴!しかし快晴過ぎる。五月晴れというやつらしいが、泳ぐのじゃあるまいし、あんまり過ぎると延々歩く定めの身にとっては不快晴になってくる。強い陽射しで腕や首が焼けてヒリヒリ、空気の乾燥で目と鼻はシパシパ、真夏みたいな熱さで汗がダバダバダーだ。しかし、それはいい、曇った日に歩くよりか数段いい。問題は、まだ20キロそこそこなのに強烈に痛くなってきた足の裏だ。地面に触れる度に、じぐぐっと図太い釘で突かれたような痛みがはしる。どうやらあちこちに豆ができてるらしい。なんとか早急に溜まった水を出さないと、じきに歩行が困難になるだろう。それで、豆に穴空けるための尖ったものを探し始める。こんな時、小学生だったら名札のピン、OLであれば裁縫セット、パンクロッカーだったらピアスやピンズを持ってるのであろうが、絵描きなのでそんなの携帯していない。まったくもってサバイバルな状況では女子供以下の役立たずだ。
さて、困ったぜ。上り下りの続く海沿いの道にはしばらくコンビニや商店らしきものもなさそうだ...その時、しゃららららんと閃いた。そうだ、あれだ!クリスマスのケーキなんかによく広げて挿してあるギザギザの葉っぱだ。名はなんと言うか知らないが、あの葉の尖り様なら豆に穴を空けるなんて造作ないだろう。それで、キョロキョロ探しながら歩きはじめた。だけどしかし、こんな肝心要の時にかぎって見あたらない。ちっちゃいとき、人差し指と親指の間に挟みヒュウと吹いてくるくる回して遊んでた時にはどこにだってあったのに...ちくしょう、ううう...
それでギザギザ葉っぱはあきらめ今度は、針金かなにか尖ったものがひょっこり落ちてやしまいかと、足元をさがしてみることにした。けれど「そんなもの拾って刺したらバイ菌入って犬塚信乃みたいに破傷風になるぞ」と、坂本九ちゃんがが天の上からいうのですぐやめにした。(ここんとこ、若者には意味不明ですまん)
足を踏み出すごとに、足裏から脳天めがけて逆さに激痛の雷鳴がとどろく。いつもの一歩が3ボルトなら、今の一歩は1万ボルトの激しさはあるだろう。普段夕食の買いものに行く時のステップがラン、ララ、ラララ、タリラリラーなら、今の状況はぐっ、ぎょえっ、うが、はあっ、もぐぁあ、といった有様だ。しかも、足の痛みに心を奪われうっかりないがしろにしていたが、気がつくと手がミシュランの人形みたいに膨れ上がっている。ずっと下に下げて振り続けていたからだろうが、このふくらみっぷりは四つ星だ。足ばっかり労って、すまん手よ...
と、その時ひょんと気が付いた。何もクリスマスギザギザ葉に頼ることはない。日本には古来から松という立派な鋭い葉を持つ植物があるではないか。しかも竹や梅より一段偉いたいへん尊い葉っぱだ。見るとちょうど「いったいどんな悪事はたらいたらこんな豪邸建つんだよ、おい!」と痛みも忘れて言いがかりをつけたくなるようなでかい家のでかい庭から通りにおりゃあとはみだしてる松がある。舞踏家の腕のように力強くしなったその枝から松葉の何本かをぶちりと引きちぎった。でもって、さすがに天下の公道で素足をひょろんとさらすのは気が引けたのでちょいと脇道に逸れ、靴脱いで足にむぎゅうと貼り付いた靴下ひっぺがして足の裏を見た。赤くて白くて筋が入ってちょっと透き通ってて、ぱっと見は何となくフランスの砂糖菓子みたいだった。「おお、ガトーシュクレアラフランボワーズやん!」
しかしフランス菓子ならば、ほんのちょっとつついただけで甘い香りにすっという微かな音たて松葉がすんなり突き刺さろうが、足の裏の皮は鏡餅みたいに固くって、あわれ松葉はくにゅっと曲がってしまった。
それであきらめて、桃白の足にまた靴下かぶせ、「お、おい、またこのまんまで歩くんかよぉ」と嘆くのを、すまんと心で言いつつ知らぬふりして、そっと靴の中に置いた。そして、きちんと人の手によって作られた先の尖った工業製品をどっかで調達せんことには、この苦しみは未来永劫続くらしい、ということに遅まきながら気がついた。しかし、時は平成、おれはモダンなイラストレーター。元禄や明治の行商人みたいに通りすがりの家の戸がらっと開けて「ちょいと、針を一本貸してくんないかい?」というわけには簡単にいかぬ。それで、白桃色フランス菓子にはもう一踏ん張り地獄の試練に耐えてもらうことにした。しかし、それにしてもこの痛み、足裏の皮と肉の間に5ミリくらいの高温に熱したネジ釘が数本詰まっててギュリギュリ回転してるみたいだ。
黒布被って修学旅行の記念写真を撮影する写真技師のような腰の角度でよたよたと、それでもなんとか前へ進み続けていたらまずは大きなゴルフ場入り口の看板、そしてそのはす向かいにコンビニが見えてきた。店舗の10倍くらいの広さの駐車場を構える堂々とした田舎のコンビニだ。国道から店へ入るまでが気が遠くなるくらい長い。よろめきながら入店し、鋭利かつ安価なものを求め、まずは裁縫針をさがす。が、予想どおり針は単独では売ってはおらず、裁縫セットが480円。うわ、高っ!あきらめて今度は文房具コーナーへ。画鋲一箱258円、安全ピン50本入り255円、カラークリップ30本入り298円。うひゃあ、人の弱みにつけこんで、ぼったくりの値段やん!それで今度は菓子コーナーへ。おまけにバッジが付いてるキャンディとかがあるかもしれない...
結局、そんな気のきいたお菓子なんてなかったので随分迷ったあげく、先の尖り方を優先し安全ピンセットを買い求めた。そうしてもったいないが、がちゃがちゃ音立ててうるさいし、少しでも重量を減らしたいので5本だけ抜き取って、箱と45本はゴミ箱に残した。ゴルフ場の入り口付近が芝生がきれいに手入れされちょっとした公園みたいになっていたので、踏み入って木陰に腰を下ろした。何という名前かさえわからないので申し訳ないのだが、いきなり身体を寄りかからせてきた男に、木は木漏れ日と冷たく澄んだ空気の心地よさを恵んでくれた。
安全ピンひとつ取り出して、足裏の豆にブスブスブスブス突き刺し、ぎゅっと押さえ水を出していく。手や顔に比べて足の裏なんてのは日頃めったに表舞台に立つことないので、水ぶくれした上に刺されてさぞや痛かろうが「ぎょっ」「あたたっ」とか叫びながらも何となくうれしそうだ。しかし、この豆の中にたくさん溜まってる液体はいったいどんな成分でできてるんだろう?涙と汗ならどっちに近いんだろうか?無駄な知識はたくさんあるのに、草木の名前にしろ、自分の身体のことにしろ、ちっとも知らんよな、と思った。
両足とも、豆をぜんぶ潰してしまったら随分と楽になった。しかし足裏の状況は改善したものの足の甲やスネ、膝やふくらはぎなどその他の部分は揉んだりさすったりしても痛みはとれない。まあ、なんとか耐えていくしかないなと、またやおら歩き始めた。
しばらく進んで峠道にさしかかったら先の方に湯気があがってて近づくと酒饅頭屋さんだった。ほんとうは4個くらい買いたかったが、1gだって重量を増やしたくなかったので2個にした。5月の峠で饅頭を売る女というのはこうあるべきだという見本のような、化粧っけのない30半ば、深い二重で鼻筋のとおった姉さんだった。こういう酷な旅の道中でなければ「そのエプロン、いかしてますね」とかなんとか話しかけ、いったいどんな声と言葉遣いと表情で話したものか見てみたかったのだけど、「ぎょえーっ、饅頭2個分も重くなるんかよぉ」と不満の声をあげる足腰の手前、そんな勝手なことはしておられなかった。それで、万感の思いを込めて「さよならぁ」と言うとまた歩きはじめた。
しばらく行くと陽が空のてっぺんまで登って12時になって、お腹がすいてオランダ村に着いた。それで、かつてオランダの町並みを模したテーマパークがあったその場所で昼食をとることにした。家を出て6時間で約30キロ、やっとこさ半分だ。素敵な木陰を見つけて座るやおにぎりを食べはじめた。すると草むしりのおばちゃんが通りかかったので挨拶をすると、「あらあ、おいしかごたるねぇ」と近づいてくるので「ひゃ、まずいっ」とあせった。日没までに実家にたどり着かんがため数分でも惜しいのに、こちらの素性をとことん聞かれたあげく、孫や持病や老人会のことを延々聞かされるはめになるだろうと思ったからだ。ところが予想に反し、徒歩で帰省してるという話しを聞くと「そりゃあ、すごか!」と言って麦わら帽子の陰の目を一瞬強く光らせただけで、天下の大義のじゃまをしてはいかんとばかりに立ち去った。ただ、別れ際に作業着のポケットをまさぐるとガムを取り出し「クールミントガム」とつぶやいて一枚くれた。
またおにぎり食べ始めてると、かつてベルギーの田舎町に遊びに行った時のことを思い出した。友人の家に泊まった朝、ひとり早起きして散歩してたら畑仕事をしてるじいさんと出くわしたのだが、そのとき彼からミントキャンディーをもらったことがあったのだ。労働をする人々のポケットの中には万国共通、ミント味の何かがしのばせてあるのだなあ、と感心した。同時になんでか笑みがこぼれ、疲労が20%くらい消し飛んだ。けど、ガムは苦手なので後で誰かにあげようとポケットに仕舞った。
おにぎり平らげ饅頭2個食べたら、とびきりうまかったので(饅頭類の味にはうるさい)さらに元気がでてきた。それでまた歩きはじめた。太陽同様西へ西へと進む。相手が地平線に沈むのが早いかおれが実家に帰り着くのが早いか男と男の勝負だ。(フランス語で太陽は男性名詞なのでここでは勝手に男にしときますが、女だったらすまん太陽)競争相手はでかいほどいい。しかし、おれは独り黙って歩くのに、野郎ときたら頭上からまばゆい光と灼熱で攻撃だ。ひきょうだぜ、まったく。と、ぶつくさ言いながらもなんとか、ゴールに次ぐ最大の目標地点である西海橋にたどり着いた。眼下のうず潮と大怪獣ラドンの衝撃波に破壊されたことで有名なアーチ橋だ。3時ちょうどだった。家をでてから40と数キロ。マラソンの距離くらいをやっとのことで歩きおおせたことになるが、手はトムとジェリーのトムがドアにはさんでギャーッと叫ぶときのように腫れ上がり、足はぶつかり稽古半日やった新米力士のように真っ赤でパンパンだ。体力は幸いまだあるけど、四肢の痛みに最後まで耐えきれるかどうか...ひと休みするべく欄干のそばのベンチに腰を下ろしたものの、果たしてもう一度立ち上がることができるのかと不安になる。
それにしても、てくてく呑気に歩いてさえこうなのだから、この距離を走った時のしんどさっていったら、そりゃあメガトン級だろうと思った。タイムはどうであれマラソンを完走する人達への畏敬の念が眼下のうず潮のようにぐるぐる心に湧き上ってきた。それで、ビキニ着て肢体くねらすグラビアアイドルだろうが、まったく面白くない冗談大声でわめき散らすお笑い芸人だろうが、マラソンを完走したと知るならばテレビの前に背筋をただし黙礼するくらいのことはせねばならぬと思った。思ったとたん、傍らの観光土産屋の店先に宮崎県産品のポスターが貼ってあり、知事がはっぴ姿で写ってたのでこくんと礼をした。
十分ばかりそのままベンチでぼおっとしてたら陽の光が和らいだ気配がしたので、あわてて出発した。もはや歩くというより上半身が下半身を引きずっていると言ったほうが適切で、スタスタではなくズズッズズッといった趣だ。それでも何とか先へは進み、少し行くと鯛焼き屋さんがあった。ちらり見やると、きちんと白い調理衣着た兄さんが焼いていた。酒饅頭は色っぽい女だが鯛焼きは仕事熱心な男のバイト学生がいいよなと思った。ついでに言うなら、今川焼ならやはり深沢七郎(今時あまり人は読まないが読んだ方がいい)みたいな一風変わった初老の男が似合う。ところで、甘いものは欲しないが喉がすごく乾いていることに気がついた。昼食時にお茶を飲んだだけで何ぶん水分ずいぶん長いこと補給してないので、あたりまえだ。しかしもう後ちょっとだけ我慢することにした。なぜなら、こんなにしっかり照らされて動いて汗かいて、どこに出しても恥ずかしくないくらい立派に乾ききっているのに、自販のジュースごときを流し込んだのでは身体に申しわけないと思ったからだ。数キロ行くと農産物の直売所みたいなとこがあり、そこにたしか自家農園でとれたブルーベリーの果汁100%ジュースが売ってあったはずだ。いつぞやドライブ途中に立ち寄った時はその高価な値段に断念したが、今回なら買って飲んでも誰も文句は言うまい。
その甘酸っぱく芳醇な濃い紫の液体が五臓六腑に浸透していく様を想像する喜びだけを力として、乾燥してるのに重たいピラミッドの石みたいな身体をえんやこら押して進ませた。そうして到着し店へ入り500mlのやつ一本つかみレジへと向かった。向かいながら念のために値段を見た。「ううっく...」高くとも600円くらいだとあなどっていたが1500円だった。180mlが500円だけど、これでは乾きがとうてい癒えぬ。どうりで前回見送ったわけだ...絶望し店内に立ちすくむ姿に向かい「こうじ、ずばんといっちまえよ!今いかんでいついくんや!」と誰かが叫ぶ。しかし、やはり今回もやめにした。”高級”すぎると感じたからだ。たとえば、仁義に反した組長たたき切って入れられた刑務所から15年ぶりに娑婆に出てくる兄貴分にフランス料理のフルコースをふるまうようなものだし、あるいは、昼間は一家を支えんがために重労働、夜になると夜間で勉強、そんな苦労をしてやっと受けた国立大学に合格した青年にフェラーリを褒美にやるようなものだ。前者にはすき焼き定食、後者には自転車くらいがちょうどいいし、彼らにしたってその方がありがたかろう。それで結局、店先の自販のジャスミン茶を買って飲んだ。うまかった。
また歩きはじめる。まるで40女を背負ってるように足取りが重い。甲やスネ、膝やふくらはぎはこれ以上ないほど固く腫れあがり、足裏は豆だらけでもう何回安全ピン突き刺したかわからない。一歩一歩が重要だ。普通の一歩が30円くらいなら今の一歩は2千円くらいの値打ちがあると思った。50キロを過ぎるころになると、もはや数百メートルごとに休みをとらないことには膝から下が言うことをきかなくなってきた。一歩踏み出すごとにロシアのコサック兵士の強者がやってきて、膝下をぎりりと力の限り絞り上げるみたいだ。人目がないのなら、這うか逆立ちして進んで行くほうがはるかに楽だろうと思ったし、陸地ではなく海ならばすいすい泳いでいけるのだがと幾度も嘆いた。
しかし、意外なことにコサック兵のことを思いついたおかげで状況が一変した。つまり、おれの荷物はちっちゃなリュックひとつだが、行軍の兵士や難民の人々なんかは武器や家財をたくさん抱えて飲まず喰わずで何百キロも歩くのだということに気がついた。そしたら、「こんなことでぶつくさ文句言ってたらダサいぜ」と(兵士や難民の人たちには勝手に利用してすまないが)なんとなく元気になってきた。歩む速度を何時間かぶりに速め、うなだれていた顔をあげた。すると山間から見える西海が夕陽に染まり紅く輝いている。なんちゅう美しさやぁ...
ここにきて太陽はおれの競争相手から、互いにはげましあって歩く同伴者になった。この土地、西海は父と母が生まれ育った場所であり、祖先は何代もこの落日の光に照らされ育まれて生きてきた。つまりおれの中に脈打つ血はこの夕陽の紅でできている。夕陽に身体が呼応して、力が湧いてくる。
憔悴しきってるのに今朝出発した時と似た晴れやかな心地になった。紅から茜色へと変わる光の中、足の痛みをすっかり忘れ、このままずうっと歩き続けていたいよなぁとさえ思った。
「ただいまーっす!」7時過ぎに家に着いた。すっかり暗くなっていた。「あらぁ歩いて来たん?電話すれば駅まで迎えに行ったのに」「いや、駅からじゃなく長崎からずっと歩いてきた」「あん?」
それからさんざん「あきれてものも言えん...」「身体壊す!」「いい年こいて何者や」などと小言をいわれた。
いたるところ、じんじんひりひりがくがくする身をそおっと湯船にしばらく浸けたあと、やさしく撫でるように洗い、赤ん坊拭くように拭いて、着替えて食卓に着くと、なかなか豪華な刺し盛りが用意されていた。「やっぱ、こんな時は刺身やろっ?」風呂にはいってる間に買いに行ってきたらしい。ありがたくたらふく食わせてもらった。酒は、もうほんとのほんとうにうまかった。こんなにうまい酒が飲めるんなら60キロでも70キロでもいつでも歩いてやるぜと思った。やはり、この充足感や達成感は誕生日のプレゼントとしては最上級だ。
食べたら歯を磨いて二階に上がり布団のなかにぶったおれた。身体が大きな瓶で中にぎっしりにしんの酢漬けがはいってるように重たかった。布団の中に沈んでいって畳も天井も通り抜け階下にどさりと落ちてしまいそうだった。とても深い眠り...ミシシッピーとかメコンとかそんな大河流域の、この世で最も肥沃な土に厚く厚く覆われてるみたいだった。
翌朝目覚めると、がくんがくんだった。昨晩は疲れて朦朧としていたので痛みを感じる気力もなかったのだが、それが回復したためいたるところが疼いた。水を飲まんがため一階へ行こうとするものの階段は立っては下りれず、腰掛けて一段づつそおっと下りた。壁をつたいながら台所に向かってると洗面所の方から母の声がした。「あんたぁ、洗濯物出すときは気をつけなさいよー」「ポケットにガム入っとったよー」
ああ、そうだ、クールミントガムのこと忘れてた。
さて、今年の誕生日には何を自分に贈ったのかというと、それは”引っ越し”だ。
4月半ばから長崎を離れて福岡に移り住んでいる。筥崎宮の近くだ。一月たってようやくどこの店の野菜が安くてうまいか、どこにいい酒が売ってあるのかがわかり始めてきた。
今回の曲
Ultra Orange & Emmanuelle 「Don't Kiss Me Goodbye」
長崎から佐世保まで歩いてる間、もっとも鼻歌に登場したのがこの曲だ。なんでだろう?
azisaka : 21:20
かきなおし
2010年03月23日

