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   <title>azisakaお知らせコーナー</title>
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   <title>クールミントな誕生日</title>
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   <published>2010-05-20T12:20:40Z</published>
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   <summary> 去年の春のことだ。いつものように誕生日がやってきた。日頃世話になっている手前、...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web1005.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/web1005.jpg" width="416" height="312" />

去年の春のことだ。いつものように誕生日がやってきた。日頃世話になっている手前、何かとびきりいかしたプレゼントを自分に贈ろうと思った。けどプレゼントといっても、靴や本といった物でもなけりゃ、フランス料理とか温泉旅行などの娯楽でもない。そんな、もらったら心がうきうきするようなものではなく、どちらかというと反対にずんと沈んでしまうようなやつだ。つまり漢字の書き取りノート十冊！だとか、素振り千回！とか言った類いのけっこうきびしい試練、それを自分に贈ろうと思った。（”贈る”というより、”お見舞いしてやるぜ！”ってのが近いかな。）
でもまた、なんでなん？というと、自分ができるかできんかわからんくらいの難題を課してそれをやり遂げた瞬間の、あのとびっきりすがすがしい気分を味わいたかったからだ。久しく遠のいていたけど、そりゃあなんてったって気持ちがいい。生きてる手応えみたいなものがギラリきらめき、年をしっかり重ねたという最上の証しとなるだろう。（たぶん．．．）

そんなわけで、仕事場兼住処のある長崎市内から実家のある佐世保まで歩いて帰ってみることにした。60キロくらい離れてる。その前の年、自転車で帰ってみたら半日かかった。徒歩なら一日あれば大丈夫だろう、夜明けに出発し日没くらいには着くだろう。マサイクッションのついたMBTサンダル（「何なん、それ？」という人は自分で調べてみよう）ですたすた行けるとこまで行き、しんどくなったら自身にもっとも快適なニューバランス1700に履き替える作戦だ。リュックにその1700、途中で食べるおにぎり、手ぬぐいと靴下を詰めて10時には寝た。

５時ちょうどに出発した。なんてったってしだいに明るくなっていく景色の中を風切って歩くほど心地いいことはない。もしそれがちょっとした冒険の始まりであったのならなおさらだ。このはじめの数キロの、でっかいわくわく感を味わうために60キロを歩くのだと言えるくらいだ。さて、履いたことある人はわかると思うがMBTで歩くのは気持ちがいい。タンタンタタタンと太鼓たたいてるような軽快なリズムで身体が前に進んで行く。

「おお、なんっちゅうすがすがしさやあ．．．」といい気分で歩を重ねていたけれど、そこは所詮サンダル、平和公園の近くまで来たあたり、まだ5キロさえ満たないのに足の甲と踵のとこが擦れて痛くなってきた。それで1700に履き替えた。「かつがつ暮らしの風来坊ごときが、そんな高いスニーカー買うのはけしからん」と母にひどく腹を立てられたことのある一足だ。たしかにスニーカーにしちゃあたいそう高価だ。高価だが、足の甲が高くそんじょそこいらのスニーカーではピタリ合わぬので多大な出費も仕方ない。「1700、1700、おまえはおれの最強の味方、頼りになるぜ、かっこいいぜ、おれら供に地の果てまでも駆けていく～ラララ～」と鼻歌うたいながらまたすたすた歩き始めた。

快晴！しかし快晴過ぎる。五月晴れというやつらしいが、泳ぐのじゃあるまいし、あんまり過ぎると延々歩く定めの身にとっては不快晴になってくる。強い陽射しで腕や首が焼けてヒリヒリ、空気の乾燥で目と鼻はシパシパ、真夏みたいな熱さで汗がダバダバダーだ。しかし、それはいい、曇った日に歩くよりか数段いい。問題は、まだ20キロそこそこなのに強烈に痛くなってきた足の裏だ。地面に触れる度に、じぐぐっと図太い釘で突かれたような痛みがはしる。どうやらあちこちに豆ができてるらしい。なんとか早急に溜まった水を出さないと、じきに歩行が困難になるだろう。それで、豆に穴空けるための尖ったものを探し始める。こんな時、小学生だったら名札のピン、OLであれば裁縫セット、パンクロッカーだったらピアスやピンズを持ってるのであろうが、絵描きなのでそんなの携帯していない。まったくもってサバイバルな状況では女子供以下の役立たずだ。

さて、困ったぜ。上り下りの続く海沿いの道にはしばらくコンビニや商店らしきものもなさそうだ．．．その時、しゃららららんと閃いた。そうだ、あれだ！クリスマスのケーキなんかによく広げて挿してあるギザギザの葉っぱだ。名はなんと言うか知らないが、あの葉の尖り様なら豆に穴を空けるなんて造作ないだろう。それで、キョロキョロ探しながら歩きはじめた。だけどしかし、こんな肝心要の時にかぎって見あたらない。ちっちゃいとき、人差し指と親指の間に挟みヒュウと吹いてくるくる回して遊んでた時にはどこにだってあったのに．．．ちくしょう、ううう．．．
それでギザギザ葉っぱはあきらめ今度は、針金かなにか尖ったものがひょっこり落ちてやしまいかと、足元をさがしてみることにした。けれど「そんなもの拾って刺したらバイ菌入って犬塚信乃みたいに破傷風になるぞ」と、坂本九ちゃんがが天の上からいうのですぐやめにした。（ここんとこ、若者には意味不明ですまん）

足を踏み出すごとに、足裏から脳天めがけて逆さに激痛の雷鳴がとどろく。いつもの一歩が3ボルトなら、今の一歩は1万ボルトの激しさはあるだろう。普段夕食の買いものに行く時のステップがラン、ララ、ラララ、タリラリラーなら、今の状況はぐっ、ぎょえっ、うが、はあっ、もぐぁあ、といった有様だ。しかも、足の痛みに心を奪われうっかりないがしろにしていたが、気がつくと手がミシュランの人形みたいに膨れ上がっている。ずっと下に下げて振り続けていたからだろうが、このふくらみっぷりは四つ星だ。足ばっかり労って、すまん手よ．．．

と、その時ひょんと気が付いた。何もクリスマスギザギザ葉に頼ることはない。日本には古来から松という立派な鋭い葉を持つ植物があるではないか。しかも竹や梅より一段偉いたいへん尊い葉っぱだ。見るとちょうど「いったいどんな悪事はたらいたらこんな豪邸建つんだよ、おい！」と痛みも忘れて言いがかりをつけたくなるようなでかい家のでかい庭から通りにおりゃあとはみだしてる松がある。舞踏家の腕のように力強くしなったその枝から松葉の何本かをぶちりと引きちぎった。でもって、さすがに天下の公道で素足をひょろんとさらすのは気が引けたのでちょいと脇道に逸れ、靴脱いで足にむぎゅうと貼り付いた靴下ひっぺがして足の裏を見た。赤くて白くて筋が入ってちょっと透き通ってて、ぱっと見は何となくフランスの砂糖菓子みたいだった。「おお、ガトーシュクレアラフランボワーズやん！」
しかしフランス菓子ならば、ほんのちょっとつついただけで甘い香りにすっという微かな音たて松葉がすんなり突き刺さろうが、足の裏の皮は鏡餅みたいに固くって、あわれ松葉はくにゅっと曲がってしまった。

それであきらめて、桃白の足にまた靴下かぶせ、「お、おい、またこのまんまで歩くんかよぉ」と嘆くのを、すまんと心で言いつつ知らぬふりして、そっと靴の中に置いた。そして、きちんと人の手によって作られた先の尖った工業製品をどっかで調達せんことには、この苦しみは未来永劫続くらしい、ということに遅まきながら気がついた。しかし、時は平成、おれはモダンなイラストレーター。元禄や明治の行商人みたいに通りすがりの家の戸がらっと開けて「ちょいと、針を一本貸してくんないかい？」というわけには簡単にいかぬ。それで、白桃色フランス菓子にはもう一踏ん張り地獄の試練に耐えてもらうことにした。しかし、それにしてもこの痛み、足裏の皮と肉の間に５ミリくらいの高温に熱したネジ釘が数本詰まっててギュリギュリ回転してるみたいだ。

黒布被って修学旅行の記念写真を撮影する写真技師のような腰の角度でよたよたと、それでもなんとか前へ進み続けていたらまずは大きなゴルフ場入り口の看板、そしてそのはす向かいにコンビニが見えてきた。店舗の10倍くらいの広さの駐車場を構える堂々とした田舎のコンビニだ。国道から店へ入るまでが気が遠くなるくらい長い。よろめきながら入店し、鋭利かつ安価なものを求め、まずは裁縫針をさがす。が、予想どおり針は単独では売ってはおらず、裁縫セットが480円。うわ、高っ！あきらめて今度は文房具コーナーへ。画鋲一箱258円、安全ピン50本入り255円、カラークリップ30本入り298円。うひゃあ、人の弱みにつけこんで、ぼったくりの値段やん！それで今度は菓子コーナーへ。おまけにバッジが付いてるキャンディとかがあるかもしれない．．．

結局、そんな気のきいたお菓子なんてなかったので随分迷ったあげく、先の尖り方を優先し安全ピンセットを買い求めた。そうしてもったいないが、がちゃがちゃ音立ててうるさいし、少しでも重量を減らしたいので５本だけ抜き取って、箱と45本はゴミ箱に残した。ゴルフ場の入り口付近が芝生がきれいに手入れされちょっとした公園みたいになっていたので、踏み入って木陰に腰を下ろした。何という名前かさえわからないので申し訳ないのだが、いきなり身体を寄りかからせてきた男に、木は木漏れ日と冷たく澄んだ空気の心地よさを恵んでくれた。

安全ピンひとつ取り出して、足裏の豆にブスブスブスブス突き刺し、ぎゅっと押さえ水を出していく。手や顔に比べて足の裏なんてのは日頃めったに表舞台に立つことないので、水ぶくれした上に刺されてさぞや痛かろうが「ぎょっ」「あたたっ」とか叫びながらも何となくうれしそうだ。しかし、この豆の中にたくさん溜まってる液体はいったいどんな成分でできてるんだろう？涙と汗ならどっちに近いんだろうか？無駄な知識はたくさんあるのに、草木の名前にしろ、自分の身体のことにしろ、ちっとも知らんよな、と思った。