ひょんなことから、今年は春に旧作を中心とした個展をやることになった。一月末にベルギーから帰国するとすぐさまその準備にとりかかった。展示する作品を選出すべく実家の押し入れからむかし描いたやつ引っ張りだして畳の上に並べる。ひさしぶりに古い絵(といっても4、5年前だけど)を手に取る。なつかしい...
ってなことなんかは全くなくって「あれ?」「なに、これ?」という感じだ。頭の上にははてなマークがいっぱい。その姿を誰かが見てたなら「こうじさんは、その時きょとんとしてました」と報告したくなるような状態だ。
つまり、絵を見てたしかに自分が描いたものだというのはわかるんだけど、いったいなんでそんなもの描いたのか、こんな色つけたのか、あんな形にしたのかがわからない。ぎくしゃくしてバランスが悪いし、手を抜いてて粗雑に見える、しょぼいったらありゃあしない。しかし同時に、それらを描いたその時々こと、誠心誠意全力出し切って描いたこと、はしっかり覚えてるので、注いだもの(時間やエネルギー)と眼前の作品のはげしい格差にあっけにとられてしまう。
あっけにとられてたって仕様がないので、手当り次第に描き直してゆく。描き直し方は様々だ。人物の表情をほんの少し変えるだけのこともあれば、微かにしか原型をとどめぬほど手を加えたり、時には全部塗りつぶして最初っから描き直すこともある。で、変な話しだが(当人は全くそうは思わないけど、聞いた人が大方そう言うので...)これがとっても楽しい。
雑誌広告なんかの気取ったモデルの顔に髭や変な衣装を落書きしてるような感じでもあるし、冷蔵庫の中の余りものをつかって料理してるようでもある。あるいは、昔の彼女と歩いたのと同じ街を新しい彼女と歩いてるような心地もする。なんというか、この絵は一回ちゃんと日の目を見てそれなりの生をまっとうしているので、失敗したっていいやっ、という安心感が筆をすいすいと進ませる。かといって、軽快なだけでもない。なぜなら白く塗りつぶしたとはいえそこは絵画。消去したらほんとの無になっちまうデジタルイラストとは異なり、その下には幾重にも絵の具が重なっている。それらの色や形の層が筆を下からぐいと引っぱる。そりゃあ強い抵抗力で、その手応えがまた心地いい。真夏のプール、図太い陽光が何百も降り込んで水が黄金色に濃くなるんだけど、それをざっぱざっぱと掻いて泳いでるみたいだ。
とはいっても、絵を描きだしたはなっからそんな具合に”描き直し”を楽しんでいたわけではない。当初は一応描き終わったのならそれはそれとして遠ざけて見ないようにし、次々に新しい作品を描き連ねていた。一回描き終わった作品に関わってたってあんまし学ぶことはないだろうと決めつけていたからだ。
しかし、あることがきっかけでそんな態度が変わった。今回はそれについて書きます。以前、ある新聞にエッセイを連載してた時に書いた話しの”書き直し”です。「話し」も「絵」と同じで、ひさしぶりに読むと「なに、これ?」で、書き直したくなります。つまり、以下は「描き直し」のはなしの「書き直し」というわけです。
5年前、ベルギーに住んでた頃のはなしだ。パリでの個展が決まりそれに向けて懸命に絵を描いてたら、ニューヨークで編集業に携わっているという女の人から突然連絡があった。なんでも今度ファッションイラストの画集を出すので作品を掲載させてくれないかという。初めてだというのにヘイとかヨォとかたいへん気さくだし、エクセレントとかスパースターとか持ち上げることはなはだしい。アメリカの人にはこういった感じの人が比較的多いと経験的に知ってはいたけど、それにしても軽率でなんとなくうさんくさい感じがした。ファッションなんてのに関わってる人ってのはちゃらちゃらしていかんよなあと思った。それでその時は適当に気のない返事をしておいた。すると間もなく、当時ちょっぴり世話になっていたパリのイラストエージェントの人から電話がかかってきた。彼が言うには彼女、VOGUEアメリカの編集部の人でその業界(ファッションイラストの業界というものがあるらしい)では有名なのだという。そりゃあ断ったりしたらもったいないと、掲載を承諾した。当時は(というか今でも)注文の来るイラストっていったら、ひとコママンガや食べ歩き文章の挿絵なんてのが主だったので、奇妙な感じがした。
するとしばらくして今度は「絵を買いたい、原画を見るのは困難なのであんたのHPに掲載されてるものから選ぶのでよろしく頼む」という連絡があった。
一方、そんなメールが来た時点でパリの個展まであますところあと2日になっていた。その時まで39枚の新作を描いていたのだけれど、告知していた枚数まであと1枚仕上げなければならない。しかし、買い置きのキャンバスが底をついてしまった。買いに行く時間さえ惜しいので仕方なく前回展示した絵に手を加えて出品することにした。物置から適当な大きさのやつを1枚選んで持って来て数ヶ月ぶりに見てみる。「ううむ、つまらん絵やぁ」「なんでこんなの展示したんだろう...」とため息が出る。しかしため息着いてる間も時はいっちまうので、あれこれ考えず感じるままにさっさと描き直しを始める。色や形なんて意識してる暇なんてないので、手の中に脳みそがある状態。ここをこうしようと思うのと筆を動かすのが同時だ。
さて、そうやってしばらく休むことなく筆を動かしていたら”ここをこうしよう”というのが尽きて見当たらなくなったので筆を置いた。そうやって目の前の絵を改めて見たら、髪型や背景などをほんの少し変えただけなのに、ぜんぜん違った印象を与える絵と成り代わっていた。さらにびっくりおったまげたことに新作40枚の中でも最も良い絵になっていた。
もともとの絵を描いたのは一年前である。その時に髪型や背景変えたらもっと良くなるなんてこと、まあぁーっったく気付きはしなかった。したがって、その”ほんの少し”の変更ができるようになるために1年もかかったということになる。ありゃー、何てこったい。求めるものは足もとに転がっていたのに、そこに辿り着くまであちこち迷い、遠回りをし、こんなに長い道のりを要してしまった。しばしの間ずしんと落ち込んでしまった。
しかし、それじゃあその遠回りがあんた辛かったのかい?というと、そうではない。それどころか、その道程こそが生きているという確かな実感を与えてくれる唯一のものだ。そういえば三國連太郎扮した阪田三吉が浜辺に這いつくばって「将棋の神様よぉ、お願ぇだーっ、おれを日本一の将棋さしにしておくんなせーっ」と咆哮する伊藤大輔かだれかの映画があった。それを見た時、「三吉さん、ひょいと願いが叶って苦もなく日本一になったりしても楽しかあないだろうに、なんで願いごとなんてするんだろう」と不思議に思った。
高度なナビシステムついた自動車でさあーっと目的地に辿り着いたとしてもあんまり楽しくはない。長い道、自分の足でてくてく汗かいて歩いていくのが楽しい。目的地にある名勝の景色より以上、通りすがりに見る路傍の草花が美しいし人の心を豊かにする。したがって目的地は遠ければ遠いほど、道のりは長けりゃ長いほどいい。
と、そんなことあえて望まなくったって、この描き直して今は輝いてる絵だって数年後には「あれ?なんでこんな絵描いたん?」と感じられるようなしょぼい絵に立派に成り下がっているだろう。そうしたらまた描き直す。終わりはない。
さて、話しがいささか大業になったが、こういう風にして40枚目の絵が完成したので、さっそく写真にとってサイトにアップした。
しばらくして先のニューヨークの人から連絡があった。買いたい絵が決まったという。彼女が数十枚ある中から選んだのは驚いたことにその描き直した絵だった。ぼくは背筋がぞっとした。さすがプロだ、なんという目の確かさだと畏れをなした。そして彼女のこと、ファッションかぶれのお調子者だとあなどっていた自分を深く恥じた。
と、まあ以上が前に書いたはなしの書き直しだ。
ところで、今回この春の個展には100点近くの作品を展示したのだけど、それらは大きく4つのカテゴリーに分類される。
1)全くの新作
2)旧作の中で「しょぼいぜ」と思い描き直したもの
3)旧作の中で「けっこういかすぜ」と思いそのまま出品したもの
4)旧作の中で「しょぼいぜ」と思ったけど描き直さず出品したもの
さて、4)は全然期待してなかったのに、1)~3)と変わりなく好いてくれる人がおり、それどころか中には一番気に入って買ってくださる方もいた。
ということは、おれの”しょぼい”は誰かの”いかす”になり得るということだ。
だとするとおれは、たくさんの誰かにとっての”いかす”を自分の楽しみだけのために描き直すことによって”しょぼい”にしてしまってるのかもしれない。
だれかにとっての菜の花畑を勝手にコンクートで埋めてしまい、そこに今流行りのカフェかなんか立ててるのかもしれない。
いったん描き終えたやつは誰かの花畑たることをそっと祈り、野に放っておいたほうがいいのだろうか...それともそれこそ身勝手な余計なお世話なんだろうか...うう、わからん。
しかし、わからんからこそこの世はいかしてるってのだけははっきりわかる気がする。
そのおかげで、おれのようなものの立つ瀬がある。
今回の曲
Metric「Sick muse」
ここ数年、絵を描きながらほとんど毎日聞いてるのが彼らMetricの曲で、なんで聞き飽きないのかとても不思議だ。ブリュッセルでのライブをうっかり行きそびれたのが今でもたいそう悔やまれる。
azisaka : 20:14
不毛地帯
2010年03月04日