両足とも、豆をぜんぶ潰してしまったら随分と楽になった。しかし足裏の状況は改善したものの足の甲やスネ、膝やふくらはぎなどその他の部分は揉んだりさすったりしても痛みはとれない。まあ、なんとか耐えていくしかないなと、またやおら歩き始めた。
しばらく進んで峠道にさしかかったら先の方に湯気があがってて近づくと酒饅頭屋さんだった。ほんとうは4個くらい買いたかったが、1gだって重量を増やしたくなかったので2個にした。５月の峠で饅頭を売る女というのはこうあるべきだという見本のような、化粧っけのない30半ば、深い二重で鼻筋のとおった姉さんだった。こういう酷な旅の道中でなければ「そのエプロン、いかしてますね」とかなんとか話しかけ、いったいどんな声と言葉遣いと表情で話したものか見てみたかったのだけど、「ぎょえーっ、饅頭2個分も重くなるんかよぉ」と不満の声をあげる足腰の手前、そんな勝手なことはしておられなかった。それで、万感の思いを込めて「さよならぁ」と言うとまた歩きはじめた。

しばらく行くと陽が空のてっぺんまで登って12時になって、お腹がすいてオランダ村に着いた。それで、かつてオランダの町並みを模したテーマパークがあったその場所で昼食をとることにした。家を出て6時間で約30キロ、やっとこさ半分だ。素敵な木陰を見つけて座るやおにぎりを食べはじめた。すると草むしりのおばちゃんが通りかかったので挨拶をすると、「あらあ、おいしかごたるねぇ」と近づいてくるので「ひゃ、まずいっ」とあせった。日没までに実家にたどり着かんがため数分でも惜しいのに、こちらの素性をとことん聞かれたあげく、孫や持病や老人会のことを延々聞かされるはめになるだろうと思ったからだ。ところが予想に反し、徒歩で帰省してるという話しを聞くと「そりゃあ、すごか！」と言って麦わら帽子の陰の目を一瞬強く光らせただけで、天下の大義のじゃまをしてはいかんとばかりに立ち去った。ただ、別れ際に作業着のポケットをまさぐるとガムを取り出し「クールミントガム」とつぶやいて一枚くれた。

またおにぎり食べ始めてると、かつてベルギーの田舎町に遊びに行った時のことを思い出した。友人の家に泊まった朝、ひとり早起きして散歩してたら畑仕事をしてるじいさんと出くわしたのだが、そのとき彼からミントキャンディーをもらったことがあったのだ。労働をする人々のポケットの中には万国共通、ミント味の何かがしのばせてあるのだなあ、と感心した。同時になんでか笑みがこぼれ、疲労が20％くらい消し飛んだ。けど、ガムは苦手なので後で誰かにあげようとポケットに仕舞った。

おにぎり平らげ饅頭2個食べたら、とびきりうまかったので（饅頭類の味にはうるさい）さらに元気がでてきた。それでまた歩きはじめた。太陽同様西へ西へと進む。相手が地平線に沈むのが早いかおれが実家に帰り着くのが早いか男と男の勝負だ。（フランス語で太陽は男性名詞なのでここでは勝手に男にしときますが、女だったらすまん太陽）競争相手はでかいほどいい。しかし、おれは独り黙って歩くのに、野郎ときたら頭上からまばゆい光と灼熱で攻撃だ。ひきょうだぜ、まったく。と、ぶつくさ言いながらもなんとか、ゴールに次ぐ最大の目標地点である西海橋にたどり着いた。眼下のうず潮と大怪獣ラドンの衝撃波に破壊されたことで有名なアーチ橋だ。3時ちょうどだった。家をでてから40と数キロ。マラソンの距離くらいをやっとのことで歩きおおせたことになるが、手はトムとジェリーのトムがドアにはさんでギャーッと叫ぶときのように腫れ上がり、足はぶつかり稽古半日やった新米力士のように真っ赤でパンパンだ。体力は幸いまだあるけど、四肢の痛みに最後まで耐えきれるかどうか．．．ひと休みするべく欄干のそばのベンチに腰を下ろしたものの、果たしてもう一度立ち上がることができるのかと不安になる。

それにしても、てくてく呑気に歩いてさえこうなのだから、この距離を走った時のしんどさっていったら、そりゃあメガトン級だろうと思った。タイムはどうであれマラソンを完走する人達への畏敬の念が眼下のうず潮のようにぐるぐる心に湧き上ってきた。それで、ビキニ着て肢体くねらすグラビアアイドルだろうが、まったく面白くない冗談大声でわめき散らすお笑い芸人だろうが、マラソンを完走したと知るならばテレビの前に背筋をただし黙礼するくらいのことはせねばならぬと思った。思ったとたん、傍らの観光土産屋の店先に宮崎県産品のポスターが貼ってあり、知事がはっぴ姿で写ってたのでこくんと礼をした。

十分ばかりそのままベンチでぼおっとしてたら陽の光が和らいだ気配がしたので、あわてて出発した。もはや歩くというより上半身が下半身を引きずっていると言ったほうが適切で、スタスタではなくズズッズズッといった趣だ。それでも何とか先へは進み、少し行くと鯛焼き屋さんがあった。ちらり見やると、きちんと白い調理衣着た兄さんが焼いていた。酒饅頭は色っぽい女だが鯛焼きは仕事熱心な男のバイト学生がいいよなと思った。ついでに言うなら、今川焼ならやはり深沢七郎（今時あまり人は読まないが読んだ方がいい）みたいな一風変わった初老の男が似合う。ところで、甘いものは欲しないが喉がすごく乾いていることに気がついた。昼食時にお茶を飲んだだけで何ぶん水分ずいぶん長いこと補給してないので、あたりまえだ。しかしもう後ちょっとだけ我慢することにした。なぜなら、こんなにしっかり照らされて動いて汗かいて、どこに出しても恥ずかしくないくらい立派に乾ききっているのに、自販のジュースごときを流し込んだのでは身体に申しわけないと思ったからだ。数キロ行くと農産物の直売所みたいなとこがあり、そこにたしか自家農園でとれたブルーベリーの果汁100%ジュースが売ってあったはずだ。いつぞやドライブ途中に立ち寄った時はその高価な値段に断念したが、今回なら買って飲んでも誰も文句は言うまい。

その甘酸っぱく芳醇な濃い紫の液体が五臓六腑に浸透していく様を想像する喜びだけを力として、乾燥してるのに重たいピラミッドの石みたいな身体をえんやこら押して進ませた。そうして到着し店へ入り500mlのやつ一本つかみレジへと向かった。向かいながら念のために値段を見た。「ううっく．．．」高くとも600円くらいだとあなどっていたが1500円だった。180mlが500円だけど、これでは乾きがとうてい癒えぬ。どうりで前回見送ったわけだ．．．絶望し店内に立ちすくむ姿に向かい「こうじ、ずばんといっちまえよ！今いかんでいついくんや！」と誰かが叫ぶ。しかし、やはり今回もやめにした。”高級”すぎると感じたからだ。たとえば、仁義に反した組長たたき切って入れられた刑務所から15年ぶりに娑婆に出てくる兄貴分にフランス料理のフルコースをふるまうようなものだし、あるいは、昼間は一家を支えんがために重労働、夜になると夜間で勉強、そんな苦労をしてやっと受けた国立大学に合格した青年にフェラーリを褒美にやるようなものだ。前者にはすき焼き定食、後者には自転車くらいがちょうどいいし、彼らにしたってその方がありがたかろう。それで結局、店先の自販のジャスミン茶を買って飲んだ。うまかった。

また歩きはじめる。まるで40女を背負ってるように足取りが重い。甲やスネ、膝やふくらはぎはこれ以上ないほど固く腫れあがり、足裏は豆だらけでもう何回安全ピン突き刺したかわからない。一歩一歩が重要だ。普通の一歩が30円くらいなら今の一歩は2千円くらいの値打ちがあると思った。50キロを過ぎるころになると、もはや数百メートルごとに休みをとらないことには膝から下が言うことをきかなくなってきた。一歩踏み出すごとにロシアのコサック兵士の強者がやってきて、膝下をぎりりと力の限り絞り上げるみたいだ。人目がないのなら、這うか逆立ちして進んで行くほうがはるかに楽だろうと思ったし、陸地ではなく海ならばすいすい泳いでいけるのだがと幾度も嘆いた。

しかし、意外なことにコサック兵のことを思いついたおかげで状況が一変した。つまり、おれの荷物はちっちゃなリュックひとつだが、行軍の兵士や難民の人々なんかは武器や家財をたくさん抱えて飲まず喰わずで何百キロも歩くのだということに気がついた。そしたら、「こんなことでぶつくさ文句言ってたらダサいぜ」と（兵士や難民の人たちには勝手に利用してすまないが）なんとなく元気になってきた。歩む速度を何時間かぶりに速め、うなだれていた顔をあげた。すると山間から見える西海が夕陽に染まり紅く輝いている。なんちゅう美しさやぁ．．．
ここにきて太陽はおれの競争相手から、互いにはげましあって歩く同伴者になった。この土地、西海は父と母が生まれ育った場所であり、祖先は何代もこの落日の光に照らされ育まれて生きてきた。つまりおれの中に脈打つ血はこの夕陽の紅でできている。夕陽に身体が呼応して、力が湧いてくる。
憔悴しきってるのに今朝出発した時と似た晴れやかな心地になった。紅から茜色へと変わる光の中、足の痛みをすっかり忘れ、このままずうっと歩き続けていたいよなぁとさえ思った。

「ただいまーっす！」７時過ぎに家に着いた。すっかり暗くなっていた。「あらぁ歩いて来たん？電話すれば駅まで迎えに行ったのに」「いや、駅からじゃなく長崎からずっと歩いてきた」「あん？」
それからさんざん「あきれてものも言えん．．．」「身体壊す！」「いい年こいて何者や」などと小言をいわれた。

いたるところ、じんじんひりひりがくがくする身をそおっと湯船にしばらく浸けたあと、やさしく撫でるように洗い、赤ん坊拭くように拭いて、着替えて食卓に着くと、なかなか豪華な刺し盛りが用意されていた。「やっぱ、こんな時は刺身やろっ？」風呂にはいってる間に買いに行ってきたらしい。ありがたくたらふく食わせてもらった。酒は、もうほんとのほんとうにうまかった。こんなにうまい酒が飲めるんなら60キロでも70キロでもいつでも歩いてやるぜと思った。やはり、この充足感や達成感は誕生日のプレゼントとしては最上級だ。
食べたら歯を磨いて二階に上がり布団のなかにぶったおれた。身体が大きな瓶で中にぎっしりにしんの酢漬けがはいってるように重たかった。布団の中に沈んでいって畳も天井も通り抜け階下にどさりと落ちてしまいそうだった。とても深い眠り．．．ミシシッピーとかメコンとかそんな大河流域の、この世で最も肥沃な土に厚く厚く覆われてるみたいだった。

翌朝目覚めると、がくんがくんだった。昨晩は疲れて朦朧としていたので痛みを感じる気力もなかったのだが、それが回復したためいたるところが疼いた。水を飲まんがため一階へ行こうとするものの階段は立っては下りれず、腰掛けて一段づつそおっと下りた。壁をつたいながら台所に向かってると洗面所の方から母の声がした。「あんたぁ、洗濯物出すときは気をつけなさいよー」「ポケットにガム入っとったよー」
ああ、そうだ、クールミントガムのこと忘れてた。

さて、今年の誕生日には何を自分に贈ったのかというと、それは”引っ越し”だ。
４月半ばから長崎を離れて福岡に移り住んでいる。筥崎宮の近くだ。一月たってようやくどこの店の野菜が安くてうまいか、どこにいい酒が売ってあるのかがわかり始めてきた。

今回の曲
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=ATsG2CMGJt0">Ultra Orange & Emmanuelle 「Don't Kiss Me Goodbye」</a>

長崎から佐世保まで歩いてる間、もっとも鼻歌に登場したのがこの曲だ。なんでだろう？]]>
      
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   <title>かきなおし</title>
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   <published>2010-03-23T11:14:56Z</published>
   <updated>2010-03-23T22:00:44Z</updated>
   
   <summary> ひょんなことから、今年は春に旧作を中心とした個展をやることになった。一月末にベ...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web1200.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/web1200.jpg" width="370" height="283" />
ひょんなことから、今年は春に旧作を中心とした個展をやることになった。一月末にベルギーから帰国するとすぐさまその準備にとりかかった。展示する作品を選出すべく実家の押し入れからむかし描いたやつ引っ張りだして畳の上に並べる。ひさしぶりに古い絵（といっても４、５年前だけど）を手に取る。なつかしい．．．
ってなことなんかは全くなくって「あれ？」「なに、これ？」という感じだ。頭の上にははてなマークがいっぱい。その姿を誰かが見てたなら「こうじさんは、その時きょとんとしてました」と報告したくなるような状態だ。

つまり、絵を見てたしかに自分が描いたものだというのはわかるんだけど、いったいなんでそんなもの描いたのか、こんな色つけたのか、あんな形にしたのかがわからない。ぎくしゃくしてバランスが悪いし、手を抜いてて粗雑に見える、しょぼいったらありゃあしない。しかし同時に、それらを描いたその時々こと、誠心誠意全力出し切って描いたこと、はしっかり覚えてるので、注いだもの（時間やエネルギー）と眼前の作品のはげしい格差にあっけにとられてしまう。

あっけにとられてたって仕様がないので、手当り次第に描き直してゆく。描き直し方は様々だ。人物の表情をほんの少し変えるだけのこともあれば、微かにしか原型をとどめぬほど手を加えたり、時には全部塗りつぶして最初っから描き直すこともある。で、変な話しだが（当人は全くそうは思わないけど、聞いた人が大方そう言うので．．．）これがとっても楽しい。

雑誌広告なんかの気取ったモデルの顔に髭や変な衣装を落書きしてるような感じでもあるし、冷蔵庫の中の余りものをつかって料理してるようでもある。あるいは、昔の彼女と歩いたのと同じ街を新しい彼女と歩いてるような心地もする。なんというか、この絵は一回ちゃんと日の目を見てそれなりの生をまっとうしているので、失敗したっていいやっ、という安心感が筆をすいすいと進ませる。かといって、軽快なだけでもない。なぜなら白く塗りつぶしたとはいえそこは絵画。消去したらほんとの無になっちまうデジタルイラストとは異なり、その下には幾重にも絵の具が重なっている。それらの色や形の層が筆を下からぐいと引っぱる。そりゃあ強い抵抗力で、その手応えがまた心地いい。真夏のプール、図太い陽光が何百も降り込んで水が黄金色に濃くなるんだけど、それをざっぱざっぱと掻いて泳いでるみたいだ。

とはいっても、絵を描きだしたはなっからそんな具合に”描き直し”を楽しんでいたわけではない。当初は一応描き終わったのならそれはそれとして遠ざけて見ないようにし、次々に新しい作品を描き連ねていた。一回描き終わった作品に関わってたってあんまし学ぶことはないだろうと決めつけていたからだ。
しかし、あることがきっかけでそんな態度が変わった。今回はそれについて書きます。以前、ある新聞にエッセイを連載してた時に書いた話しの”書き直し”です。「話し」も「絵」と同じで、ひさしぶりに読むと「なに、これ？」で、書き直したくなります。つまり、以下は「描き直し」のはなしの「書き直し」というわけです。

５年前、ベルギーに住んでた頃のはなしだ。パリでの個展が決まりそれに向けて懸命に絵を描いてたら、ニューヨークで編集業に携わっているという女の人から突然連絡があった。なんでも今度ファッションイラストの画集を出すので作品を掲載させてくれないかという。初めてだというのにヘイとかヨォとかたいへん気さくだし、エクセレントとかスパースターとか持ち上げることはなはだしい。アメリカの人にはこういった感じの人が比較的多いと経験的に知ってはいたけど、それにしても軽率でなんとなくうさんくさい感じがした。ファッションなんてのに関わってる人ってのはちゃらちゃらしていかんよなあと思った。それでその時は適当に気のない返事をしておいた。すると間もなく、当時ちょっぴり世話になっていたパリのイラストエージェントの人から電話がかかってきた。彼が言うには彼女、VOGUEアメリカの編集部の人でその業界（ファッションイラストの業界というものがあるらしい）では有名なのだという。そりゃあ断ったりしたらもったいないと、掲載を承諾した。当時は（というか今でも）注文の来るイラストっていったら、ひとコママンガや食べ歩き文章の挿絵なんてのが主だったので、奇妙な感じがした。
するとしばらくして今度は「絵を買いたい、原画を見るのは困難なのであんたのHPに掲載されてるものから選ぶのでよろしく頼む」という連絡があった。

一方、そんなメールが来た時点でパリの個展まであますところあと２日になっていた。その時まで３９枚の新作を描いていたのだけれど、告知していた枚数まであと１枚仕上げなければならない。しかし、買い置きのキャンバスが底をついてしまった。買いに行く時間さえ惜しいので仕方なく前回展示した絵に手を加えて出品することにした。物置から適当な大きさのやつを１枚選んで持って来て数ヶ月ぶりに見てみる。「ううむ、つまらん絵やぁ」「なんでこんなの展示したんだろう．．．」とため息が出る。しかしため息着いてる間も時はいっちまうので、あれこれ考えず感じるままにさっさと描き直しを始める。色や形なんて意識してる暇なんてないので、手の中に脳みそがある状態。ここをこうしようと思うのと筆を動かすのが同時だ。
さて、そうやってしばらく休むことなく筆を動かしていたら”ここをこうしよう”というのが尽きて見当たらなくなったので筆を置いた。そうやって目の前の絵を改めて見たら、髪型や背景などをほんの少し変えただけなのに、ぜんぜん違った印象を与える絵と成り代わっていた。さらにびっくりおったまげたことに新作４０枚の中でも最も良い絵になっていた。　　

もともとの絵を描いたのは一年前である。その時に髪型や背景変えたらもっと良くなるなんてこと、まあぁーっったく気付きはしなかった。したがって、その”ほんの少し”の変更ができるようになるために１年もかかったということになる。ありゃー、何てこったい。求めるものは足もとに転がっていたのに、そこに辿り着くまであちこち迷い、遠回りをし、こんなに長い道のりを要してしまった。しばしの間ずしんと落ち込んでしまった。

しかし、それじゃあその遠回りがあんた辛かったのかい？というと、そうではない。それどころか、その道程こそが生きているという確かな実感を与えてくれる唯一のものだ。そういえば三國連太郎扮した阪田三吉が浜辺に這いつくばって「将棋の神様よぉ、お願ぇだーっ、おれを日本一の将棋さしにしておくんなせーっ」と咆哮する伊藤大輔かだれかの映画があった。それを見た時、「三吉さん、ひょいと願いが叶って苦もなく日本一になったりしても楽しかあないだろうに、なんで願いごとなんてするんだろう」と不思議に思った。
高度なナビシステムついた自動車でさあーっと目的地に辿り着いたとしてもあんまり楽しくはない。長い道、自分の足でてくてく汗かいて歩いていくのが楽しい。目的地にある名勝の景色より以上、通りすがりに見る路傍の草花が美しいし人の心を豊かにする。したがって目的地は遠ければ遠いほど、道のりは長けりゃ長いほどいい。
と、そんなことあえて望まなくったって、この描き直して今は輝いてる絵だって数年後には「あれ？なんでこんな絵描いたん？」と感じられるようなしょぼい絵に立派に成り下がっているだろう。そうしたらまた描き直す。終わりはない。

さて、話しがいささか大業になったが、こういう風にして４０枚目の絵が完成したので、さっそく写真にとってサイトにアップした。

しばらくして先のニューヨークの人から連絡があった。買いたい絵が決まったという。彼女が数十枚ある中から選んだのは驚いたことにその描き直した絵だった。ぼくは背筋がぞっとした。さすがプロだ、なんという目の確かさだと畏れをなした。そして彼女のこと、ファッションかぶれのお調子者だとあなどっていた自分を深く恥じた。