今は現代美術館なんてものに変わり果ててしまったけど、むかし熊本は上通りアーケードの入り口に、”いきなり団子”(熊本名物)屋さんがあった。いつだってもうもうと湯気をあげており、すぐれた絵画や彫刻に劣らず人の心を豊かにしていた。先月、個展の搬入のためひさしぶりに大学時代を過ごした熊本へ行った。街をふらついてたらその団子屋さんがあった場所に行き着き、そうしたら思いだしたことがあるので書きます。話しの都合上、出だしがちょっと荒々しいですが勘弁してください。
大学受験ってのはでかい鉄のポンプみたいなやつだ。朝取り大根のようにみずみずしい若者の水分、すっからかんに吸い取って茶色の切り干しにしてしまう。逃れる術を知らずただ生真面目に勉強するしかなかった高校最後の半年は、潤いのないまるでタクラマカン砂漠みたいな生活だった。そんなわけだったので大学入ったら、軽いサークル掛け持ちし女の子らとはしゃぎ、勉強は適当にやって気楽に暮らしてゆこうと計画していた。ところが、新歓コンパなんかで実際そういう風に気楽にやってる先輩見たら、こんなだらっとした人間にはなりたかないよなあ、と強く思った。強く思ったまさにその隙を付け込まれ、勧誘され、気がついた時には道着きて帯びしめて、中国拳法の練習に励んでいた。
励んではいたがあんまり他の部員にはなじめなかった。一言で言うと汗臭く野暮ったい人間ばっかりだったからだ。だから部活が終わるとミーティングもそこそこに、すきっとシャワーを浴び夜の街へバイトへ出かけた。だからといって、学部にいる流行りのポストモダン本読んでるお洒落連中とは仲良かったのかというとそんなこともなく、彼らにはもっとなじめなかった。ひ弱でいかんと思った。(あ、どっちとも少し言い過ぎなので、もし誰か読んでたらすまん)
無理して一言でいうのなら、”フランス製のワークウェア粋に着て畑を耕し(あるいは魚を捕り)、その合間に分厚いロシア文学読んで「人とは何か」と自答してるような若者”たることを自分にも他人にも強く欲していた。
が、そりゃあ無理ってもんだろう。
ないものねだりで、どの場所に身を置こうともけっして深くは溶け込めず、独りぼっちだった。それで大学時代はあんまし幸福ではなかった。形は違えど、高校時代のタクラマカン砂漠同様、草木も生えねば花も咲かぬ不毛の時代だった。
さて、そんな大学生活3年目のある夜のことだ、部活の忘年会か新年会だったか忘れたが、全員しこたま飲んだ。たいそう酔っぱらって血の気が増し熊本のアーケードいっぱい横に広がり皆で肩いからせメンチきりながら歩いた。上通りの入り口にはいったとこで前方から同じくらいの年格好と人数の一団がやってきたので、これ幸いと真っ直ぐ進んでって身近なやつにごつんと肩をぶつけた。「気いつけろよぉ」と言い残しそのまま何歩か歩いたのだが、どうしたことかいきなり目の前が真っ暗になった。数十秒して気がついたら地べたに這いつくばっていて、顔上げてみたら大乱闘が繰り広げられていた。
早速立ち上がろうとする姿を皆が変な顔で見てるのでわかったのだが、あごの下からぼたぼたと血が流れ落ちていた。「ひゃあ、凶器攻撃受けたプロレスラーみたいやん」とおかしかったが、それより頭にきて「どわぁれやあぁあ!(誰だ、おれを後ろから殴った野郎は!)」とわめいた。「こうじ、こいつやぁあ!」と間髪入れずに誰かが叫んだが、それをかき消すようにパトカーのサイレンが鳴るのと「逃げろー!」「おい、兄ちゃん、こっち来い!」と腕を引っ張られるのがほぼ同時で、ありゃりゃりゃあーという感じだった。
「学生が警察の厄介になったらいかんやろ」とその男は言って、入ったことない裏通りのビル一階奥のスナックに連れて行った。なじみの店なのだろう。「ちょっと隠してやっとって」とママさんに告げるとすぐにどこかへ出て行った。ママさんに言われるがままカウンターの後ろに屈んで座ってるとパチンパチンパチンとビニール裂いて「傷口に当てときっ」とおしぼり3枚手渡してくれた。ふつうは「いらっしゃい、どうぞ」っと、1枚きりなので、特別扱いでうれしかった。他にお客さんいなさそうだし、わりと好みのタイプなので何か話しかけようとしたら「警察回ってくるかもしれんけん、しばらくじっとしとき」とやさしく強く言われた。それで黙って、やることないのでママさんの足を見ていた。1万ちょっとくらいの鶴屋(熊本にある百貨店)の1階に売ってありそうな靴だった。女の人の足をこんなに長い間見るのはそれがはじめてだった。なんでハイヒールなんて履くんやろうとか、サイズは24くらいかなとか、かけっこはそんなに速くなさそうだ、とかいろいろ考えた。まだ考えつくさぬうちに、さっきの兄さんがもどってきた。そしてカウンターごしにひょいとこちらをのぞきこんで「おい、病院いくぞ」と言った。間近で見るその顔は、腕の立つ左官屋さんのようだと思った。
「ありゃ、けっこう深かねえ、骨の見えとる...」と夜勤の医者が言った。続けて「麻酔する?」と聞かれたが、たいそう酔ってて全然痛みを感じてなかったので「あ、いいっす」と断って5針ほど縫ってもらった。
翌朝目覚めたら周囲が真っ白で、一瞬雪の中かと思ったが、真夏の病室のベッドの上だった。めちゃめちゃな二日酔いで脳みそがまるでひからびたレモンみたいになっていた。そんなパサパサ脳ミソから昨晩の記憶を最初から順番に絞り出してたら、飲み会が終わりアーケードをわがもの顔で歩き出したところ、まだその登場場面までたどり着かないうちに「よう!」とあの兄さんがはいってきた。
誰だか思い出すまで、2秒くらいかかった。あわてて、「おはようございます」と挨拶をし、続けて「きのうは、ありがとうございます」とお礼をいった。しらふで見ると彼がその筋の人間であることがアホな大学生にでもはっきりとわかった。それでひょったしたら、たくさんお金とか請求されるんじゃあなかろうかとびびった。びびってたら「ほら、アイス」といってアイスクリームをくれた。
いっしょにアイスを食べながら10分くらい話しをしたけど、アイスの種類も話しの内容もすっかり忘れてしまった。「ここ、おれの顔きくけん、心配せんでよか」と言うと名も告げぬまま去って行ってしまった。
そんなことがあったので、あごの左下のとこには傷跡が残っている。そこだけ白く細長い線が引かれていて髭が生えてこない。あんまりいいことがなかった大学時代を象徴するような不毛の場所だ。仕事柄、一週間に一回くらいしか髭をそらないし鏡もめったに見ないので、その不毛地帯を意識することなんてめったにない。めったにないんだけど、今やそれなくしては顔も人生も成り立たぬ、大切なものだ。
今回の曲
Grace Jones 「La vie en rose」
エディット・ピアフの原曲を聞く前にこっちを聞いた。「人生はばら色だ!」と何度も繰り返し絶唱するのを聞いてたら、なぜかしらん自分の未来をぎゅうと抱きしめたくなった。そのことが大学卒業後パリに行くきっかけのうちのひとつとなった。
azisaka : 15:55
春個展のお知らせ
2010年02月06日

アジサカコウジ新旧作混合春個展「クロアカキシロ」
2003年より2008年までの6年間毎年夏に行った個展で発表した旧作品と、2009年に描いた未発表の新作数十点を合わせて展示します。個展のタイトル「クロアカキシロ」というのは”黒赤黄白”のことで、ベルギーと日本の国旗の色からとってつけました。なぜならこれらの展示作品を描いてた6年間のうち、はじめの3年がベルギー、あとの3年が日本にいたからです。
個展はまず熊本、つづいて福岡と巡回します。
熊本はいつもの”カフェOrange"で、選りすぐりを40点ほど展示する予定です。
福岡については、今回縁あって同時に3カ所で展示を行います。それぞれの場所に合わせて作品を選び、各場所30点くらい展示するつもりです。
以下、おおまかに説明します。
1)亞廊(あろう)
中央区は薬院にできた新しいギャラリーです。ここでは、何となくかわいくてキュートな、女の子度数が高い作品を展示します。
2)QULTEROOM(キュルトルーム)
福岡を拠点にコレクションを発表する服のブランド"GROU"のアトリエ兼ショールームです。ここでは比較的切れのいい、スタイリッシュな(と勝手に自分が感じる)作品を展示します。
3)キューブリックギャラリー
JR箱崎駅近くの本屋さん”キューブリック”の2階にあるギャラリーです。ここでは、物語性の高いものやコミカルなものを展示します。
<熊本展 >
2010年2月18日(木)~3月14日(日)
・カフェOrange
熊本県熊本市新市街6-22
096-355-1276
11:30~21:30(金・土曜日22:30)
定休日:ナシ
<福岡展>
2010年3月20日(土)~4月18日(日)
・ギャラリィ亞廊
福岡市中央区平尾1-4-7 土橋ビル307
092-523-7736
11:00~19:00
定休日:火、水曜日
・QULTEROOM
福岡市東区箱崎3-9-38 明石ビル2F
土、日のみ営業
12:00~21:00
・ブックスキューブリック箱崎店 2Fギャラリー
福岡市東区箱崎1丁目5-14ベルニード箱崎2F
092-645-0630
11:00~20:00
定休日:月曜日
*個展期間中はよっぽどの事がない限り週末は、各会場またはその周辺におりますので、「よう!」と気軽に声をおかけください。
とはいっても福岡は3つの場所でやりますので、それは困難。したがって、土曜日は「ギャラリィ亞廊」のある薬院、日曜日は他の二つの会場がある箱崎界隈にいるつもりです。熊本はオレンジで猫と遊ぶかアーケードを散歩してるはずです。
*展示作品は販売します。大きさなどによって値段が異なりますが、小さいものが4~6万、中くらいのが8~12万、大きいのが15万~といった感じです。もちろん、後払いや分割払いオッケーです。
*一昨年より描いてるパノラマ状のでっかい作品はまだ制作途中で、今年の夏に行う個展で発表するつもりです。
*浅川マキの歌の中では「紀伊国屋ライブ」のB面の最初に入ってる「少年」という歌が最も好きです。薬院の「木賊」のカウンターでイタリア娘3人相手に日本の代表曲だといって歌ったことがあります。
azisaka : 09:15
エタベックブルー
2010年01月30日

ベルギーに来て幾日かが過ぎ、年が明けるとちょっぴり寒さが和らいだ。雪が溶け始め通りが黒く澱んでくる。歩くとぐっちゃぐっちゃで不愉快になってしまうので、あんまし外出する気が起こらない。しかしその晩は友人宅に招かれていたので、泥雪の深みにはまらないよう、右へ左へとぴょんぴょん跳ねるようにしてトラム(路面電車)の駅へと向かった。今回一足だけ持参のお気に入りのスニーカーが中の踵のとこまでぐっちょりになる頃、彼らの家に着いた。
ワイン飲みながらひとしきり話した後、レンズ豆のグラタンを食べた。熱々でたいそううまかった。ところであんまし大切な事ではないけれど、フランス語ではレンズ豆もコンタクトレンズもどちらも”lentille”という。なので、「しまった”lentille”落とした!」と言うと、落としたのがコンタクトか豆か判別がつかなくて困る。ついでに言うと、サラダで食べるアボカドも裁判所にいる弁護士もどちらも同じ”avocat”なので、発音する度に変な感じがする。
さて、会わないでいた1年半分の話しを次から次にやっていて気がつくとトラムの最終が出そうな時間になっていた。半乾きの靴履いて「そいじゃあまた来年か再来年なー」と抱き合いビズして(言うまでもなくこちらの人々は、会ったり別れたりする度にビズ(キス)し合う。)停留所へといそいだ。
歩き始めると間もなく、こめかみから首すじにさらさらさらさらと流れ落ちてくるものがあるのに気がついた。そんな感じ今まで経験したことないので何かしらんと夜空を見上げると、街灯にほんの小さな白い粒が無数に照らし出されている。雪にしてはあまりに細かいが、かといって霰(あられ)でも雹(ひょう)でもないだろう。ともかく九州育ちのおれがまだ知らぬ雨冠のついた何物かに違いない。それがあとからあとから落ちてきては坊主頭をやさしく撫でている。いったいなんだろ、このさらさらした粉状のものは?
「ああ、そうか...ははは」生まれて初めて見る粉雪だった。
翌朝目が覚めると、溶け始めた雪で濁ってた街がまた真白になっていた。しかし、なんか普段と違う。
いつも目にする積雪の光がキラキラまばゆく輝く蛍光灯なら、今朝積もった雪が放つ光はおだやかで白熱電球みたいだ。いつもの雪の白がパソコンの画面で見るよな白だとしたら、昨晩降った雪が積もって作る白は、古い8ミリフィルムで見る白みたいだ。
つまり、雪の肌が普段見知ったものよりもっとあたたかで柔らかい感じがする。水でこねて上等のシフォンケーキができそうだ。
粉雪っていうのは、なんとふんわかしてるものなのだろう。
まあそんな具合なので、通りは純白で上等のカシミアセーターまとったみたい、停まった車はきちんと整列してる大きな白猫のようだった。
上機嫌になり朝ご飯食べたらすぐ、その白猫らの背中を手のひらでパンっとたたいて雪の粉舞い散らせながら、地下鉄の駅へと向かった。プールへ泳ぎに行くのだ。初泳ぎはやっぱ、こんな特別の日じゃあなきゃあ納まらんやろうと思った。
今回の滞在中は過去に通い慣れたプールじゃなく、意を決して雰囲気がいいと評判の新しくできたプールへ行くことにした。
スタバ同様、プールは世界中どこいったってそれ自体は同じだ。(たいていは大きな四角い箱に水が溜めてあり、縦にロープを渡すことでコースに仕切られている。そのコースを左回りに泳いだり歩いたりする。)しかし、その四角い箱にたどり着くまでがそんなに簡単ではない。プールごとに独自のしくみというか作法みたいなものがあり、慣れないととまどってしまう。今までけっこういろんなとこで泳いでるんだけど、おおかた最初の場所ではうまくいかずあたふたしてしまう。
そのプールは街中から幾分離れたなじみのない地区にあった。トラム乗り継いで近くまで来たはいいが見つからないので登校中の小坊つかまえ「おはよっ、プールどこか教えてくれ」と聞いた。すると、「ああ、エタベックね、それなら、あそこ左曲がったとこ」と指さすのでその方に向かった。向かいながら、ああ、そうやった、ここベルギーでは市民プールに”カリプソ”だとか”マリブ”だとか名前をつけ、その名で呼び習わしてるのだということを思い出した。このプールの名はエタベックというわけだ。エタベックよ、どうかおれをすんなり泳がせてくれよ。
中へ入り階段のぼるとエントランスホールがありその奥に受付らしきものが見えた。どこにも券売機はない様子なので、入場券は受付で買うのだろう。近づくと髪の短いジョニ・ミッチェルのような女の人が爪の手入れをしていた。このような場所ではたいてい、ベルフラ人(ベルギーやフランス人)は自分の仕事以外のこと(おしゃべりとかクロスワードパズルなんか)に熱中してるので、じゃましてごめんねという感じで、「ボンジュール、大人一枚お願いします」と声をかけた。すると目は爪を向いたまま「地区内?」と聞くので「地区外」とすかさず答えた。以前、どうせばれやしまいと何サンチームか得したいばかりに「地区内(に現住所がある)」と答えた結果、滞在許可証の提示を求められたので今回は正直で通した。言われるがまま3ユーロ払うと、ぼんっとプラスチックでできたカードを渡された。
「ははん、最新ってったって前通ってたとこと同じだな...」このカードが今日ここに入ってから出るまでのおれのパスポートとなるわけだ。つまり、このカードを機械に通して入場ゲートを通過。通過したら出てきたカードを受け取り、更衣室へ。水着に着替えたら、脱いだ服やバッグを持って行ってロッカーへ入れる。個々のロッカーにはカードの挿し入れ口があろうから、自分のカードを挿して鍵を閉める。鍵を足首に巻いてシャワー浴びたら、あとはすいすい泳ぐだけだ。泳ぎ終えたのなら、今の手順を逆にやれば無事、泳ぎ初め終了だ。
「無愛想なジョニ~、そんなんじゃモテないぜベイビー、ラララ~」と鼻歌うたいながら、シュタッとカードを機械に通しクルっと回転扉抜けて第一関門突破。サッと出てきたカードを受け取り、サッと出てきた...あ、う、カードが出てこない。というか、カードの排出口が見当たらない。一般的には、挿入口の反対側に排出口があるはずなんだけど...しかし、ここはベルギーで、ジョニが住む土地だ、おれの中の”一般的”は通じない。それで、ひょっとしたらカードは長い滑り台みたいなものを通過して三方にある壁のどこからか出てくるんじゃあなかろうかと目を凝らす。が、それらしきものもない。やや不安になる。いや、まてよ、そうだ、奥のドアを開けて更衣室に入って、そこでカードを受け取るのだ、さすがに最新式は違うぜ、と納得して扉を開けた。
更衣室は見慣れたものだった。長方形の部屋の真ん中に左右に扉がついた着替え用の個室が並んでるやつだ。こちらから入って水着に着替え、あちら側からでる仕組みだ。しかし、カード取り出し口が見当たらない、ロッカーはどう使うんだろ?あ、掃除のおじさんがいる、聞いてみよう、とあちら側に渡ったら、「ムッシュウ!チッチッチッ」と人差し指立て怒られた。うわ、なにか間違えたのか?とびびってたら、メトロノームみたいに揺れてた人差し指が今度は足元を指した。ああ、そうかあちら側は土禁なのだ。「今きれいに拭いたばっかりなのに、新参者めが土足で歩きやがって」というような形相で睨んでる。「いやあ、初めてなもんで申し訳ない。ところでロッカーはどうやって使うんですか?」と謝りかつ尋ねた。すると「1ユーロ!」とまた人差し指を立てたので、ああ、そうかカードじゃなくてコインを使うのだなと合点して、「メルシ!」と礼を言い足早に個室に入った。すでに五百泳いだくらい疲れてしまった。
が、へこんでたって仕様がない。気をとりなおすとすばやくベルプル用(ベルギーのプール用)にと新調したオーシャンブルーの海パンに着替えた。間髪入れずに脱いだ衣類や靴、バッグをてきぱきとまとめ、右端の一番上の51番のロッカーに放り込む。そしてサっと財布から1ユーロ取り出し、サっと財布から1ユーロ...う、げ、1ユーロがない...
それでオーシャンブルーのまま回転扉から外へ出て、まだ爪やってるジョニに頭下げ両替してもらわねなければならなかった。が、当然のごとく彼女は小銭を切らしている。めんどくさそうに併設のカフェに両替しに行った。そしたら彼女と入れかわるように、中学生の団体が体育の授業でどやどやと入って来た。
エントランスホール。無人の受付。海パンいっちょうのアジア男がひとり。
ジョニはなかなか戻ってこない、中坊らがクスクス笑いながらこちらを見る...
まあ、そんな若干しんどい出来事があったものの、シャワー浴びて軽く準備体操しプールサイドへ出たとたん、すっかり忘れてしまった。どこもかしこも新しくてピッカピカ、水は透き通り泳いでる人が宙に浮いてるみたい。しかも早朝のことで人は少ない。「ジョニ~、ジョニジョニ~、君のプールは最高さぁ」と歌いながら誰も泳いでない一番端の7コースへちゃぷんと入った。その途端、ピーッ、ピピピーッツ!とけたたましく笛が鳴った。
びっくりして見ると監視員のひとりがまたまた人差し指を立て、チッチッチッとやりながらこちらに近づいてくる。そうして、とてもとーっても偉そうに「学校用!」と一言いった。このコース、さっきの中坊たちが授業で使うらしい。ゴボっともぐって隣のコースへ移動した。
泳いでたら、ひどい時差ぼけと寒さでささくれていた身体にやっとこさ生気が戻ってきた。
今回の曲
Sparks and Rita Mitsouko 「Singing in the Shower」
プール行ってシャワー浴びるとき口ずさむマイ鼻歌ベスト10の常に上位にランクされる名曲。なんちゅうギターのかっこよさや。
azisaka : 09:07
ふぶきのなか
2010年01月12日