と、まあ以上が前に書いたはなしの書き直しだ。

ところで、今回この春の個展には100点近くの作品を展示したのだけど、それらは大きく４つのカテゴリーに分類される。
１）全くの新作
２）旧作の中で「しょぼいぜ」と思い描き直したもの
３）旧作の中で「けっこういかすぜ」と思いそのまま出品したもの
４）旧作の中で「しょぼいぜ」と思ったけど描き直さず出品したもの

さて、４）は全然期待してなかったのに、１）～３）と変わりなく好いてくれる人がおり、それどころか中には一番気に入って買ってくださる方もいた。
ということは、おれの”しょぼい”は誰かの”いかす”になり得るということだ。
だとするとおれは、たくさんの誰かにとっての”いかす”を自分の楽しみだけのために描き直すことによって”しょぼい”にしてしまってるのかもしれない。
だれかにとっての菜の花畑を勝手にコンクートで埋めてしまい、そこに今流行りのカフェかなんか立ててるのかもしれない。
いったん描き終えたやつは誰かの花畑たることをそっと祈り、野に放っておいたほうがいいのだろうか．．．それともそれこそ身勝手な余計なお世話なんだろうか．．．うう、わからん。
しかし、わからんからこそこの世はいかしてるってのだけははっきりわかる気がする。
そのおかげで、おれのようなものの立つ瀬がある。

今回の曲
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=BEz8N8AT-yo">Metric「Sick muse」</a>
ここ数年、絵を描きながらほとんど毎日聞いてるのが彼らMetricの曲で、なんで聞き飽きないのかとても不思議だ。ブリュッセルでのライブをうっかり行きそびれたのが今でもたいそう悔やまれる。

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   <title>不毛地帯</title>
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   <published>2010-03-04T06:55:01Z</published>
   <updated>2010-03-04T11:00:14Z</updated>
   
   <summary> 今は現代美術館なんてものに変わり果ててしまったけど、むかし熊本は上通りアーケー...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web1003.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/web1003.jpg" width="454" height="340" />
今は現代美術館なんてものに変わり果ててしまったけど、むかし熊本は上通りアーケードの入り口に、”いきなり団子”（熊本名物）屋さんがあった。いつだってもうもうと湯気をあげており、すぐれた絵画や彫刻に劣らず人の心を豊かにしていた。先月、個展の搬入のためひさしぶりに大学時代を過ごした熊本へ行った。街をふらついてたらその団子屋さんがあった場所に行き着き、そうしたら思いだしたことがあるので書きます。話しの都合上、出だしがちょっと荒々しいですが勘弁してください。

大学受験ってのはでかい鉄のポンプみたいなやつだ。朝取り大根のようにみずみずしい若者の水分、すっからかんに吸い取って茶色の切り干しにしてしまう。逃れる術を知らずただ生真面目に勉強するしかなかった高校最後の半年は、潤いのないまるでタクラマカン砂漠みたいな生活だった。そんなわけだったので大学入ったら、軽いサークル掛け持ちし女の子らとはしゃぎ、勉強は適当にやって気楽に暮らしてゆこうと計画していた。ところが、新歓コンパなんかで実際そういう風に気楽にやってる先輩見たら、こんなだらっとした人間にはなりたかないよなあ、と強く思った。強く思ったまさにその隙を付け込まれ、勧誘され、気がついた時には道着きて帯びしめて、中国拳法の練習に励んでいた。
励んではいたがあんまり他の部員にはなじめなかった。一言で言うと汗臭く野暮ったい人間ばっかりだったからだ。だから部活が終わるとミーティングもそこそこに、すきっとシャワーを浴び夜の街へバイトへ出かけた。だからといって、学部にいる流行りのポストモダン本読んでるお洒落連中とは仲良かったのかというとそんなこともなく、彼らにはもっとなじめなかった。ひ弱でいかんと思った。（あ、どっちとも少し言い過ぎなので、もし誰か読んでたらすまん）
無理して一言でいうのなら、”フランス製のワークウェア粋に着て畑を耕し（あるいは魚を捕り）、その合間に分厚いロシア文学読んで「人とは何か」と自答してるような若者”たることを自分にも他人にも強く欲していた。
が、そりゃあ無理ってもんだろう。
ないものねだりで、どの場所に身を置こうともけっして深くは溶け込めず、独りぼっちだった。それで大学時代はあんまし幸福ではなかった。形は違えど、高校時代のタクラマカン砂漠同様、草木も生えねば花も咲かぬ不毛の時代だった。
　
さて、そんな大学生活３年目のある夜のことだ、部活の忘年会か新年会だったか忘れたが、全員しこたま飲んだ。たいそう酔っぱらって血の気が増し熊本のアーケードいっぱい横に広がり皆で肩いからせメンチきりながら歩いた。上通りの入り口にはいったとこで前方から同じくらいの年格好と人数の一団がやってきたので、これ幸いと真っ直ぐ進んでって身近なやつにごつんと肩をぶつけた。「気いつけろよぉ」と言い残しそのまま何歩か歩いたのだが、どうしたことかいきなり目の前が真っ暗になった。数十秒して気がついたら地べたに這いつくばっていて、顔上げてみたら大乱闘が繰り広げられていた。
　早速立ち上がろうとする姿を皆が変な顔で見てるのでわかったのだが、あごの下からぼたぼたと血が流れ落ちていた。「ひゃあ、凶器攻撃受けたプロレスラーみたいやん」とおかしかったが、それより頭にきて「どわぁれやあぁあ！（誰だ、おれを後ろから殴った野郎は！）」とわめいた。「こうじ、こいつやぁあ！」と間髪入れずに誰かが叫んだが、それをかき消すようにパトカーのサイレンが鳴るのと「逃げろー！」「おい、兄ちゃん、こっち来い！」と腕を引っ張られるのがほぼ同時で、ありゃりゃりゃあーという感じだった。

「学生が警察の厄介になったらいかんやろ」とその男は言って、入ったことない裏通りのビル一階奥のスナックに連れて行った。なじみの店なのだろう。「ちょっと隠してやっとって」とママさんに告げるとすぐにどこかへ出て行った。ママさんに言われるがままカウンターの後ろに屈んで座ってるとパチンパチンパチンとビニール裂いて「傷口に当てときっ」とおしぼり３枚手渡してくれた。ふつうは「いらっしゃい、どうぞ」っと、１枚きりなので、特別扱いでうれしかった。他にお客さんいなさそうだし、わりと好みのタイプなので何か話しかけようとしたら「警察回ってくるかもしれんけん、しばらくじっとしとき」とやさしく強く言われた。それで黙って、やることないのでママさんの足を見ていた。１万ちょっとくらいの鶴屋（熊本にある百貨店）の１階に売ってありそうな靴だった。女の人の足をこんなに長い間見るのはそれがはじめてだった。なんでハイヒールなんて履くんやろうとか、サイズは24くらいかなとか、かけっこはそんなに速くなさそうだ、とかいろいろ考えた。まだ考えつくさぬうちに、さっきの兄さんがもどってきた。そしてカウンターごしにひょいとこちらをのぞきこんで「おい、病院いくぞ」と言った。間近で見るその顔は、腕の立つ左官屋さんのようだと思った。
「ありゃ、けっこう深かねえ、骨の見えとる．．．」と夜勤の医者が言った。続けて「麻酔する？」と聞かれたが、たいそう酔ってて全然痛みを感じてなかったので「あ、いいっす」と断って５針ほど縫ってもらった。

翌朝目覚めたら周囲が真っ白で、一瞬雪の中かと思ったが、真夏の病室のベッドの上だった。めちゃめちゃな二日酔いで脳みそがまるでひからびたレモンみたいになっていた。そんなパサパサ脳ミソから昨晩の記憶を最初から順番に絞り出してたら、飲み会が終わりアーケードをわがもの顔で歩き出したところ、まだその登場場面までたどり着かないうちに「よう！」とあの兄さんがはいってきた。
誰だか思い出すまで、２秒くらいかかった。あわてて、「おはようございます」と挨拶をし、続けて「きのうは、ありがとうございます」とお礼をいった。しらふで見ると彼がその筋の人間であることがアホな大学生にでもはっきりとわかった。それでひょったしたら、たくさんお金とか請求されるんじゃあなかろうかとびびった。びびってたら「ほら、アイス」といってアイスクリームをくれた。
いっしょにアイスを食べながら10分くらい話しをしたけど、アイスの種類も話しの内容もすっかり忘れてしまった。「ここ、おれの顔きくけん、心配せんでよか」と言うと名も告げぬまま去って行ってしまった。

そんなことがあったので、あごの左下のとこには傷跡が残っている。そこだけ白く細長い線が引かれていて髭が生えてこない。あんまりいいことがなかった大学時代を象徴するような不毛の場所だ。仕事柄、一週間に一回くらいしか髭をそらないし鏡もめったに見ないので、その不毛地帯を意識することなんてめったにない。めったにないんだけど、今やそれなくしては顔も人生も成り立たぬ、大切なものだ。

今回の曲
<a href="http://www.dailymotion.com/video/x15670_grace-jones-la-vie-en-rose-live_events">Grace Jones 「La vie en rose」</a>

エディット・ピアフの原曲を聞く前にこっちを聞いた。「人生はばら色だ！」と何度も繰り返し絶唱するのを聞いてたら、なぜかしらん自分の未来をぎゅうと抱きしめたくなった。そのことが大学卒業後パリに行くきっかけのうちのひとつとなった。




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   <title>春個展のお知らせ</title>
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   <published>2010-02-06T00:15:35Z</published>
   <updated>2010-02-08T11:32:46Z</updated>
   
   <summary> 　アジサカコウジ新旧作混合春個展「クロアカキシロ」　 2003年より2008年...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="jette01web01.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/jette01web01.jpg" width="277" height="394" />

　アジサカコウジ新旧作混合春個展「クロアカキシロ」　

2003年より2008年までの６年間毎年夏に行った個展で発表した旧作品と、2009年に描いた未発表の新作数十点を合わせて展示します。個展のタイトル「クロアカキシロ」というのは”黒赤黄白”のことで、ベルギーと日本の国旗の色からとってつけました。なぜならこれらの展示作品を描いてた６年間のうち、はじめの３年がベルギー、あとの３年が日本にいたからです。
個展はまず熊本、つづいて福岡と巡回します。
熊本はいつもの”カフェOrange"で、選りすぐりを40点ほど展示する予定です。
福岡については、今回縁あって同時に３カ所で展示を行います。それぞれの場所に合わせて作品を選び、各場所30点くらい展示するつもりです。
以下、おおまかに説明します。
１）亞廊（あろう）
中央区は薬院にできた新しいギャラリーです。ここでは、何となくかわいくてキュートな、女の子度数が高い作品を展示します。
２）QULTEROOM（キュルトルーム）
福岡を拠点にコレクションを発表する服のブランド"GROU"のアトリエ兼ショールームです。ここでは比較的切れのいい、スタイリッシュな（と勝手に自分が感じる）作品を展示します。
３）キューブリックギャラリー
JR箱崎駅近くの本屋さん”キューブリック”の２階にあるギャラリーです。ここでは、物語性の高いものやコミカルなものを展示します。

＜熊本展 ＞
2010年2月18日（木）～3月14日（日）
・カフェOrange
熊本県熊本市新市街６－２２
096-355-1276
11:30～21:30（金・土曜日22:30）
定休日：ナシ

＜福岡展＞
2010年3月20日（土）～4月18日（日）

・ギャラリィ亞廊
福岡市中央区平尾1-4-7 土橋ビル307
092-523-7736
11:00～19:00
定休日：火、水曜日

・QULTEROOM
福岡市東区箱崎3-9-38 明石ビル２F
土、日のみ営業
12:00～21:00
　
・ブックスキューブリック箱崎店　２Fギャラリー
福岡市東区箱崎1丁目5-14ベルニード箱崎２Ｆ
092-645-0630
11:00～20:00
定休日：月曜日

＊個展期間中はよっぽどの事がない限り週末は、各会場またはその周辺におりますので、「よう！」と気軽に声をおかけください。
とはいっても福岡は３つの場所でやりますので、それは困難。したがって、土曜日は「ギャラリィ亞廊」のある薬院、日曜日は他の二つの会場がある箱崎界隈にいるつもりです。熊本はオレンジで猫と遊ぶかアーケードを散歩してるはずです。

＊展示作品は販売します。大きさなどによって値段が異なりますが、小さいものが４～６万、中くらいのが８～１２万、大きいのが１５万～といった感じです。もちろん、後払いや分割払いオッケーです。

＊一昨年より描いてるパノラマ状のでっかい作品はまだ制作途中で、今年の夏に行う個展で発表するつもりです。

＊浅川マキの歌の中では「紀伊国屋ライブ」のB面の最初に入ってる「少年」という歌が最も好きです。薬院の「木賊」のカウンターでイタリア娘３人相手に日本の代表曲だといって歌ったことがあります。]]>
      
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   <title>エタベックブルー</title>
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   <published>2010-01-30T00:07:16Z</published>
   <updated>2010-01-31T02:26:39Z</updated>
   
   <summary> ベルギーに来て幾日かが過ぎ、年が明けるとちょっぴり寒さが和らいだ。雪が溶け始め...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web1002.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/web1002.jpg" width="378" height="283" />
ベルギーに来て幾日かが過ぎ、年が明けるとちょっぴり寒さが和らいだ。雪が溶け始め通りが黒く澱んでくる。歩くとぐっちゃぐっちゃで不愉快になってしまうので、あんまし外出する気が起こらない。しかしその晩は友人宅に招かれていたので、泥雪の深みにはまらないよう、右へ左へとぴょんぴょん跳ねるようにしてトラム（路面電車）の駅へと向かった。今回一足だけ持参のお気に入りのスニーカーが中の踵のとこまでぐっちょりになる頃、彼らの家に着いた。
ワイン飲みながらひとしきり話した後、レンズ豆のグラタンを食べた。熱々でたいそううまかった。ところであんまし大切な事ではないけれど、フランス語ではレンズ豆もコンタクトレンズもどちらも”lentille”という。なので、「しまった”lentille”落とした！」と言うと、落としたのがコンタクトか豆か判別がつかなくて困る。ついでに言うと、サラダで食べるアボカドも裁判所にいる弁護士もどちらも同じ”avocat”なので、発音する度に変な感じがする。
さて、会わないでいた１年半分の話しを次から次にやっていて気がつくとトラムの最終が出そうな時間になっていた。半乾きの靴履いて「そいじゃあまた来年か再来年なー」と抱き合いビズして（言うまでもなくこちらの人々は、会ったり別れたりする度にビズ（キス）し合う。）停留所へといそいだ。
歩き始めると間もなく、こめかみから首すじにさらさらさらさらと流れ落ちてくるものがあるのに気がついた。そんな感じ今まで経験したことないので何かしらんと夜空を見上げると、街灯にほんの小さな白い粒が無数に照らし出されている。雪にしてはあまりに細かいが、かといって霰（あられ）でも雹（ひょう）でもないだろう。ともかく九州育ちのおれがまだ知らぬ雨冠のついた何物かに違いない。それがあとからあとから落ちてきては坊主頭をやさしく撫でている。いったいなんだろ、このさらさらした粉状のものは？
「ああ、そうか．．．ははは」生まれて初めて見る粉雪だった。

翌朝目が覚めると、溶け始めた雪で濁ってた街がまた真白になっていた。しかし、なんか普段と違う。
いつも目にする積雪の光がキラキラまばゆく輝く蛍光灯なら、今朝積もった雪が放つ光はおだやかで白熱電球みたいだ。いつもの雪の白がパソコンの画面で見るよな白だとしたら、昨晩降った雪が積もって作る白は、古い８ミリフィルムで見る白みたいだ。
つまり、雪の肌が普段見知ったものよりもっとあたたかで柔らかい感じがする。水でこねて上等のシフォンケーキができそうだ。
粉雪っていうのは、なんとふんわかしてるものなのだろう。
まあそんな具合なので、通りは純白で上等のカシミアセーターまとったみたい、停まった車はきちんと整列してる大きな白猫のようだった。

上機嫌になり朝ご飯食べたらすぐ、その白猫らの背中を手のひらでパンっとたたいて雪の粉舞い散らせながら、地下鉄の駅へと向かった。プールへ泳ぎに行くのだ。初泳ぎはやっぱ、こんな特別の日じゃあなきゃあ納まらんやろうと思った。
今回の滞在中は過去に通い慣れたプールじゃなく、意を決して雰囲気がいいと評判の新しくできたプールへ行くことにした。
スタバ同様、プールは世界中どこいったってそれ自体は同じだ。（たいていは大きな四角い箱に水が溜めてあり、縦にロープを渡すことでコースに仕切られている。そのコースを左回りに泳いだり歩いたりする。）しかし、その四角い箱にたどり着くまでがそんなに簡単ではない。プールごとに独自のしくみというか作法みたいなものがあり、慣れないととまどってしまう。今までけっこういろんなとこで泳いでるんだけど、おおかた最初の場所ではうまくいかずあたふたしてしまう。

そのプールは街中から幾分離れたなじみのない地区にあった。トラム乗り継いで近くまで来たはいいが見つからないので登校中の小坊つかまえ「おはよっ、プールどこか教えてくれ」と聞いた。すると、「ああ、エタベックね、それなら、あそこ左曲がったとこ」と指さすのでその方に向かった。向かいながら、ああ、そうやった、ここベルギーでは市民プールに”カリプソ”だとか”マリブ”だとか名前をつけ、その名で呼び習わしてるのだということを思い出した。このプールの名はエタベックというわけだ。エタベックよ、どうかおれをすんなり泳がせてくれよ。

中へ入り階段のぼるとエントランスホールがありその奥に受付らしきものが見えた。どこにも券売機はない様子なので、入場券は受付で買うのだろう。近づくと髪の短いジョニ・ミッチェルのような女の人が爪の手入れをしていた。このような場所ではたいてい、ベルフラ人（ベルギーやフランス人）は自分の仕事以外のこと（おしゃべりとかクロスワードパズルなんか）に熱中してるので、じゃましてごめんねという感じで、「ボンジュール、大人一枚お願いします」と声をかけた。すると目は爪を向いたまま「地区内？」と聞くので「地区外」とすかさず答えた。以前、どうせばれやしまいと何サンチームか得したいばかりに「地区内（に現住所がある）」と答えた結果、滞在許可証の提示を求められたので今回は正直で通した。言われるがまま３ユーロ払うと、ぼんっとプラスチックでできたカードを渡された。
「ははん、最新ってったって前通ってたとこと同じだな．．．」このカードが今日ここに入ってから出るまでのおれのパスポートとなるわけだ。つまり、このカードを機械に通して入場ゲートを通過。通過したら出てきたカードを受け取り、更衣室へ。水着に着替えたら、脱いだ服やバッグを持って行ってロッカーへ入れる。個々のロッカーにはカードの挿し入れ口があろうから、自分のカードを挿して鍵を閉める。鍵を足首に巻いてシャワー浴びたら、あとはすいすい泳ぐだけだ。泳ぎ終えたのなら、今の手順を逆にやれば無事、泳ぎ初め終了だ。
「無愛想なジョニ～、そんなんじゃモテないぜベイビー、ラララ～」と鼻歌うたいながら、シュタッとカードを機械に通しクルっと回転扉抜けて第一関門突破。サッと出てきたカードを受け取り、サッと出てきた．．．あ、う、カードが出てこない。というか、カードの排出口が見当たらない。一般的には、挿入口の反対側に排出口があるはずなんだけど．．．しかし、ここはベルギーで、ジョニが住む土地だ、おれの中の”一般的”は通じない。それで、ひょっとしたらカードは長い滑り台みたいなものを通過して三方にある壁のどこからか出てくるんじゃあなかろうかと目を凝らす。が、それらしきものもない。やや不安になる。いや、まてよ、そうだ、奥のドアを開けて更衣室に入って、そこでカードを受け取るのだ、さすがに最新式は違うぜ、と納得して扉を開けた。
更衣室は見慣れたものだった。長方形の部屋の真ん中に左右に扉がついた着替え用の個室が並んでるやつだ。こちらから入って水着に着替え、あちら側からでる仕組みだ。しかし、カード取り出し口が見当たらない、ロッカーはどう使うんだろ？あ、掃除のおじさんがいる、聞いてみよう、とあちら側に渡ったら、「ムッシュウ！チッチッチッ」と人差し指立て怒られた。うわ、なにか間違えたのか？とびびってたら、メトロノームみたいに揺れてた人差し指が今度は足元を指した。ああ、そうかあちら側は土禁なのだ。「今きれいに拭いたばっかりなのに、新参者めが土足で歩きやがって」というような形相で睨んでる。「いやあ、初めてなもんで申し訳ない。ところでロッカーはどうやって使うんですか？」と謝りかつ尋ねた。すると「１ユーロ！」とまた人差し指を立てたので、ああ、そうかカードじゃなくてコインを使うのだなと合点して、「メルシ！」と礼を言い足早に個室に入った。すでに五百泳いだくらい疲れてしまった。
が、へこんでたって仕様がない。気をとりなおすとすばやくベルプル用（ベルギーのプール用）にと新調したオーシャンブルーの海パンに着替えた。間髪入れずに脱いだ衣類や靴、バッグをてきぱきとまとめ、右端の一番上の51番のロッカーに放り込む。そしてサっと財布から１ユーロ取り出し、サっと財布から１ユーロ．．．う、げ、１ユーロがない．．．
それでオーシャンブルーのまま回転扉から外へ出て、まだ爪やってるジョニに頭下げ両替してもらわねなければならなかった。が、当然のごとく彼女は小銭を切らしている。めんどくさそうに併設のカフェに両替しに行った。そしたら彼女と入れかわるように、中学生の団体が体育の授業でどやどやと入って来た。
エントランスホール。無人の受付。海パンいっちょうのアジア男がひとり。
ジョニはなかなか戻ってこない、中坊らがクスクス笑いながらこちらを見る．．．