こんなにとてつもなく寒い冬は50年ぶりだというベルギーに年末から来ている。着いた日がちょうどその極寒の始まりの日だった。
先の晩秋、長崎はとってもあたたかで11月末だというのに南東向きの仕事場は、お陽様キラキラ空気ほかほか、暖房なしのスウェット一枚で作業をすることができた。このまま年末までどこにもいかず淡々と仕事をこなし、正月は前の年と同様、実家でこたつで猫とごろんして読書三昧だ、ふふふ。と思ってたらひょんなことから急遽ベルギーに行くことになった。冬のヨーロッパはだいっきらいで叶うことなら関わりあいになりたくなかったのだが、仕方がないので腹をくくってホッカイロをたくさん買って飛行機に乗った。
機内食を食べる度おなかの調子が変になるので、今回はたわむれに生野菜のベジタリアンメニューを頼んでみておいた。そしたら出てきたのはほんとのほんとに生野菜を切ったのとパンが一個だけだった。その野菜もサラダボールにいっぱいというわけでは無論なくって小さなトレイに落ちた花びらみたい、はらりとほんの少しだけ盛られてる。ちょっと悲しくなった。けれども、まあそりゃあそうだよなと納得して栄養素をあらんかぎり体内に取り込もうと、これ以上ないくらいゆっくり噛んで食べた。そうしてたら、坊主頭と生野菜と妙にゆったりとした動作がほんとの坊主に見えたのか、かしこまった口調でスチュワーデスさんの一人が、「それではあまりに少ないのでご飯をお持ちしましょう」とささやくように言った。
しばらくしてレトルトご飯を運んでくると「このままじゃあなんですので空いたトレイによそいましょう」と腰を低くするので、あわてて「私、自分でやります、結構です」と辞退した。”私”なんて日常で使うの生まれて初めてだったので、レタスをおかずにご飯たべながら独り笑った。そいでもってせっかくなのでこの機会にこの機内の中では、ほんとうの坊さんみたいに振る舞うことにした。つまり食べ終わったトレイをきちんと片付け、歯を磨き顔を洗い、身の回りをスッキリ整頓し靴を脱いできれいに揃えた後、毛布をきっちり半分に折って膝から下にかけ、背筋をしゃんとして目を閉じた。
ふふっ、誰がどうみても修行僧の佇まいだな,,,とひとりごちてると、まだ早い時間なのにえらくすんなり眠気が訪れてきた。不思議に思いながらもまどろんでてはっと気がついた。それもそのはず、野菜食べながらワインの小ビンおかわりして4本も空けたのだった。酔った坊主じゃあ話しにならん。ぐーすか寝て起きた時には毛布がだらしなく床に落ちていた。
そんなささやかな事件がモンゴルかロシアの上空であった後、経由地であるアムステルダムに到着した。乗り継ぎの時間が少ししかなかったので足早に入管ゲートに行くとすごい人の数だ。近所のスーパーだろうが郵便局だろうが、最も進むのが遅い列に吸い寄せられるように並んでしまうという難儀な習性をもっているので、この非常時に選んだ列も、動作が緩慢で無駄話の多い間の抜けたような管理官が担当している列だった。遅い、とにかく遅い。となりの列の先頭ではずいぶん後からきて並んだブルーネットの娘がもうすでに笑顔でパスポート出している。こんちくしょう、あっのいんちき売女野郎めが...はなはだ理不尽なことではあるが、こんなときには他の列の人たちがなんだか嘘つきで卑怯なやつに見えてしまう。でもって、自分の列の人々は正直で誠実な人間に見える。ううう、あと搭乗時間まで10分しかない...
それでもなんとか入管を通過して数分遅れで搭乗ゲートにたどり着いた。が、あたふたと駆け込んだというのにまだ手続きは始まっていなかった。どうやら出発が遅れているみたいだ。いったいどうしたんだろう?しかし、あわてて損しちまったよなあ、とため息をついてなにげに窓の外をみて驚いた。
吹雪だ。それも、古いロシア映画でしか見たことないような正真正銘の、ビュウウウぅうううーっ、っていうすごいやつだ。うひゃあ、これじゃあ飛行機、飛ばんやろう。しかし、どうなるんだろ?
と、責任者らしき人が前に進み出てきた。美しい青のオランダ航空の制服着た、太ったシャーロット・ランプリングみたいな女の人だった。なかなか頼りになりそうで安心した。彼女は手をあげ「えっとー、バスでブリュッセルまで行く人は私について来てくださーい」といった。うひゃあ、12時間飛行のあと4時間半、バスに乗るんかよぉ、荷物はどうすんだろ?飛行機なら数十分でひとっ飛びなのに何てこったい...
背中に容量80リットルのリュック、肩に10キロのショルダーバック、右手に20キロのトランク引いて、その吹雪の中をバス乗り場まで歩いた。(なんで乗り場が外にあってしかも離れてるんだよ!と全霊をかけて呪った)とにもかくにも寒い。薄いセーターにパーカーだけの身体は何とか凍るまいと全力で対応するのだけど、いきなりの氷点下にパニック状態、鼻汁と涙があふれ、手足がしびれ、はげしい悪寒にかがみ込んでしまいそうになる。ようやくバスに乗り席に着いても、氷でできた服を着てるような寒気はなかなかとれなかった。
まもなく分厚いコート着たシャーロットが乗ってきて名簿と人員を照らし合わせた後、サンドイッチが配られた。パサパサのパンにチーズが挟んであるだけのかなしいやつだった。「こんなことになって、ごめんなさい。では、みなさんお元気で」と言い残すと彼女は職場へともどっていった。
吹雪の中を高速バスが走る。
ようやくあたたかくなって丸めた身体をのばしてふと見ると、通路を隔てた向こう側、黒人の少年がひとり電灯に照らされている。彼以外はそれぞれの長旅に憔悴し消灯し寝息をたて始めているというのに、彼だけが窓を覆う雪の真白を背景に黒く浮かび上がっている。雪の世界をそこだけ深くえぐったみたいにくっきりと力強い。背筋をしゃんと伸ばし、本とノートを脇に広げ何やら勉強をしている。そういえばベルギーではクリスマス前に期末テストがあるはずだ。まだ12、3歳くらいだろうに一人旅。故郷のコンゴへ帰省した帰りだろうか...それにしても、疲れてるだろうに、偉いなあ...と感心してたらいつのまにかうとうとしてしまった。数十分は寝たと思うが、目を覚まし見やるとまだ勉強を続けている。
たいしたもんだ...そう強く感じ思わず「よく勉強するなあ、すごいなあ君は」とフランス語で話しかけた。すると顔をあげてにこっと笑ったが、本の表紙の文字はオランダ語だった。それで英語で同じこと繰り返すと、またにこっと笑った。こちらも笑顔を返して彼の手元をよく見たら持ってるのはポケモンの柄の着いた鉛筆だった。ポケモンはドラゴンボールなどと同様、ここヨーロッパでも大人気なんだけど、それを見たら急に親しみが湧いてきて、彼に何か自国のものを無性にあげたくなった。
それで、リュックの中に何かマンガキャラクターのついたものがなかっただろうかと思い返してはみたものの、筆箱もお菓子もキーホルダーもこれといったものは何にもない。ちくしょう、こんな肝心な時にあげるものがなんにもないなんて情けない。何かないかなあ何か...とさらに頭をひねってようやっと見つけた。
「ちょっと待っててくれ」と言ってリュックからホッカイロひとつとって袋をやぶいてシールをはがし、おなかのとこに貼って見せた。そうして彼にも同様にするようにと手渡した。手渡すと勝手に安心して、また眠気がずうんとおそってきた。今度のは本格的だった。
周囲のざわめきに目を覚ますと、バスはすでに到着地点であるブリュッセルの空港の敷地内に入っていた。まもなく停車すると、前の人から順に下り始めた。
先に立ち上がった少年はまだ座ってるぼくのほうに少し近づくと、お腹のとこをぽんぽんとたたいて「ホット、ホット!サンキュー!」と言って笑った。それでこちらも笑って「ヤァー、グッドラック!」といって握手した。
ほんとうに、グッドラックよ彼に訪れよ!だ。
深夜吹雪のバスの中、とぼしい明かりで勉学にはげむ、こんな少年こそ幸せにならんといかん。
そうでなきゃあ、世界がうまく立ちいかんだろう、と思った。
今回の曲
Ersatz Musica「winter 19...」
ブリュッセルのCD屋さんで試聴し惚れて買った今年最初のCD。その9番目にはいってた曲。
Ersatz Musicaはベルリンへ亡命してきたロシア人からなる楽団で、東欧やジプシーの音楽専門のドイツのレーベル“Asphalt Tango”から数枚CDを出している。
この曲は冬を歌ったものだろうけど、ボーカルIrinaさんの何とも味わいのあるロシア語の歌声が大地踏みしめゆったり歩く馬の蹄みたい。ポッカポッカと響いて耳の穴からしみ込んで身体全体をあっためてくれる。
azisaka : 05:59
トニオ・クレーゲル
2009年12月01日