まあ、そんな若干しんどい出来事があったものの、シャワー浴びて軽く準備体操しプールサイドへ出たとたん、すっかり忘れてしまった。どこもかしこも新しくてピッカピカ、水は透き通り泳いでる人が宙に浮いてるみたい。しかも早朝のことで人は少ない。「ジョニ～、ジョニジョニ～、君のプールは最高さぁ」と歌いながら誰も泳いでない一番端の７コースへちゃぷんと入った。その途端、ピーッ、ピピピーッツ！とけたたましく笛が鳴った。
びっくりして見ると監視員のひとりがまたまた人差し指を立て、チッチッチッとやりながらこちらに近づいてくる。そうして、とてもとーっても偉そうに「学校用！」と一言いった。このコース、さっきの中坊たちが授業で使うらしい。ゴボっともぐって隣のコースへ移動した。

泳いでたら、ひどい時差ぼけと寒さでささくれていた身体にやっとこさ生気が戻ってきた。


今回の曲
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=EBWS0N18Kh0&feature=related">Sparks and Rita Mitsouko 「Singing in the Shower」</a>

プール行ってシャワー浴びるとき口ずさむマイ鼻歌ベスト10の常に上位にランクされる名曲。なんちゅうギターのかっこよさや。]]>
      
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   <title>ふぶきのなか</title>
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   <published>2010-01-11T20:59:38Z</published>
   <updated>2010-01-31T02:26:39Z</updated>
   
   <summary> こんなにとてつもなく寒い冬は５０年ぶりだというベルギーに年末から来ている。着い...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web1001.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/web1001.jpg" width="430" height="283" />
こんなにとてつもなく寒い冬は５０年ぶりだというベルギーに年末から来ている。着いた日がちょうどその極寒の始まりの日だった。

先の晩秋、長崎はとってもあたたかで11月末だというのに南東向きの仕事場は、お陽様キラキラ空気ほかほか、暖房なしのスウェット一枚で作業をすることができた。このまま年末までどこにもいかず淡々と仕事をこなし、正月は前の年と同様、実家でこたつで猫とごろんして読書三昧だ、ふふふ。と思ってたらひょんなことから急遽ベルギーに行くことになった。冬のヨーロッパはだいっきらいで叶うことなら関わりあいになりたくなかったのだが、仕方がないので腹をくくってホッカイロをたくさん買って飛行機に乗った。
機内食を食べる度おなかの調子が変になるので、今回はたわむれに生野菜のベジタリアンメニューを頼んでみておいた。そしたら出てきたのはほんとのほんとに生野菜を切ったのとパンが一個だけだった。その野菜もサラダボールにいっぱいというわけでは無論なくって小さなトレイに落ちた花びらみたい、はらりとほんの少しだけ盛られてる。ちょっと悲しくなった。けれども、まあそりゃあそうだよなと納得して栄養素をあらんかぎり体内に取り込もうと、これ以上ないくらいゆっくり噛んで食べた。そうしてたら、坊主頭と生野菜と妙にゆったりとした動作がほんとの坊主に見えたのか、かしこまった口調でスチュワーデスさんの一人が、「それではあまりに少ないのでご飯をお持ちしましょう」とささやくように言った。
しばらくしてレトルトご飯を運んでくると「このままじゃあなんですので空いたトレイによそいましょう」と腰を低くするので、あわてて「私、自分でやります、結構です」と辞退した。”私”なんて日常で使うの生まれて初めてだったので、レタスをおかずにご飯たべながら独り笑った。そいでもってせっかくなのでこの機会にこの機内の中では、ほんとうの坊さんみたいに振る舞うことにした。つまり食べ終わったトレイをきちんと片付け、歯を磨き顔を洗い、身の回りをスッキリ整頓し靴を脱いできれいに揃えた後、毛布をきっちり半分に折って膝から下にかけ、背筋をしゃんとして目を閉じた。
ふふっ、誰がどうみても修行僧の佇まいだな，，，とひとりごちてると、まだ早い時間なのにえらくすんなり眠気が訪れてきた。不思議に思いながらもまどろんでてはっと気がついた。それもそのはず、野菜食べながらワインの小ビンおかわりして4本も空けたのだった。酔った坊主じゃあ話しにならん。ぐーすか寝て起きた時には毛布がだらしなく床に落ちていた。

そんなささやかな事件がモンゴルかロシアの上空であった後、経由地であるアムステルダムに到着した。乗り継ぎの時間が少ししかなかったので足早に入管ゲートに行くとすごい人の数だ。近所のスーパーだろうが郵便局だろうが、最も進むのが遅い列に吸い寄せられるように並んでしまうという難儀な習性をもっているので、この非常時に選んだ列も、動作が緩慢で無駄話の多い間の抜けたような管理官が担当している列だった。遅い、とにかく遅い。となりの列の先頭ではずいぶん後からきて並んだブルーネットの娘がもうすでに笑顔でパスポート出している。こんちくしょう、あっのいんちき売女野郎めが．．．はなはだ理不尽なことではあるが、こんなときには他の列の人たちがなんだか嘘つきで卑怯なやつに見えてしまう。でもって、自分の列の人々は正直で誠実な人間に見える。ううう、あと搭乗時間まで10分しかない．．．
それでもなんとか入管を通過して数分遅れで搭乗ゲートにたどり着いた。が、あたふたと駆け込んだというのにまだ手続きは始まっていなかった。どうやら出発が遅れているみたいだ。いったいどうしたんだろう？しかし、あわてて損しちまったよなあ、とため息をついてなにげに窓の外をみて驚いた。

吹雪だ。それも、古いロシア映画でしか見たことないような正真正銘の、ビュウウウぅうううーっ、っていうすごいやつだ。うひゃあ、これじゃあ飛行機、飛ばんやろう。しかし、どうなるんだろ？
と、責任者らしき人が前に進み出てきた。美しい青のオランダ航空の制服着た、太ったシャーロット・ランプリングみたいな女の人だった。なかなか頼りになりそうで安心した。彼女は手をあげ「えっとー、バスでブリュッセルまで行く人は私について来てくださーい」といった。うひゃあ、12時間飛行のあと４時間半、バスに乗るんかよぉ、荷物はどうすんだろ？飛行機なら数十分でひとっ飛びなのに何てこったい．．．
背中に容量80リットルのリュック、肩に10キロのショルダーバック、右手に20キロのトランク引いて、その吹雪の中をバス乗り場まで歩いた。（なんで乗り場が外にあってしかも離れてるんだよ！と全霊をかけて呪った）とにもかくにも寒い。薄いセーターにパーカーだけの身体は何とか凍るまいと全力で対応するのだけど、いきなりの氷点下にパニック状態、鼻汁と涙があふれ、手足がしびれ、はげしい悪寒にかがみ込んでしまいそうになる。ようやくバスに乗り席に着いても、氷でできた服を着てるような寒気はなかなかとれなかった。
まもなく分厚いコート着たシャーロットが乗ってきて名簿と人員を照らし合わせた後、サンドイッチが配られた。パサパサのパンにチーズが挟んであるだけのかなしいやつだった。「こんなことになって、ごめんなさい。では、みなさんお元気で」と言い残すと彼女は職場へともどっていった。

吹雪の中を高速バスが走る。
ようやくあたたかくなって丸めた身体をのばしてふと見ると、通路を隔てた向こう側、黒人の少年がひとり電灯に照らされている。彼以外はそれぞれの長旅に憔悴し消灯し寝息をたて始めているというのに、彼だけが窓を覆う雪の真白を背景に黒く浮かび上がっている。雪の世界をそこだけ深くえぐったみたいにくっきりと力強い。背筋をしゃんと伸ばし、本とノートを脇に広げ何やら勉強をしている。そういえばベルギーではクリスマス前に期末テストがあるはずだ。まだ１２、３歳くらいだろうに一人旅。故郷のコンゴへ帰省した帰りだろうか．．．それにしても、疲れてるだろうに、偉いなあ．．．と感心してたらいつのまにかうとうとしてしまった。数十分は寝たと思うが、目を覚まし見やるとまだ勉強を続けている。
たいしたもんだ．．．そう強く感じ思わず「よく勉強するなあ、すごいなあ君は」とフランス語で話しかけた。すると顔をあげてにこっと笑ったが、本の表紙の文字はオランダ語だった。それで英語で同じこと繰り返すと、またにこっと笑った。こちらも笑顔を返して彼の手元をよく見たら持ってるのはポケモンの柄の着いた鉛筆だった。ポケモンはドラゴンボールなどと同様、ここヨーロッパでも大人気なんだけど、それを見たら急に親しみが湧いてきて、彼に何か自国のものを無性にあげたくなった。
それで、リュックの中に何かマンガキャラクターのついたものがなかっただろうかと思い返してはみたものの、筆箱もお菓子もキーホルダーもこれといったものは何にもない。ちくしょう、こんな肝心な時にあげるものがなんにもないなんて情けない。何かないかなあ何か．．．とさらに頭をひねってようやっと見つけた。
「ちょっと待っててくれ」と言ってリュックからホッカイロひとつとって袋をやぶいてシールをはがし、おなかのとこに貼って見せた。そうして彼にも同様にするようにと手渡した。手渡すと勝手に安心して、また眠気がずうんとおそってきた。今度のは本格的だった。