中学2年のころのはなしだ。母の知り合いにO先生という人がいた。空手の有段者で、地元の商業高校で数学を教える傍ら部活で空手を教えていた。ある日曜の午後マンガ読んでたら「あんたO先生のとこ空手、習いに行かん?~くんと、~ちゃんもいっしょよ」と長電話終えた母が言った。「げげー、やだよー」と反抗してはみたが結局そのふたりの~らと毎週末、空手を習い始めることになった。
3人して緊張して高校の小体育館に行くと部員はたったの5人だった。男3人に女がふたり。アスパラガスみたいな中坊のおれらに比べ、男らはじゃがいもみたいにどっしりたくましく、足に毛がいっぱい生えていた。女らは朝穫ったばかりの大根みたいにふくよかで色っぽかった。
何回か通うと、組み手もやるようになった。受けたり受けられたりするのだが、とても痛かった。高校の兄ちゃんらの腕や足というのはどうしてこうも太くて固いのだろうと閉口した。姉ちゃんたちも、所詮女だと見くびってたらやはり痛かった。手足はよくしなる竹の棒みたい。ひゅんと飛んできてぱんっと打たれ骨身がきしんだ。けれどもその胸の部分は言いようもなく柔らかく、放った突きが誤って当たろうものなら何とも言えぬ感触にたじろいだ。拳の先にまだ知らぬ豊かな世界が存在するのを実感し、一瞬気が遠くなった。
そんな風にして毎週末続けてたら稽古がけっこう楽しくなってきた。痛いしきついし型をやるのは退屈だったけど、組み手が面白かった。間の取り合い技の掛け合いに熱中し、一本をとったときの爽快さに気分を良くした。
かといって週に一回の稽古にあきたらず本格的に町の道場に通いだしたのかといえばそうでもなく、その場にとどまった。O先生に習うというのが心地よかったからだ。彼の人柄を好いた。
この空手の集まりは高校の正規の部活動としては認められてはおらずO先生が個人の意思でやっていた。だから彼の都合でいつ消えてなくなってもよかった。しかし集まりが数人でも、ひとりのときでさえも、毎週O先生は自分の空手教室を開いた。数年して高校の小体育館が取り壊され使えなくなると、はじめ貸し倉庫、幼稚園の講堂、町の公民館と場所が移って引き続き行われた。そうこうするうち教室のことはしだいに口から口へと評判となり、人が多く集まるようになった。いつの間にか小中学生が増え、高校生はぼくらだけになった。
高2になると学校の部活が忙しくなって足が遠のき、いつの間にか行かなくなった。
大人になってから、なんでO先生はあんなにまじめに毎週毎週、教室を開いていたのだろうかと不思議に思った。月謝なんか最初はなかったし、それを見かねた父兄が相談して集めるようになった”お礼”の金額も微々たるものだった。そんなことより大切な日曜日の午後のこと、他の用事や自分の家族へのサービスなんかがあっただろうに。空手教えるのを優先していたのにはどんな思いが胸中にあったのだろう。いつか機会があったら聞いてみたいもんだと思った。
ところでこの空手の教室について、冬になる度思い出すことがある。始めて2年目、雪の日の稽古のことだ。その時分道場としてつかっていた貸し倉庫に行くと、集まったのはぼくら中学生3人だけだった。O先生は少し遅れてやってくるなり真顔で唐突に、ようし今日は公園で特訓だ!といった。ふり返れば、このとき彼に何か自分を律する必要があったのかもしれぬと思うが、その時はただおのが身を案じるより他なかった。だって晴れてるとはいえ、雪の上を裸足で稽古だ。
強烈に寒かった。しばらく動いてたらなんとか身体は火照ってきたけれど、とにかく足が冷たい。というか、冷たそうだ。なにしろ感覚麻痺してるんで、熱いのか冷たいのかわかんなかった。ちょっと涙目になったが、誰も泣き言をいわなかった。体力も学力も好きなマンガも異なる3人だが、こういう時に弱音を吐くのは意気地なしだとの思いは共通していた。白く濃い息と気合いだけを吐き続けた。
そうやって淡々と突きけり繰り返してたら、わあ、何だいこの感じ!たいへん気分が高揚し、すごく清々しい心持ちになってきた。頭上の青空みたいにこころが澄んできた。とっても心地よく、いつまでだって続けられそうだ。
しかし気づくと、いつのまにか時はたち稽古は終わりになった。
「正座ーっ!」「神前に礼!」「お互いに、礼!」「あれ?」「だれ?」
礼をして顔を上げると、前にしわくちゃのじいちゃんが立っている。
じいちゃんは「よお寒かとにがんばったねえ、芋ば食べに来んね?(よく寒いのにがんばったね、芋を食べに来ませんか?)」と言った。
公園の地続きに小屋みたいな家がたっていた。案内されるがままお湯で足を洗い、干し柿の色と匂いのするこたつにはいった。こたつの中でしもやけの足と足がぶつかって、ぎゃっと悲鳴をあげた。
芋は熱くて甘くてうまかった。じいちゃんは空手の教室のことやぼくらの学校、O先生の身の上など、いろんなことについて質問し、「ほぉ、ほぉ」「近頃はなあ」「そがんですかぁ」と熱心に聞きいっていた。年寄りというものはだいたい自分のこと、かつての仕事の苦労話や戦争や持病のことをのべつまくなく話すものだと思っていたのに、このじいちゃんは何でもかんでも聞きたがった。はなしを聞くのがこの上もなく楽しそうで、ぼくらを離すまいと芋の次はじいちゃんお菓子(つまり、甘納豆やカンロ飴や横綱あられ)を運んできた。ぼくらも依然として興奮していたので、我先にといろんなことをはなした。しかしものの30分もしないうち、親が心配するからということでおいとますることになった。
「ごちそうさまでした」「ほんとにありがとうございました。また、遊びに来ます」といって立ち去った。
もちろん”また”なんてなくって、じいちゃんとはそれっきりだった。もうとうにこの世にはいないだろう。なんであの時ぼくらばっかり話して、じいちゃんのことを聞かなかったのだろうとその後何遍も後悔した。ぼくらの前に現れ芋をさし出すまでに、いったいいかなる人生があったものか。聞いたのならおそらくはどんな小説よりも味わい深いものだっただろう。しかしそうしなかったので、じいちゃんはただの芋のじいちゃんだ。でも同時に、芋といえばそのじいちゃんだ。後年、蒸かしたさつまいもを食べるたびに彼の姿が眼に浮かんだ。干し柿こたつとしもやけと澄んだ青空を思い出し、ほっこり、いかした詩の一編でも読んだ心地になる。
ところでここで話しはいきなり最近のことに飛ぶ。去年の師走のことだ。久方ぶりに実家に帰省した。マンガ読んでたら「あ、こうじ、ちょっとごめんみりん買って来て」と母がいうので、スーパーに買いに行った。支払い済ませてふと見ると一番向うの端、買ったものを袋に詰める作業台のとこにO先生が立っていた。持参の買いもの袋をひろげ、レジに並んでる妻を待っている。背筋がしゃんと伸びて道場にいるみたいだ。おだやかなまなざしで妻を見守っている。その姿によって、数年前定年退職されたこと、二人の子供はそれぞれ結婚し今は夫婦ふたり暮らしであること、ごく最近まで空手の教室を続けられていたこと、などが想像された。会わないでいた25年間の彼の人生がくっきりとその姿に見てとれた。
あっちこっちに移り住みあっちこっちに駄作や駄文を連ね、ころころ変化して生きてるぼくが小さなデジタル電化製品みたいなものだとするなら、ひとところにとどまりひとつの仕事を為しそこで自分の生を充実させてきた彼はぼくの目には大きな銀杏の樹のごとく映った。そのはっきりとした輪郭に向かって遠くから一礼をすると黙って立ち去った。
帰ってそのことを母に告げると「あんた相変わらず変わりもんやねえ、話しかけたらそりゃあ先生喜ばれたやろうに」と言われた。
ときどき、影響を受けた人物を教えて下さいと聞かれる。よく知られた人の名を上げ連ねるのは簡単だけど、特には答えないことが多い。自分の生活の中で実際に会った人たち、空手の先生や芋のじいちゃんみたいな人たちに比べると、著名な人々からの影響はさして大きくはないと感じるからだ。
むかし犬養道子が「世界」かどこかに「外国の人を日本に招待するとしたら季節は冬にかぎる」というようなこと書いてるのを読んで、「ふん、お金持ちのお嬢さんが何をたわけた事を、季節はいつだって夏に決まってるぜ」と思ったが、ヨーロッパに7年ほど暮らしてみて日本の冬の類いまれなすばらしさが身にしみてわかった。一言で言うなら、キッパリしているのだ。とっても寒いが空はどこまでも青く空気は澄んで光に満ちている。西洋のどんより暗くて重たくてただただ寒い冬とは大違いだ。もしも、宇宙「冬」選手権大会とかがあったのなら、地球代表は日本の冬を置いて他にはないと思う。カナダやオーストリアなんかの冬も少しは健闘しそうだが、ベルギーやパリの冬なんてのはまるっきり予選落ちだ。
そんないかした本邦の冬が訪れる今頃になると、この曲がひんぱんに鼻歌にかかる。冬のキラキラした感じがよく出てると思う。
azisaka : 18:10
奇長山
2009年11月11日

ベルギー暮らしの後、長崎の地を新しい住処に選んだのには36個ばかり理由があった。1から5までは秘密で(ふふふ)、20以降は話してもさして面白くはない。それで今回は、その6とその11のことを書こうと思う。
まず、長崎を選んだ6番目の理由。それは、買いものをするのに心地がいい商店街(市場)がいくつかあったことだ。魚は魚屋、野菜は八百屋、金物は金物屋で買うことができる。すなわち、食べものは食べ方を、金物は使い方を、売ってる人に聞きながら買いものすることができる。「生姜の酢漬けってどうやるんだっけ?」とネットでさがせばレシピがすぐにでてくるが、八百屋のおばちゃんにそう聞くと、「にいちゃん2、3日待たんね!新生姜が出るけん」と助言される。あるいは、「こっちも食べてみんね」と自家製ラッキョウを買わされる。他の人はどうかしらないが、生姜求めて行ったのにらっきょう下げて帰宅するといような予想外の出来事は生活の中に必要だ。むろんネットサーフィンでも、当初検索したのとはまるっきり違うものにたどり着くという醍醐味はあるだろう。しかし、それはいかんせん単なる情報に過ぎない。らっきょうの匂いと味がしない。
とはいっても、会社勤めの人であったらそんな悠長な買いものの仕方は難しかろう。第一、仕事終わる頃には小さな個人商店は閉まってるし、開いてたとしてもおばちゃんの話し聞く気力なんて残ってない。何でも揃うスーパーでさっさと済ませるのが普通だ。自由業者のみ為せることで、それはなんだか申し訳ないと思う。しかしこちらとしても、毎日のんびり買いものを楽しんでるわけではない。仕事の合間、人の少ない午前中にぱぱっと梯子してささっとすませる。
さてつづいて、長崎に住みたくなった11番目の理由。それはここの街並みに惹かれたからだ。入り組んだ土地に神社や寺、洋館や老舗、古くて美しいものが比較的たくさん残っている。歩いてて気持ちがいい。しかし、とりわけ心を動かすのはそのような「名所」ではない。それは、無名の民家の数々だ。急な勾配のわずかばかりの土地にへばりついて立っている、人の住む家だ。それはまるで、断崖絶壁をよじのぼる登山家のように見える。なんでそうまでしてこんな場所に建ってるんだ、と問いかけたくなる。土地がいびつなので、それに合わせてつくられる家屋の形もへんてこ、奇妙でどれひとつ似たようなものがない。平坦な土地にすらっと居並ぶ建売り住宅とは大きく異なる。しかも年数を経たものが多い(最近ひとは”下界”のマンションを買って住む)ので、あちこち建て増しつぎはぎだらけだ。強い風で屋根が飛ぶ、激しい雨で裏の土手が崩れる、子供が成長する、じいちゃんが逝く、定年して野菜作りはじめる、その度ごとに家の造形が変わる。少々のことは専門家には頼まず住む人自らが修繕するので、ありもの利用で規格外、つたないが破天荒だ。
そのようにして手のかかった家の有様は見る人を感動させる。なぜならその形や色に、住む人の心が現れているからだ。その点において、その家はすぐれた芸術作品となんら変わることがない。
美術館に行き”絵”を見るのにはお金がいるが、散歩にはいらぬ。ちょいと坂を駆け上がりひょいと角を曲がると突然、どの画集にもサイトにも載ってない、どでかい”絵”がズババンと空中に掛かっている。最初のうちはひゃあとたまげてひっくり返り、坂を転げ落ちそうになった。しかも、よく見るならそれぞれの絵にはおのおの固有の、風変わりな額縁が周りを囲んでいる。囲んでいるというか、ぐるぐる回っている。木や金属ではない、もっと柔らかいもの。猫だ。いかした家にはいかした猫が数匹住み着いてて、その家の見栄えをさらに良くしている。
ところが非常に悲しいことに、そんなふつうの家々は保存されはしない。保存されるのは、神社仏閣や教会、貿易商や文学者、幕末志士の旧居なんかで、歴史にちょっとばかし名を残した人たちの暮らしぶりだけだ。しかし、彼らは他人。おれが知りたいのは自分と直接つながる先祖、つまりそこらにいた普通のおじちゃんおばちゃんのたちの生活だ。名もなき彼らが如何に生きていたかだ。手に触れたいのは宮大工が為す美しく反り返った梁(はり)ではなく、おっさんが100均ショップの材料駆使して補修した雨樋(あまどい)だ。
と、いきりたってみてもまあしょうがない。”昭和の懐かしい風景”とか”レトロな建築”とかいう言葉からさえこぼれ落ちてしまうようなそんな建物は、こぼれ落ちてしまうがゆえに、人のこころを惹くのだろう。保存されずただ朽ちて壊されるゆえに、とっても愛らしいのだろう。
こんな心持ちで4年前、長崎に住み始めた。そうしてまもなく、住むからにはまずこの町にあいさつ、というか仁義を切ることが大切だという気がした。覚悟を見せて了解を得なくちゃいけない。それで次の個展には、長崎の町並みを描くことにした。町並みの中、人物がひとり立っているという連作を試みることにした。日頃、人物を描くのは好きだが背景描くのはあんまり心がときめかずおっくうだったので、いやいや始めた。
谷川俊太郎さんがどこかで、詩を書く時は「”書きたい”と同時に”書く必要がある”と感じたことを書きます。どちらかひとつじゃ、いけません」という風なことを話されてたけど、そのときは、長崎の町を描く必要性がとても高かった。
「気があんまし進まんけど、あんたがそこまで言うのなら、描こうじゃないか」という感じだ。
”あんた”って誰やねん?というはなしだが、おれにもどこの誰かわからない。とにかくどっかに”あんた”がいてときどき指図する。
黙々と描いた。撮ってきた写真を見て頭の中でいろんな要素をコラージュしながらせっせと描き進めた。そうするうちあらまあなんて不思議、最初はただ面倒なだけだった背景を描くのが楽しくなってきた。無意識に背景の大半を占める家々をまるで人の顔を描くように描くようになってきたからだ。人の額(ひたい)に陰影をつけるように家の軒下に陰影をつけ、髪の毛描くように屋根瓦を描き、唇に紅色さすように郵便受けに紅色をさすようになった。
描きながら、”あんた”がおれに町を描くのを勧めたのはこういうことやったのかぁ、と納得した。
そんな絵を40枚くらい仕上げて展示した。
個展のタイトルは「長崎」という字を分解して「奇長山」だった。
当時、好きだった家のひとつが今回の冒頭に掲げた写真の家だ。あたかも生きた人間のようだった。先日行ったらきれいさっぱり取り壊され、跡地は黒いアスファルトの駐車場になっていた。まるでそこだけ小さな原子爆弾が落っこちたみたいだった。県とか市は、長崎”ゆかり”のスペインやポルトガルの現代美術の作品買うより、このような家を残すのにお金をつかってほしかった。
しかしおそらくこんなふうに思うおれのほうが変なのだろう。多くの人にすればきっとボロ家はたんなるボロ家に過ぎない。
心の中にボロ家を好むかたよりがある。そのかたよりがあるからこそ少しだけ絵を上手く描くことができるのだろう。
ベルギーに移り住み最初に得たお金でジャック・ブレルの10枚組CDを買った。ビールとチョコレートとワッフルが束になっても敵いやしないシャンソン歌手、作詞作曲家、この国の宝だ。デヴィッド・ボワイやスティングはおろかニルヴァーナさえもその曲のカバーをし、セックス・ピストルズのジョン・ライドンは「ブレルはパンクだ!」と賛辞をおくった。その彼の歌の中で一番好きなのがこの「アムステルダム」だ。港町の人間臭さ、人の生が凝縮されたような町の姿をこんなにまざまざとうたった歌を他に知らない。そして歌う人間も知らない。おそらくは今後も生まれないだろう。なぜなら、彼よりも才能がある曲の作り手、偉大な歌手は今後いくらでも現れようが、歌うべき「港町」は無くなってしまってるからだ。港町がなくなり、シーサイド何とかやベイプレイス何とかになるのはかまわんが、このような歌が生まれない世の中というのは困る。シーサイドをうたう歌では人の心はあんまし動かず、心震わせる歌がその時々にないと人は生きづらい。
しかし、それにしてもこのブレルの凄みはいったい何だろうか。まるでムルナウの吸血鬼ノスフェラトゥが港町のあばずれの血を吸って生き返り熱唱してるみたい。
azisaka : 21:12
無礼無花果
2009年11月01日