周囲のざわめきに目を覚ますと、バスはすでに到着地点であるブリュッセルの空港の敷地内に入っていた。まもなく停車すると、前の人から順に下り始めた。
先に立ち上がった少年はまだ座ってるぼくのほうに少し近づくと、お腹のとこをぽんぽんとたたいて「ホット、ホット！サンキュー！」と言って笑った。それでこちらも笑って「ヤァー、グッドラック！」といって握手した。
ほんとうに、グッドラックよ彼に訪れよ！だ。
深夜吹雪のバスの中、とぼしい明かりで勉学にはげむ、こんな少年こそ幸せにならんといかん。
そうでなきゃあ、世界がうまく立ちいかんだろう、と思った。

今回の曲
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=xIheB0K43_0&feature=related">Ersatz Musica「winter 19...」</a>

ブリュッセルのCD屋さんで試聴し惚れて買った今年最初のCD。その9番目にはいってた曲。
Ersatz Musicaはベルリンへ亡命してきたロシア人からなる楽団で、東欧やジプシーの音楽専門のドイツのレーベル“Asphalt Tango”から数枚CDを出している。
この曲は冬を歌ったものだろうけど、ボーカルIrinaさんの何とも味わいのあるロシア語の歌声が大地踏みしめゆったり歩く馬の蹄みたい。ポッカポッカと響いて耳の穴からしみ込んで身体全体をあっためてくれる。
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   <title>トニオ・クレーゲル</title>
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   <published>2009-12-01T09:10:07Z</published>
   <updated>2010-01-31T02:26:39Z</updated>
   
   <summary> 　中学2年のころのはなしだ。母の知り合いにO先生という人がいた。空手の有段者で...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web0912a.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/archives/web0912a.jpg" width="397" height="283" />
　中学2年のころのはなしだ。母の知り合いにO先生という人がいた。空手の有段者で、地元の商業高校で数学を教える傍ら部活で空手を教えていた。ある日曜の午後マンガ読んでたら「あんたO先生のとこ空手、習いに行かん？～くんと、～ちゃんもいっしょよ」と長電話終えた母が言った。「げげー、やだよー」と反抗してはみたが結局そのふたりの～らと毎週末、空手を習い始めることになった。
３人して緊張して高校の小体育館に行くと部員はたったの５人だった。男３人に女がふたり。アスパラガスみたいな中坊のおれらに比べ、男らはじゃがいもみたいにどっしりたくましく、足に毛がいっぱい生えていた。女らは朝穫ったばかりの大根みたいにふくよかで色っぽかった。
何回か通うと、組み手もやるようになった。受けたり受けられたりするのだが、とても痛かった。高校の兄ちゃんらの腕や足というのはどうしてこうも太くて固いのだろうと閉口した。姉ちゃんたちも、所詮女だと見くびってたらやはり痛かった。手足はよくしなる竹の棒みたい。ひゅんと飛んできてぱんっと打たれ骨身がきしんだ。けれどもその胸の部分は言いようもなく柔らかく、放った突きが誤って当たろうものなら何とも言えぬ感触にたじろいだ。拳の先にまだ知らぬ豊かな世界が存在するのを実感し、一瞬気が遠くなった。
そんな風にして毎週末続けてたら稽古がけっこう楽しくなってきた。痛いしきついし型をやるのは退屈だったけど、組み手が面白かった。間の取り合い技の掛け合いに熱中し、一本をとったときの爽快さに気分を良くした。
かといって週に一回の稽古にあきたらず本格的に町の道場に通いだしたのかといえばそうでもなく、その場にとどまった。O先生に習うというのが心地よかったからだ。彼の人柄を好いた。
この空手の集まりは高校の正規の部活動としては認められてはおらずO先生が個人の意思でやっていた。だから彼の都合でいつ消えてなくなってもよかった。しかし集まりが数人でも、ひとりのときでさえも、毎週O先生は自分の空手教室を開いた。数年して高校の小体育館が取り壊され使えなくなると、はじめ貸し倉庫、幼稚園の講堂、町の公民館と場所が移って引き続き行われた。そうこうするうち教室のことはしだいに口から口へと評判となり、人が多く集まるようになった。いつの間にか小中学生が増え、高校生はぼくらだけになった。
高２になると学校の部活が忙しくなって足が遠のき、いつの間にか行かなくなった。

大人になってから、なんでO先生はあんなにまじめに毎週毎週、教室を開いていたのだろうかと不思議に思った。月謝なんか最初はなかったし、それを見かねた父兄が相談して集めるようになった”お礼”の金額も微々たるものだった。そんなことより大切な日曜日の午後のこと、他の用事や自分の家族へのサービスなんかがあっただろうに。空手教えるのを優先していたのにはどんな思いが胸中にあったのだろう。いつか機会があったら聞いてみたいもんだと思った。

ところでこの空手の教室について、冬になる度思い出すことがある。始めて２年目、雪の日の稽古のことだ。その時分道場としてつかっていた貸し倉庫に行くと、集まったのはぼくら中学生３人だけだった。O先生は少し遅れてやってくるなり真顔で唐突に、ようし今日は公園で特訓だ！といった。ふり返れば、このとき彼に何か自分を律する必要があったのかもしれぬと思うが、その時はただおのが身を案じるより他なかった。だって晴れてるとはいえ、雪の上を裸足で稽古だ。
強烈に寒かった。しばらく動いてたらなんとか身体は火照ってきたけれど、とにかく足が冷たい。というか、冷たそうだ。なにしろ感覚麻痺してるんで、熱いのか冷たいのかわかんなかった。ちょっと涙目になったが、誰も泣き言をいわなかった。体力も学力も好きなマンガも異なる３人だが、こういう時に弱音を吐くのは意気地なしだとの思いは共通していた。白く濃い息と気合いだけを吐き続けた。
そうやって淡々と突きけり繰り返してたら、わあ、何だいこの感じ！たいへん気分が高揚し、すごく清々しい心持ちになってきた。頭上の青空みたいにこころが澄んできた。とっても心地よく、いつまでだって続けられそうだ。
しかし気づくと、いつのまにか時はたち稽古は終わりになった。
「正座ーっ！」「神前に礼！」「お互いに、礼！」「あれ？」「だれ？」
礼をして顔を上げると、前にしわくちゃのじいちゃんが立っている。
じいちゃんは「よお寒かとにがんばったねえ、芋ば食べに来んね？（よく寒いのにがんばったね、芋を食べに来ませんか？）」と言った。

公園の地続きに小屋みたいな家がたっていた。案内されるがままお湯で足を洗い、干し柿の色と匂いのするこたつにはいった。こたつの中でしもやけの足と足がぶつかって、ぎゃっと悲鳴をあげた。
芋は熱くて甘くてうまかった。じいちゃんは空手の教室のことやぼくらの学校、O先生の身の上など、いろんなことについて質問し、「ほぉ、ほぉ」「近頃はなあ」「そがんですかぁ」と熱心に聞きいっていた。年寄りというものはだいたい自分のこと、かつての仕事の苦労話や戦争や持病のことをのべつまくなく話すものだと思っていたのに、このじいちゃんは何でもかんでも聞きたがった。はなしを聞くのがこの上もなく楽しそうで、ぼくらを離すまいと芋の次はじいちゃんお菓子（つまり、甘納豆やカンロ飴や横綱あられ）を運んできた。ぼくらも依然として興奮していたので、我先にといろんなことをはなした。しかしものの30分もしないうち、親が心配するからということでおいとますることになった。
「ごちそうさまでした」「ほんとにありがとうございました。また、遊びに来ます」といって立ち去った。
もちろん”また”なんてなくって、じいちゃんとはそれっきりだった。もうとうにこの世にはいないだろう。なんであの時ぼくらばっかり話して、じいちゃんのことを聞かなかったのだろうとその後何遍も後悔した。ぼくらの前に現れ芋をさし出すまでに、いったいいかなる人生があったものか。聞いたのならおそらくはどんな小説よりも味わい深いものだっただろう。しかしそうしなかったので、じいちゃんはただの芋のじいちゃんだ。でも同時に、芋といえばそのじいちゃんだ。後年、蒸かしたさつまいもを食べるたびに彼の姿が眼に浮かんだ。干し柿こたつとしもやけと澄んだ青空を思い出し、ほっこり、いかした詩の一編でも読んだ心地になる。

ところでここで話しはいきなり最近のことに飛ぶ。去年の師走のことだ。久方ぶりに実家に帰省した。マンガ読んでたら「あ、こうじ、ちょっとごめんみりん買って来て」と母がいうので、スーパーに買いに行った。支払い済ませてふと見ると一番向うの端、買ったものを袋に詰める作業台のとこにO先生が立っていた。持参の買いもの袋をひろげ、レジに並んでる妻を待っている。背筋がしゃんと伸びて道場にいるみたいだ。おだやかなまなざしで妻を見守っている。その姿によって、数年前定年退職されたこと、二人の子供はそれぞれ結婚し今は夫婦ふたり暮らしであること、ごく最近まで空手の教室を続けられていたこと、などが想像された。会わないでいた25年間の彼の人生がくっきりとその姿に見てとれた。
あっちこっちに移り住みあっちこっちに駄作や駄文を連ね、ころころ変化して生きてるぼくが小さなデジタル電化製品みたいなものだとするなら、ひとところにとどまりひとつの仕事を為しそこで自分の生を充実させてきた彼はぼくの目には大きな銀杏の樹のごとく映った。そのはっきりとした輪郭に向かって遠くから一礼をすると黙って立ち去った。
帰ってそのことを母に告げると「あんた相変わらず変わりもんやねえ、話しかけたらそりゃあ先生喜ばれたやろうに」と言われた。