「おおい、そこの坊主頭ぁ」
いつもの商店街を歩いてると、どこからか呼びかける者がいる。振り返ったがそれらしき人物は誰もいない。ふたたび歩き始めた。
「そこのぉ、変な赤いズボンの男おぉ」
と、またしわがれた声がする。坊主頭も変な赤いズボンもたしかにおれのことだが、いったいだれだ?
今度は、視界に入るやつは何一つ見逃すものかと、可愛い飼猫に巣食う虱をさがす真剣さで目をこらした。
見つけた。
おれを呼ぶのはてっきり1人だと思っていたが、それは10人、というか10個だった。
5個入りのイチジクが2パック。
お「なんだよ、イチジク」
イ「買えよ」
お「やだよ」
イ「買えよ。2パックで350円だぞ」
お「10個も独りじゃ食べきれんだろう」
イ「買えよ。残ったらジャムにしろよ」
お「やだよ。最近、おれパン食べんもん」
イ「ソース作れよ。豚や羊によく合うぜ」
お「やだよ」
イ「むかしからイチジク好きだろ。買えよ」
お「おまえら、人に頼みごとしてんのに、その命令口調の話し方が気にくわん」
イ「買って下さい」
お「よし。わかった」
文章にすると長いが、この間、わずか0コンマ8秒。
靴やカバンを買うのは遅いが、野菜やくだものを買うのは早い。
ここらあたりじゃ名が通っていて「マッハK」あるいは「ジェットK」(Kはコウジの略)と呼ぶものもいる。
じゃがいも、いんげん、羊肉に赤ブルゴーニュを買い足して、家路へと向かう。
神社の長い階段登ってると、買いもの袋の中で赤紫色のでかいラッキョウみたいなやつらが浮かれ、ざわざわしている。
さわがしいので、おれとイチジク族が最初に出逢った時のはなしをしてやることにした。
じいちゃんの家の裏庭にかつて小さなイチジクの木があった。思い起こせばものすごく幼い頃だ。まだ、漢字で無花果と書くということを知らないどころか、自分の名でさえ漢字で書けぬ、いや、それは、文字さえ書けない遠いむかしのことだった。
だから、このくだものはあっぱれ、おれの人生で最初に登場したくだものだ。ということはそれ以後の記憶や思い出は全部、この果実の香りをしとねとして積み重なっているということになる。したがって、おれがイチジクが好きなのは当然だし、たとえば、パリでガイドのバイトをやってた時、観光客案内して入った百貨店で、衝動的にdiptyque(めっぽう高価な香り付きローソク)のいちじくの匂いを買ってしまったのも、無理からぬことだ。
さて、そこは裏庭といっても、庭というにはあまりに貧相な、母屋と納屋、そのとなりの風呂小屋をつなぐ数平方メートルの空き地だった。しかしどうしたものか、なかなかいい「気」が漂っていた。そこにいると子供のおれは落ち着いた。後年、沖縄は久高島に行き初めて御嶽(うたき)を見た時、なぜだかこの庭のことを思い出した。
風呂は、むかしのこととて、薪や石炭をくべて沸かす五右衛門風呂だった。風呂小屋のとなりを水路が通り、湧き水が流れていた。秋になると、ひんやり冷たいその流れにイチジクの実をもいでつけておき、夕方、風呂に入る時、熱い湯船の中で皮ごと食べた。食べたというより、親か祖父母かに食べさせられた。
夕陽、湯けむり、膝の上、いちじく。一分の隙もなく完璧だ。もしも、ことばをうまく操れたのなら「世界よ申し分なし!」と言ったことだろう。だけどできなかったのでキャキャキャと笑い、傍らの人間を和ませた。
五右衛門風呂もイチジクの木も、じいちゃんもばあちゃんも、もうこの世にはない。というか、今日、市場でイチジクたちに話しかけられるまで、もうずいぶん長い間、それらのことを思い出したことさえなかった。じいちゃん、ばあちゃん、すまん。今度、仏壇に線香あげに行くけん。
イ「おお、なかなかいいはなしやった。それにしても、おまえのじいちゃんちのイチジクは幸せもんや。さぞかし、気持ちがよかったやろう」「冷たい湧き水というのは難しいだろうが、おまえ今晩は冷蔵庫でいいからおれらをしっかり冷やせよ。そして風呂に入った時食べろよ」
お「むう、だから、その命令口調はやめろっつの...」
イ「冷やして風呂で食べてください」
お「いいぜっ!」
今回の曲
We Were Promised Jetpack「 Quiet Little Voices」
グラスゴーの4人組。礼儀正しい感じがとてもして、いっしょにピクニックとかに行きたい気持ちになる。
「 Quiet Little Voices!」と叫びまくるのも、よし。
*お知らせです
けっこうたくさんの作品を載せていただいた小さな本が出版されます。予約すると、デジムナー(デジタル棟方志功の略)シリーズを手ぬぐいにしたものがオマケでついてきます。意外と買って損はないと思います。じゃなくて、できれば、買ってください。お願いします。
詳しくは以下!
http://f-d.cc/books/tenranvol1.php
azisaka : 17:52
SWR
2009年10月20日

ことしも生真面目にだんだんと涼しくなって、律儀に草木が枯れ、日に焼けた肌がそっけなく褪せてきて、長崎はそわそわし始めた。10月7、8、9日と長崎くんちがあるからだ。でっかくて深い中華鍋のようなこの街全体で、無数のゴマを煎ってるみたい、パチパチシャカシャカとそこいらじゅうがざわめきはじめる。
さて、目下の仕事場はその、おくんちの舞台である諏訪神社のとっても近くにある。この喧噪の時期、一昨年は他所に逃避した。去年は、桟敷席の券をもらい観覧した。(とってもよかったです、ありがとう)でもって、今年は、SWR状態のレベル2で行こうと思った。
「は?なんやねん、それ?」
っていわれても、おいおい今さら困るな...
SWRとは、これを読んでる皆さん相手であれば改めて説明する必要もないことだと思うのだが、”Silent White River”の略だ。
翻訳すると、静かで白い川。つまり、白川静先生のことを表す。
白川先生は、いうまでもなく漢文学、古代漢字学で高名な学者だ。
そいでもって、(”そいでもって”なんてぞんざいな物言いは、たいへんに不遜だが、ここでは読みやすさのため以後もそういう風にします)彼の良く知られた逸話に、大学紛争の頃のものがある。(S教授は白川先生)
つまり、「S教授の研究室は立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的封鎖の際も、それまでと全く同様、午後十一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていた。団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜遅くまで蛍光がともった。」(高橋和巳「わが解体」より)
このことを知ってから、周囲が何かに浮かれてわいわい騒がしいとき、それに頓着せずに独り自分の日常を黙々と続けることを、SWRと名付け、事に際しては覚悟をきめてあたることになった。
それで、おくんち前日に、ゴミ出し以外は家から出なくていいように3日分の食料を買いに行った。ミュズリー1袋、食パン1斤、豆乳2本、ヨーグルト500ml、キャベツ、人参、玉葱、じゃがいも、かぼちゃ、クレソン、ピーマン、里芋、ニラ、たまご、豆腐、りんご、バナナ、さんま3匹(3枚におろしてもらい、刺身と塩焼きにする)、きびなご(揚げて酢漬けだ)、鶏ミンチ200g、ワイン2本、酒一升、よもぎもち、これで3日分、計9食ばっちりだ。
翌日早朝、「もってこーい、もってこーい!」というかけ声の中で、かぼちゃのポタージュ作ってパンつけながら食べると、濃いコーヒー飲んで仕事を始めた。それからずっと7、8、9日、笛や太鼓や銅鑼の音、威勢のいいかけ声や歓声聞きながら、10日に市民プールいくまで籠って、淡々と絵を描いていた。
「そりゃあ、あんた、ちょっと変だ。おかしいぞ。第一、伝統的な祭り事を浮かれ騒ぎなんて言うのがふざけてる。それに、ふつう、ちょっくら祭のぞきに行って、出店でイカ焼きとか梅が枝餅なんか買って食べるやろう、あまのじゃくっていうか、カッコつけっていうか...気にくわんな、そういうやつは」
たしかに、そのとおりだ。おれもそんなやつが身近にいたらちょっとやだなと思う。このように一風変わってるので、絵とかイラストだとかで身を立てざるを得ない。
そんなSWRチック(説明はぶく)な体質はむかしからあった。皆が何かに熱中しさわいでるとすっと退いて独りになるくせがあった。大学入る頃にはさらにそれが顕著になって、オリンピックだとか、カウントダウンとか、そんな”盛り上がる”ことに背を向けるようになった。ベルギーにいた頃なんて、なかなか独りのときが多かったので、いつのまにかワールドカップが始まって終わってたり、絵を描いてて気がつくと年が明けてたりしたこともあった。
「ほお、そうかい、あんたが、ちょとばかし隠遁者風なのはわかったが、そこで白川静の名をだすなよな」「白川さんがその生涯をなげうち研究し実証してきた事柄はいわば人類全体の宝としておれらの前にあるが、あんたが頼まれもしないのに勝手に描いた絵なんて、誰の何の役にも立ちやしないやん」「それにさ、白川さんの置かれていた状況と、おまえのをいっしょにすんなよおっ。彼が学問をするその窓の外には、戦火があり紛争があったろうが、おまえの窓に外にあんのは平成の世の、単なる浮かれ騒ぎやん」
うう、返す言葉全くなし。たしかに、おれと白川先生では天と地の差がある、っていったら天と地が「け、おまえら二人に比べりゃ、おれら双子みたいにそっくりだぜ」と憤慨しそうなくらい、かけ離れている。
しかし、10年ほど前、彼の「回想九十年」を読んで以来続く、さしあたっての一身上唯一の希望が「白川先生が学問を続けたように、絵を描き続ける」ということなので、ときおり彼の名を口にして、身を律するのは大切なことなのだ。
ところで、彼の名前を初めて意識するようになったのは、まだ20代、パリから一時帰国していた時だったように思う。友人に連れられて熊本は石牟礼道子(誰だか知らない人は、自分で調べ、できるなら著書を手にとったがいいと思う)さんの、お宅におじゃました。以前何回かお会いしていたが、面と向かって話すのは初めてなので固くなってると「近頃はみなさんすっと簡単に外国にい行かれますねえ」とおっしゃられた。すぐさま、「自分がフランスに行ったのは、それなりののっぴきならぬ事情がありそうしたので、観光とか語学留学あるいは自分探しの旅みたいに”簡単”に行ったわけではないのです」と言おうとした。けれども、できなかった。
なぜなら、根の付いた故郷を棄てざるをえず、彼岸に行くようにして海を渡った「からゆきさん」や幾多の移民たちの具体を肌で知る彼女にとってみれば、ぼくの事情とて、物見遊山の観光とさして変わらぬ、同様に”簡単”なものであるだろうからだ。ただただ下を向いて恥じ入るばかりだった。しかし、友人が「彼の場合は...」とちょこっと助け舟をだしてくれので、すぐさま復活して、みなでおでんをいただいた。
おでんをもぐもぐ食べながら、お家の中をそっと見回した。意外にも本があまりないことに驚いた。少ない中で目についたのが、ラス・カサス、高群逸枝、そして白川静だった。前二者は(社会学やってたので)読んでたが、白川さんの名はふがいなくも気にとめたことさえなかった。男?女?誰だろ?「甲骨文の世界」「字統」...うう、なんかわからんが、異様な迫力があるな...
けど、それっきり忘れてしまった。
数年後、福岡に住み始めイラスト仕事で生計をたてるようになった。ある日、絵地図描きの依頼があり、日田へ行った。取材を終え宿に帰る前、寝がけに何か読もうと街の小さな本屋に立ち寄った。そこで手にしたのが、中公新書「漢字百話」(日本人に生まれたのなら必読だと思う)だった。多くの人と同じく「サイ」の出現にびっくりおったまげた。頭がぐらぐらした。(知るのが遅いっ!)その後「詩経」「孔子伝」を読み、ほどなく先に述べた「回想九十年」が刊行された。
彼の著作物は、三つの字書はいうまでもなく、みな、象みたいにどすんとでかい。しかし、それを成した人物本人は、くじらみたい、もっとでかい。その存在自体に畏れ、おののいた。
生まれてこのかた、もっとも多く読み返したのはきっと以下の文章だ。幾分長いが、いわゆる「座右の銘」みたいなものだろう。
ぼくの千倍以上本読んでる松岡正剛も、その著書「白川静」(平凡社新書)で同様の箇所を紹介していた。呉智英が白川さんにインタビューして、その最後の質問に答えたものです。
呉「先生は学界にあって、学閥抗争にも巻き込まれず孤高の位置にいらっしゃったと思いますが、それはなぜでしょうか。
白川「私が学界の少数派であるという批評については、私から何も申すことはありません。多数派とか少数派とかいうのは、頭数でものを決める政党の派閥の考え方で、大臣の椅子でも争うときに言うことです。学術にはなんの関係もないことです。学界にはほとんど出ませんから、その意味でならば少数派ですが、そもそも私には派はないのです。
詩においては「孤絶」を尊び、学問においては「孤詣独往」を尊ぶのです。孤絶、独往を少数派などというのは、文学も学術もまったく解しない人のいうことです。私の書きましたものは、ずいぶんと読みにくいものが多いのですが、それでも多数の読者を得ているのです。「棺を蓋うてのちこと定まる」という語がありますが、棺を蓋う前に、このような共感を得ていますので、私自身は、そのような言い方でお答えするとすれば、絶対多数派であると思っているのです。しかし学問の道は、あくまでも「孤詣独往」、雲山万畳の奥までも、道を極めてひとり楽しむべきものであろうと思います。」
呉「今日はどうもありがとうございました。」
呉さんでなくとも、白川さんの足跡を少しでも知る者であれば、この返答を耳にしたら、ただ頭を垂れ、「ありがとうございました」と礼をいうしかないだろう。
この文章の中の「学問」を、「絵」に置き換えると、すなわち、ぼくが(非常に心もとないが)目指すところの生き方となる。(すまん)
しょんぼりしてる時に、これ読むと、暗いアトリエに光が射す。荒野に虹が燦然と輝き、枯れ木に花が咲き、実がなって、鳥がついばみ、声高く歌う、それを猫がシュタッと跳ねてとっつかまえて、のどぶえをがぶっと引きちぎって、口にくわえ、誇らしげに歩く。
つまり読後、こうしちゃおれん、とやる気が出て、すっくと立ち上がる。
「はあ、そりゃよかったですね。でも、そんなやって描いた絵がなんで、あんな、なよなよした女の子だったり、へんてこな乗り物だったりと、しょうもないんですかー?」
そうやろー、そこがなんでかおれにもさっぱりわからん。ほんというと、鎌倉時代の仏像みたいな絵が描けりゃあ描きたいんだけど...ままならん。90くらいまで続けたらちょっとは何とかなるんやろか...
「ところで、それはさておいて、ちょっとひとつ質問いいですか?」
はい、どうぞ。
「今回のこの長ったらしい文章の最初に、”SWRのレベル2で行こう”っておっしゃってましたけど、ってことは、レベル1もあるんすよね?
レベル1と2っていったいどう違うんですか?」
ナーイスクエッショォーンッ!
レベル1は、すごいぜっ。
ゴミ出し日にさえ外へ出ません。
「そりゃ、いかんやろう」
*今回の曲
Mi and L'au「BINGO」
Cat PowerやFeist, Hope Sandovalなど、くぐもったような声で歌う人が好きでよく聴くが、最近愛聴は彼らだ。
この曲は、曲だけでなくビデオ・クリップもとても良くて、見てると「道」という漢字の字源をなんとなく思いおこさせます。
すなわち「~古い時代には、他の氏族のいる土地は、その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考えられていたので、異族の人の首を手に持ち、その呪力(呪いの力)で邪霊を祓い清めて進んだ。その祓い清めて進むことを導(みちびく)といい、祓い清められたところを道といい、「みち」の意味に用いる。~」(白川静「常用漢字」、「道」の解説文より抜粋。)
azisaka : 21:10
くじらとボニーとクライド
2009年10月05日

6月、よんどころない事情で実家に帰ってて何日目かの朝、新聞とりにでた庭で飼い猫よしよし撫でながら、ふと気づいたのは今日が父の誕生日だということだ。十中八九、父も母も忘れてるはず(老いるとはだいたいこんな感じだ)と思い朝食の時きりだすと、案の定「あー、そういえばそうやった」と無頓着だった。けれどもせっかく何十年ぶりかに夏休みでもないこの日に親子がそろってるので、3人で誕生会をしようということになった。「うわあ、ひさしぶりやあ」と父が喜ぶ。
母と買い物にでかけた。街一番の洋菓子屋さんでピスタチオ味15センチのケーキを、酒屋でちょこっと高い芋焼酎を買った。さて、夕食の献立は何にしようかと相談した結果「もう長いことくじらを食べさせとらんけん、ふんぱつしてくじらにしよう」ということになった。それで、冷凍の赤身と、おばいけ(尾びれの薄切り)を買った。ベーコンはさすがに高級すぎて手が出ず、次回の祝いの席にとっておくことにした。
くじら食べながら、いろんな話に花が咲き蝶が舞い鳥が歌った、つまり、ひどく楽しかった。ただ単に、こうやって自分の親と宴を囲むのがなんでそんなに心地いいんかいなと、不思議で仕様がなかった。こんな風な時も訪れるのであれば、年をとるのもそう悪くはない、皆に勧めようと思った。
ふつうは9時には床に着く父が11時過ぎまで飲んでいた。遅く寝たのに、翌朝はやはり6時に起き、散歩にでかけた。散歩といっても、3キロ歩く。毎朝だ。
そんな彼が数年前亡くなった幼なじみの秀やんの話しをしてくれた。なんでも、秀やんは80過ぎてもすごく元気で毎日野良仕事をやってたそうだ。けどある朝「じゃあ、いってくるけん」と畑に出て行ったっきりもどってこない。それで、家人がさがしにいったら、畑に行く途中の路傍にころんと倒れて死んでいた。
「秀やんみたいにすっきり逝くには、元気でおらんといかんけんね!」ということで、父は毎朝歩く。良く死ぬために歩く。こんな気の持ちようは一風変わってるが、とてもいいなあと思った。おれも見習おうと思った。
ところで、くじらといえば、パリに暮らしてた20代の頃、フランス人に「くじらって相当うまいっちゃんねーっ」とぽろっといってしまおうもんなら、一様に目を見開いてびっくりされ「うわあ、かわいそーっ」とか「おそろしい、なんてやつだ」などとしっちゃかめっちゃか言われ野蛮人あつかいされた。あるいは、インテリムッシュには「そりゃあ食文化の違いは尊重せんといかんけど、他の動物と違って知能が高いし数が少ないので、やめたがいい」風なことを言われた。
それで、「そーんなん、くじらだろうとあんたら好物のうさぎだろうと、ほかの生きものだろうと、いのちはいのちやろう。あんたら勝手に区別つけるんかい」「他のいのちを、うまいうまいと喰らわんことにはうまく生きれん、おれらみな悪人やろう」「そんな業を苦しく思って心のどっかでいつも頭を垂れるんが精一杯やん」「しかも、おれらちゃんと”いただきます”(あなたのいのちを頂きます)って手を合わせて食べるけど、あんたら”Bonappetit"(よい食欲を!)って叫ぶだけやん!」と、怒濤のごとくまくしたてようと思ったが、言い争っても勝ち目はないのでやめにした。なんでかというと、彼らはとにかく何にしても、自分が知らない事についてさえ、弁が立つからだ。仏語圏に計7年あまり暮らしたが、彼らの誰かと議論して「こうじ、おれの考えが間違ってた、ごめん」というようなことを言われたためしがない。しかも、おれが何かで「すまんかった」とあやまったりすると、「ほんとはそう思ってないから簡単に謝るんだろう」と咎められたりする。うひゃあ、だ。
それで、在仏中なかなか苦労した。ということはすなわち、非常にためになった。きっぱりと歯切れはいいが、口先だけで中身のあんましない人間というものが、意外とうまく見分けられるようになった。たいてい、国や人種がどうであれ、人間の格がほんとに高い人は静かだ。けっして多くは語らず、すっと黙って行動する。
まあ、ブログなんてものはやらないないだろう。
*今回の曲
「ボニーとクライド」
年をとるのも、こんな風にだったらちょっぴりやだなと思う動物愛護運動家ブリジッド・バルドーさんが、まだ女優やってた時、当時愛人だったセルジュ・ゲンズブールと歌ってる曲です。声も姿も匂い立つよな恋する女の艶やかさ。セルジュの醸し出す色気も尋常じゃない。ふたりとも、なんちゅうかっこよさだ。でも、ブリジッド、そのベレー帽、アザラシの毛皮じゃないよな。
azisaka : 05:16
レギュマン
2009年09月24日

ひさしぶりに会って飲んだ友人が「いいぜーっ、こうちゃん、絶対いいけん、燃えるばーい、読んでみなよー」と何回も連発するので、貸本屋でそのマンガ本、3冊だけ借りて読んだ。そしたら、止まらなくなって既刊の39巻、数日で読んでしまった。「頭文字(イニシャル)D」は、公道で最速を目指す走り屋の若者たちを描いたマンガだ。その場面のほとんどが深夜の峠でのカーバトルで、闇夜を疾走する2台の車と、”ギャン”とかギャギャギャ”とか”グオングオン”とかの擬音語が、ページから飛び出さんばかりに炸裂する。読み続けてたら、身体がだんだんページに呼応して、直線では背中が壁ににおしつけられ、ヘアピンカーブでは上半身が揺さぶられ、急ブレーキの時には下半身にぐいと力がはいってしまう。それが非常にここちよい。
さてこの物語、主人公は豆腐店を営む父を持つ18歳の青年だ。父親はかつて名うての走り屋で、息子である彼は中学生の頃から峠を越えた先の旅館へ豆腐の配達を命じられる。毎朝毎朝、雨の日も風の日も来る日も来る日もだ。そうやって彼はいつのまにか神業的なテクニックを身につけ、ふとしたきっかけで公道バトルをするようになると、どうみても圧倒的に速いやろうという車と勝負し、勝ち続ける。
そんな様を目にしたまわりの皆が、「すごい!なんでそんなに速く走れるんだ?おまえは天才だ!」と驚嘆するのを前に、きょとんとした彼が発する言葉というのがとてもいい。曰く「走る事は顔を洗うのと同じ日常なんだ」
つまり、彼の天才たる所以が「どれだけ長い期間、弛まずに毎日それをしつづけけたか」というただ一事によって説明されている。
365日あったら、365日、峠を走る。
あるいは別の天才であれば、365日バットを振る。写真を撮る。歌をうたう。鮨を握るだろう。
要するに毎日の積み重ねが大切だということだ。しかし、これが単純だけどなかなか難しい。
うわわわっ、おれ、マンガなんか読んでる場合やないやーん、絵を描かんといけんんっ。
と、思ったが、夏休みだし実家にいるので、常々気になっていた押し入れのマンガ本の整理をすることにした。ほんとうに大切なものだけとっといて後は売りに出し、得たお金でぱーっと鯉のあらいでも食べに行こうと思った。
岡田史子や永島慎二、真崎守、あるいは、手塚治虫や白土三平などの作品は大切なのでとっとくことにした。かたづけ途中でうっかり「がんばれ元気」第一巻のページを開いてしまって、はっと気がつくとたちまち5巻まで読んでた。こんなことじゃあいかん、いつまでたっても終わらんと気をとり直し、集中して売り払うやつを選んでいく。しかし、どれもこれもが繰り返し読んだもので愛着があり、選別に心が痛む。
そんなんなら、別に場所あるし、とっときゃあいいやん!うむ、たしかにそうだ。しかし、人は何かとふいにきっぱり決別せんといけんくなる時というものがある。それでやっとこさ200冊くらい選り分けダンボールに詰め古本屋さんに持って行った。査定に一時間ばかりかかるというので、近くの新しくできた古着屋さんに行った。そこで、いかしたシャツを二枚買った。もどると、おれのマンガたちは3950円に成り代わっていた。シャツが合わせて3800円だったので、ちょうど同じくらいだ。
そんないきさつがあって、帰りしな、この二枚のシャツに”マンガシャツ”という名を与えた。大切なマンガ本たちの生まれ変わりなのだから、生涯大事に着ようと心に誓った。
ところで、マンガ本の整理をしていたら他の本もいっぱいでてきたのだけど、その中にパリにいる時、シュールレアリストの出版物を蒐集してる友人にもらった、ローラン・トポールの画集が数冊あった。さがしてたのが見つかってうれしかった。「でも誰やねん?そいつ」うーん...フランスやベルギーではけっこう名が通ってて今でも信奉者が多いんだけど、日本では知ってる人はそういないという気がする。かつて澁澤龍彦がちょこっと紹介して、ポランスキーの映画の原作にもなった小説の翻訳本「幻の下宿人」が今はでてるくらいじゃなかろうか。画風はルネ・マグリットを拙くしたみたい。主に鉛筆を使い、自虐的でブラックユーモアに満ちた絵を描く。たとえば、「涼しげな顔をして自身の太股に刺繍をする女」とか「口に当てたラッパから自分の内蔵が飛び出ている男」、「プールの飛び込み台からプールと反対のコンクリートに向かって飛び込もうとする男」っていった具合だ。
さて、いらん前置きがながくなってすまんが、そんな彼が、1980年代、子供向けにつくったテレビ番組(全20話)というのが相当におもしろい。
タイトルは「レギュマン」!
でも、”レギュラー満タン”の略ではなくて、フランス語で”léguman "と書く。”légume”が野菜なので、翻訳すると”野菜仮面”といった感じだろう。主人公のヒーローが子供が嫌いな野菜でできてるっていうのが、いかにもトポールらしい。そんなレギュマンが、毎回登場して悪事をはたらく怪人をこらしめるのだけど、その怪人達も奇妙奇天烈なことこの上ない。「泥靴の足跡つけてまわる運動靴怪人」とか、「ドアやシャッターなど開いてるものはなんでも閉めてしまう真っ暗怪人」なんかだ。しかも、レギュマンが登場する時、かならず毎回「にんじんは煮えたか?」「ノン!」と入るのも、わけがわからずぶっとんでいる。主題歌だって、そうとうにへんてこで、一度聞こうものならしばらくは耳から離れない。(アジサカ訳す)
レギュマン、レギュマン!
君は大地の子
太陽は君の父
悪いことするやつをこらしめる
レギュマン、レギュマン!
友達のフランス人が懐かしんで言うのには、幼い時、毎回見てたんだけど、見るたびになんか恐ろしくなって見なきゃ良かったと後悔してたそうだ。
azisaka : 21:17
新米の季節
2009年09月12日

その日は9月に入ったというのに真夏みたい、ぐらぐらたぎりに暑かった。家で絵を描いてるとだらだら汗が出てかなわないので、市民プールへ行った。休み明けでがらがらだろうとの予想どおり、子供用にはまばらに人がいたが50メートルはぼくだけだった。聞くと最終日で、明日から来夏まで長い休みに入るという。飛び込むと、真夏になりすましていようとそこはやはり9月、水は思いがけずひんやりとしていた。泳ぐのにはうってつけで、心地良さにどうしようもなく笑みがこぼれ、ゴボゴボゴボ...最初のうち、息つぎするのに苦労した。
500メートルくらいすると、今年の夏もお天道様の下で泳ぐのは今日限りやなあ、とため息がこぼれた。1000になると、死ぬまでにあと何回、こうやって夏泳ぐことができるやろかと儚く思い、涙がこぼれそうになった。
ところが1500になると打って変わって何やら力があふれてきて、ようし今日は5000泳いでやるぞ、と気合いが入りはじめた。普通は2000、調子が良くてもせいぜいが3000なので、5000というのは尋常ではない。高校以来、今世紀では初の試みだ。
夏の果のでかいプールにただの独り。3時間近くかかって、なんとか5000泳ぎきった。泳ぎはきったが予想の通り、身体が若干変になった。脱衣場によろよろと向かってると、風がやさしく身体をなでるのだが、それを感じる皮膚は十七娘の頬みたいに張ってピンピンなのに、その内側にある肉は太った50女の乳房のよう。垂れ下がりブテブテしている。そいでもって身体の中を通ってるいろんな管は、90ばあさんの白髪を編んでできたみたいにパサパサだ。
そんな身体に服を着せ、どうにか車のシートにたどり着く。エンジンかけると、母の小さなポンコツ車が「ドドドドド...そんな身体にはジェット豆乳しかないぜ」とつぶやいた。コンビニに並んでる調整したまがいものでも、スーパーで売ってる大豆100%無調整でもない、豆腐屋さんが朝しぼった、勝手に名付けてジェット豆乳。200mlで168円ととても高級だが、こんな時に贅沢しないで、いつするのだ。
ポンコツに言われるがまま、二本買って飲んだ。なんちゅう、うまさだ。いっきに全身が潤う。まあ、イメージとしては、あめ玉になってエリザベス・テイラーかソフィア・ローレンの口の中で舐め回されてる感じだ。するとどうしたことか、もうずいぶん前に買って読んだ本の、ある文章が無性に読みたくなった。たしか、実家の二階にあるはずだ。
さっそく帰って、探してみると、二階の隅の押し入れの奥のダンボールの底にその本は貼り付いていた。ドキュメンタリー映画監督、小川紳介の「映画を穫る」という本だ。その中に記録文学作家である上野英信が、彼に話してきかせたという実話が紹介されている。以下がその文章です。
*残すはなし*
江戸時代が終わる頃、筑前で起こった一揆の指導者が、刑場に送られる道中のことと思って下さい。刑場への往還最後の峠には一軒の茶店があり、急坂を登ってきた護送の一行はここで休むことになりました。常より厳重に警護されている唐丸の内の人を、先頃の一揆の指導者と知った茶店の老夫婦は、ものものしく取り囲んでいる武士らの制止をものともせず、その囚われびとに一杯の渋茶を振るまいました。すると、それを押し頂いた囚われびとは「この一杯のお茶は、私の全身にしみわたりました。これを末期の水にできたいま、私は安らかな気持ちで刑場に立てます。私自身でお返しできないこのご恩に必ず報いるよう、私は、あなた方が今日ここで私にして下さったことを、しっかりと子孫に伝えていきます」といいました。
現在、峠の老夫婦の子孫は福岡市内で小さなタバコ店を営んでいますが、毎年秋になると、その店先にはあの一揆の指導者の子孫から新米が一俵届きます。百数十年の間、一度も違わずに。それはつづいているということです。
うくうっっ、ほんとうにいいはなしや...
今回の曲。
松倉如子「セミ」
azisaka : 11:18
晩夏。「ドクロのマーク」
2009年09月01日

数年前、パリはサンマルタン運河沿いのギャラリーで個展をやった時、おっきな眼鏡でいかにも賢そうなそこのオーナーに、「君は好んで、ロボットだとか、近未来風の建物、乗り物を描くけど、なんでだい?」と尋ねられた。そんなこと聞かれても困るが、パリジャンつうやつはうやむやな返事を好まんので、とっさに「そりゃあ、それがおれのサント・ビクトワール山だからさ。」と答えた。「はん?」と眉間にしわよせる彼につけ加えたのは、つまり南仏のこの山が、19世紀の画家セザンヌが慣れ親しんだ「自然」であるなら、ロボットやスーパーカーは、20世紀末の日本に生まれ、アニメやマンガに浸って育ったぼくの「自然」だ、ということだ。したがって、形とか色なんか、そんなに苦にならずに出てくるし、描いていて楽しい。野山を描くより、ロケット描く方が心地いいのだ。小学校のスケッチ大会のとき、もらった画用紙にれんげ畑をさっさと描いた後、その裏に、ドガーン、ババババーッって飛び回るロボット軍団嬉々として描いてたのを思い出す。
3年前、ベルギーより帰国してちょうど一年経った頃、このように自分にとって身近であるロボットを中心に据えて作品を作ろうと思い立った。ロボットものにはやっぱり、秘密組織みたいなものが必要だろう。秘密組織にはかっこいいシンボルマークがないとはじまらん。ううん、何にしようかな。そういえば昨日の飲み会のとき、解剖学やってる友人が、おれの頭蓋骨見て、すごく形がいいと褒めてくれたな、ようし、マークは骸骨にしよう。組織の名前はドクローズ団で決まりだ。
こういう具合にはじまって、ドクロマークがあちこち散らばった絵を8ヶ月で50枚ほど描き上げた。そしてその夏、九州の各地で個展をして回った。
長崎は、出島のすぐそばに建ってる築60数年のとても古いビルの一室を借り、そこに展示した。ビルは軍艦島にあるのを引っこ抜いてきてそこに据えたみたい、外も内も異彩を放ち、熟れたまま腐らず乾燥した巨大な果実のようだった。表に看板を出してたら、観光客のひとたちもちらほら見に来てくれた。時は8月はじめ、おりしも反核反戦運動の団体の集会が市内各地で行われていた。
展示しはじめて何日目だったろうか、おばちゃん(と、おばあちゃんの中間くらいかな...)数人が上ってきた。イラストだとか現代美術なんかとはあんまり関わりがなさそうな感じだ。身ぎれいで学校の先生とか町内会の役員みたいなたたずまいをしてる。彼女らは最初とまどった風だったけど、にっこりあいさつするとそれぞれ静かに一枚一枚ていねいに眺めていった。そうやってひととおり見終わった後も、小声で話したり指を差したりしながら行ったり来たりしている。こんなに真剣に見てくれてありがたいよなあと思ってると、その中のひとりがすっとそばに寄ってきて尋ねた。「あの...しゃれこうべが、いっぱい描かれてますけど...これはやはり原爆で犠牲になった方々を象徴されてるんでしょうか?追悼の気持ちが表現されているんでしょうか?」「えっ...?」意外で不意な問いかけに、絶句しかけた。けれど、口はなんとか動いて「ま、まあ...そんな感じでもあります...」とひどくあいまいな返事をかえした。おばちゃんは、何回か黙ってうなずいたきり、それ以上はなにも聞かなかった。
それからまた数分、彼女らはそれぞれ静かに絵をながめ、「どうも、いいもの見せていただいて...ありがとうございました。」とお辞儀をして去ってっいった。まるでこの世でない彼岸の人といたみたいだった。夢心地からはっと我にかえると、蝉がジミヘン百人ギターかき鳴らすみたいに叫んで、太陽が窓ガラスぶち破りそうな勢いで燃えていた。
その夏、長崎につづいて個展をやったのは、学生時代を過ごした熊本だった。雑貨屋とカフェがいっしょになった店の2階(といっても屋根裏みたいなとこ)に展示させてもらった。この店でやるのはもう3回目。あいかわらず、キュートな雑貨目当ての女子学生から、本好きの主人を慕う中年おじさん、おいしいランチを求める奥様連中と、やってくる人はさまざまだ。さいわいな事に、作品をひいきにして毎年個展を心待ちにしてくれているお客さんも少なからずいる。
始まって最初の日曜日。休日にしては、人があんまし来ないよなあとぼおっとしてたら、がちゃがちゃと話し声が階下から聞こえ、ぎしぎし階段を上ってくる音がして、きゃあきゃあと女子高生が3人はいってきた。見ると全員、服やアクセサリーの色が白と黒と赤の3色しかない。3色しかないがギザギザフリフリクルクルと複雑な形をしてる。そいでもって、服の模様やバッグのアップリケ、鈴なりのキーホルダーは、ドクロ尽くしだ。なんでも、表に貼ったチラシの絵を見て駆け込んできたらしい。「こんにちはー、おじゃましまーす!」「わあ、いーっぱいドクロ!きゃあー!」「わたしたち、ガイコツ好きなんですー、ドクロもの集めてるんですぅ」「ナイトメアー見ましたーっ?!」「絵の前で写真とってもいいですかー?」「ドクロってかわいいですよねーっ?」と、たて続けの連射攻撃に、なごんでた心は蜂の巣だ。くうぅ、いかん、押されっぱなしじゃ...こっちも何か話さんと。と思ってたら、リーダー格の娘が「ドクロ、好きなんですかぁ?いつも描いてるんですかぁ?」とニコニコ顔で聞いてきた。ぼくは「あ、そ、そうです、なかなか好きです」と答えた。
答えた後、長崎で会ったあのおばちゃんたちを思い出し、これを聞いたらさぞかしがっかりするだろなと、彼女らになんだか申し訳ない気持ちになった。その気持ちのせいで、そのあと何十秒か女子高生の言葉が耳にはいらなくなった。
写真を何枚かとって、ノートに感想書いて握手して、「次回の個展、楽しみにしてまーす!」と彼女らは下のカフェに下りていった。残されてひとり絵に囲まれてると「ねえー、何飲むー?」「こないだ学校の帰りにさー」と階下から話し声が聞こえてくる。話題はもうドクロからすっかり遠ざかっている。
そんな会話を聞きながら、さらにおばちゃんたちのことを考えた。「うん、でも、まてよ...」あのおばちゃんたち、長崎に反核運動しに来てる最中、朽ちかけたようなビルでおれの絵を見たのではないとしたら、どうだろう?熊本に観光で来て、阿蘇で温泉はいって馬刺食べてカラオケ熱唱した翌日、街中のかわいらしいカフェの屋根裏で見たとしたら、どんな風に感じるだろう?
「ひゃあ、兄ちゃん、あんたのガイコツ、目がクリクリして、可愛いかなあ、うちのじいちゃんにそっくりばい。」って、もしかしたら言うかもしれん。熊本の女の子にしたって、修学旅行で長崎に来てたとしたら、どうだろう?その口は「きゃあ、かわいい!」とは別の言葉を発したかもしれない。そう思うと、不思議とこころがやわらいだ。
すると「みゃあ」といってそこの飼い猫が入ってきた。おお、よし、なでてやろうと手をのばしたけれど、何かを確認するとさっさと出て行ってしまった。
azisaka : 11:16
ふと、夏プールで思ったこと
2009年08月01日

いきなりで恐縮なのですが、一枚の絵を描くっていうのは、ぼくにとっては、一遍の小説を書くのと読むのとを同時にやってるようなもんだという気がします。なんじゃあそりゃあ?といいますと、ちょっと長くなりますが、説明してみます。
絵を描く時は、大まかなストーリィなりイメージなりはあらかじめ持って描き(書き)はじめるんですが、それ以外はその時々の気分や体調や天候にまかせっぱなしで、後でどうなるのか先が見えません。完成までの道のりをきちんと指し示した設計図があり、それに従って模型をつくっていくというのとは、おおきく異なっていて、描き進んでみなけりゃあ、どんな結末になるかはわかりません。
もちろん、真っ白いカンバスの前に立ったとたんに、色や形が身体の中から湧きあがってくるよな天才絵描きではないので、ちょっとした下描きやら、雑誌の切り抜き、写真なんかを見ながら、それをとっかかりにして描いてはいきます。けれども、それをそのまま写し取るということはなく、(やろうと思ったとしてもできやしませんけど)筆にまかせて描いてると、頭では思い描くこと、想像することのできなかった物の形や色、人物の表情なんかが、筆の先からでてきます。
そんな風にやってると、描いてる時は、初めて読む小説をを読んでるみたい。おお、そう来たかー、とか、うわ、この形、味があるよなあ、とか、ひゃあ、こいつってこういうやつだったのか、とか、何が出てくるのかはわからないので、やっててわくわくします。
要するに絵を描く時には、描く自分と、読む(描いたものを見る)自分のふたりがいます。(ところで調子がでてくるとこれに別の人間も加わります。たいていが、亡くなった親戚とか遠くに住んでる友人で、そこはちょっと違うんじゃないかいとか、おお、なかなか上手く描けてるやんとか、口をはさんだり指図したりします。)
さて、こんな具合に自分で小説を書き、書いたはなから読んでいってるような感じなのですが、自分をある程度はよく知った人間(つまり本人)が、自分ただ一人に向けて、これを楽しませようと懸命に書いた小説を読んいるようなわけで、そんな読みものがおもしろくないはずはありません。
他の人が作った小説を読んだり映画を見たり、あるいは旅行したり、おいしいもの食べたり、友人らとおしゃべりしたり、そんなことやるより、ずっとたのしいのです。だから、絵ばかり描いてます。(もちろん、これはちょっと言い過ぎで、ようするに、生活のもろもろの中で絵を描くことの優先順位がかなり高いということです)
ただ、描いててたのしいけど、読んでてつまらない時や、反対に、描くのはしんどいけど、読んでておもしろい時、はたまた、どちらも心地いい時、どっちもきつい時があります。どっちもきつい時というのは、病気だったり寝不足だったりして体調が良くないときで、精神的なものは、描く(と同時に読む)よろこびそれ自体には影響がないみたいです。悲しいときは悲しいなりの、苦しいときは苦しいなりの、描くよろこびがあるようです。
こうやって、一枚の絵が一応仕上がります。一応というのは、たいていが数日も立つと、描き直したり手を加えたくなり、そんなことやってたらいつまでも次の絵が描けないので、この絵はこれぐらいでやめとこ、ひとまず完成したことにしよう、と筆をとめるわけです。その時ちょこっとだけ、解放感みたいなものはあります。ありますが、充足感や達成感、つまり完全燃焼などにはほど遠いです。だから、すぐに次の絵にとりかからないと、身の置き場がなくて不安になります。
さて、こうやって”完成”した絵は、読み終わった本、みたいなものです。描く(読む)ことによって、よろこびを得、何か少し学び、ものの見方がちょっぴり変わり、人間的にやや深みを増した(笑)。だから今目の前にある絵(本)自体はぼくにとっては、もう用なしです。
ただ、もしかしたら、ぼくだけではなく、その他の人が読んでも、少しはおもしろいかもしれん、ためになったりするかもしれん。それに、ほかのみんなは、ぼくとは全く異なる読み方、もっと豊かで深い受け取り方をしてくれるに違いない。それを聞いてみたい。よし、せっかくだから他の人にもできるだけ多く読んでみてもらおう。
そう思って毎年、やってるのが個展の巡業です。
ときどき、読んで(絵を見て)気に入って、手元に置いときたいなあ、という人も現れます。作品を買ってくれます。ほんとうに、ありがたいです。そんな方々が何人かいてくださるので、ぼくは生計を立て、絵を描いて独り楽しむことができます。
って、たいそうなこと言いよるけど、肝心の絵はたいしたことないやん。
あうう、すみません、実はぼくもそう思います。
なので、また絵を描き続けます。
azisaka : 11:10
'09夏個展について
2009年07月01日

みなさん、こんにちは、たいへんごぶさたしております。非常におおざっぱで恐縮なのですが近況のお知らせをいたします。
去年の夏個展が終わり、秋はちょっぴりしょんぼり読書やイラスト仕事をしておりました。暖房が必要になるくらいから、次の個展へ向け、アクリル絵画の制作にとりかかりました。これまでは、比較的小さな作品を数多く描くということをやってきたのですが、今回は、ひとつ気分を変えて大きな作品をつくろうという心持ちになりました。
具体的にいうと、F30(70X90cmくらい)の大きさのキャンバスが横に20枚連なったもので、パノラマみたいになってます。ひとつの大きな横長い作品としても見れますし、それぞれ一枚一枚を独立した絵として見ることもできます。
さて、そんな風な絵をいつものように、けっこう休まず、意外とまじめに描いてるのですが、でかいし入り組んでるしで、半年過ぎてもまだ半分ちょっとしか完成しておりません。
そんなわけですので、昨年まで5年間、毎年欠かさずに個展をやってまいりましたが、今年は(ちょうど区切りがいいですし)ひと休みしようと思います。
うっわあ、これだけを楽しみに、心の支えに日々を暮らしてきたのに、何てこったい、くううう、と落胆された何人かの方々、そんなに心待ちにしてくださっていて、ほんとうにありがたいです。ごめんなさい。でも、来年の個展では、ほお、さすがに2年かけただけあって、なかなかいいじゃん、と、数回うなずいていただける、そんなものがお見せできるという気がしております。
さて、以上のようなわけで、いつもより若干不在の期間が長いです。それで、すこし奮起して、これから月に2.3回、このお知らせコーナーに何かしらの便りを書こうと決めました。別にことさら伝えたいものがあるというわけではないし、読む人だって、そんなの大して気にはしないと思います。なのでこれは、ちゃんと生きて、仕事してますよーっ、というあいさつの代わりです。したがって、それが確認できれば、中身はすらっと読み飛ばしてください。たいていは、読んだ本とか、気に入った曲の紹介になるのではないかと思います。
azisaka : 09:45