ときどき、影響を受けた人物を教えて下さいと聞かれる。よく知られた人の名を上げ連ねるのは簡単だけど、特には答えないことが多い。自分の生活の中で実際に会った人たち、空手の先生や芋のじいちゃんみたいな人たちに比べると、著名な人々からの影響はさして大きくはないと感じるからだ。

今回の曲　
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=YlBl0QWDkws&feature=related">Broadcast 「 Winter now」</a>

むかし犬養道子が「世界」かどこかに「外国の人を日本に招待するとしたら季節は冬にかぎる」というようなこと書いてるのを読んで、「ふん、お金持ちのお嬢さんが何をたわけた事を、季節はいつだって夏に決まってるぜ」と思ったが、ヨーロッパに7年ほど暮らしてみて日本の冬の類いまれなすばらしさが身にしみてわかった。一言で言うなら、キッパリしているのだ。とっても寒いが空はどこまでも青く空気は澄んで光に満ちている。西洋のどんより暗くて重たくてただただ寒い冬とは大違いだ。もしも、宇宙「冬」選手権大会とかがあったのなら、地球代表は日本の冬を置いて他にはないと思う。カナダやオーストリアなんかの冬も少しは健闘しそうだが、ベルギーやパリの冬なんてのはまるっきり予選落ちだ。
そんないかした本邦の冬が訪れる今頃になると、この曲がひんぱんに鼻歌にかかる。冬のキラキラした感じがよく出てると思う。]]>
      
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   <title>奇長山</title>
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   <published>2009-11-11T12:12:48Z</published>
   <updated>2010-03-09T13:38:56Z</updated>
   
   <summary> ベルギー暮らしの後、長崎の地を新しい住処に選んだのには36個ばかり理由があった...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web007.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/archives/web007.jpg" width="366" height="283" />
ベルギー暮らしの後、長崎の地を新しい住処に選んだのには36個ばかり理由があった。１から5までは秘密で（ふふふ）、20以降は話してもさして面白くはない。それで今回は、その６とその11のことを書こうと思う。

まず、長崎を選んだ6番目の理由。それは、買いものをするのに心地がいい商店街（市場）がいくつかあったことだ。魚は魚屋、野菜は八百屋、金物は金物屋で買うことができる。すなわち、食べものは食べ方を、金物は使い方を、売ってる人に聞きながら買いものすることができる。「生姜の酢漬けってどうやるんだっけ？」とネットでさがせばレシピがすぐにでてくるが、八百屋のおばちゃんにそう聞くと、「にいちゃん２、３日待たんね！新生姜が出るけん」と助言される。あるいは、「こっちも食べてみんね」と自家製ラッキョウを買わされる。他の人はどうかしらないが、生姜求めて行ったのにらっきょう下げて帰宅するといような予想外の出来事は生活の中に必要だ。むろんネットサーフィンでも、当初検索したのとはまるっきり違うものにたどり着くという醍醐味はあるだろう。しかし、それはいかんせん単なる情報に過ぎない。らっきょうの匂いと味がしない。

とはいっても、会社勤めの人であったらそんな悠長な買いものの仕方は難しかろう。第一、仕事終わる頃には小さな個人商店は閉まってるし、開いてたとしてもおばちゃんの話し聞く気力なんて残ってない。何でも揃うスーパーでさっさと済ませるのが普通だ。自由業者のみ為せることで、それはなんだか申し訳ないと思う。しかしこちらとしても、毎日のんびり買いものを楽しんでるわけではない。仕事の合間、人の少ない午前中にぱぱっと梯子してささっとすませる。

さてつづいて、長崎に住みたくなった11番目の理由。それはここの街並みに惹かれたからだ。入り組んだ土地に神社や寺、洋館や老舗、古くて美しいものが比較的たくさん残っている。歩いてて気持ちがいい。しかし、とりわけ心を動かすのはそのような「名所」ではない。それは、無名の民家の数々だ。急な勾配のわずかばかりの土地にへばりついて立っている、人の住む家だ。それはまるで、断崖絶壁をよじのぼる登山家のように見える。なんでそうまでしてこんな場所に建ってるんだ、と問いかけたくなる。土地がいびつなので、それに合わせてつくられる家屋の形もへんてこ、奇妙でどれひとつ似たようなものがない。平坦な土地にすらっと居並ぶ建売り住宅とは大きく異なる。しかも年数を経たものが多い（最近ひとは”下界”のマンションを買って住む）ので、あちこち建て増しつぎはぎだらけだ。強い風で屋根が飛ぶ、激しい雨で裏の土手が崩れる、子供が成長する、じいちゃんが逝く、定年して野菜作りはじめる、その度ごとに家の造形が変わる。少々のことは専門家には頼まず住む人自らが修繕するので、ありもの利用で規格外、つたないが破天荒だ。
そのようにして手のかかった家の有様は見る人を感動させる。なぜならその形や色に、住む人の心が現れているからだ。その点において、その家はすぐれた芸術作品となんら変わることがない。
美術館に行き”絵”を見るのにはお金がいるが、散歩にはいらぬ。ちょいと坂を駆け上がりひょいと角を曲がると突然、どの画集にもサイトにも載ってない、どでかい”絵”がズババンと空中に掛かっている。最初のうちはひゃあとたまげてひっくり返り、坂を転げ落ちそうになった。しかも、よく見るならそれぞれの絵にはおのおの固有の、風変わりな額縁が周りを囲んでいる。囲んでいるというか、ぐるぐる回っている。木や金属ではない、もっと柔らかいもの。猫だ。いかした家にはいかした猫が数匹住み着いてて、その家の見栄えをさらに良くしている。

ところが非常に悲しいことに、そんなふつうの家々は保存されはしない。保存されるのは、神社仏閣や教会、貿易商や文学者、幕末志士の旧居なんかで、歴史にちょっとばかし名を残した人たちの暮らしぶりだけだ。しかし、彼らは他人。おれが知りたいのは自分と直接つながる先祖、つまりそこらにいた普通のおじちゃんおばちゃんのたちの生活だ。名もなき彼らが如何に生きていたかだ。手に触れたいのは宮大工が為す美しく反り返った梁（はり）ではなく、おっさんが100均ショップの材料駆使して補修した雨樋（あまどい）だ。

と、いきりたってみてもまあしょうがない。”昭和の懐かしい風景”とか”レトロな建築”とかいう言葉からさえこぼれ落ちてしまうようなそんな建物は、こぼれ落ちてしまうがゆえに、人のこころを惹くのだろう。保存されずただ朽ちて壊されるゆえに、とっても愛らしいのだろう。

こんな心持ちで４年前、長崎に住み始めた。そうしてまもなく、住むからにはまずこの町にあいさつ、というか仁義を切ることが大切だという気がした。覚悟を見せて了解を得なくちゃいけない。それで次の個展には、長崎の町並みを描くことにした。町並みの中、人物がひとり立っているという連作を試みることにした。日頃、人物を描くのは好きだが背景描くのはあんまり心がときめかずおっくうだったので、いやいや始めた。
谷川俊太郎さんがどこかで、詩を書く時は「”書きたい”と同時に”書く必要がある”と感じたことを書きます。どちらかひとつじゃ、いけません」という風なことを話されてたけど、そのときは、長崎の町を描く必要性がとても高かった。
「気があんまし進まんけど、あんたがそこまで言うのなら、描こうじゃないか」という感じだ。
”あんた”って誰やねん？というはなしだが、おれにもどこの誰かわからない。とにかくどっかに”あんた”がいてときどき指図する。

黙々と描いた。撮ってきた写真を見て頭の中でいろんな要素をコラージュしながらせっせと描き進めた。そうするうちあらまあなんて不思議、最初はただ面倒なだけだった背景を描くのが楽しくなってきた。無意識に背景の大半を占める家々をまるで人の顔を描くように描くようになってきたからだ。人の額（ひたい）に陰影をつけるように家の軒下に陰影をつけ、髪の毛描くように屋根瓦を描き、唇に紅色さすように郵便受けに紅色をさすようになった。
描きながら、”あんた”がおれに町を描くのを勧めたのはこういうことやったのかぁ、と納得した。
そんな絵を40枚くらい仕上げて展示した。
個展のタイトルは「長崎」という字を分解して「奇長山」だった。

当時、好きだった家のひとつが今回の冒頭に掲げた写真の家だ。あたかも生きた人間のようだった。先日行ったらきれいさっぱり取り壊され、跡地は黒いアスファルトの駐車場になっていた。まるでそこだけ小さな原子爆弾が落っこちたみたいだった。県とか市は、長崎”ゆかり”のスペインやポルトガルの現代美術の作品買うより、このような家を残すのにお金をつかってほしかった。
しかしおそらくこんなふうに思うおれのほうが変なのだろう。多くの人にすればきっとボロ家はたんなるボロ家に過ぎない。
心の中にボロ家を好むかたよりがある。そのかたよりがあるからこそ少しだけ絵を上手く描くことができるのだろう。

今回の曲
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=2ZFr2Fh66zs">Jacques Brel 「Amsterdam」</a>

ベルギーに移り住み最初に得たお金でジャック・ブレルの10枚組CDを買った。ビールとチョコレートとワッフルが束になっても敵いやしないシャンソン歌手、作詞作曲家、この国の宝だ。デヴィッド・ボワイやスティングはおろかニルヴァーナさえもその曲のカバーをし、セックス・ピストルズのジョン・ライドンは「ブレルはパンクだ！」と賛辞をおくった。その彼の歌の中で一番好きなのがこの「アムステルダム」だ。港町の人間臭さ、人の生が凝縮されたような町の姿をこんなにまざまざとうたった歌を他に知らない。そして歌う人間も知らない。おそらくは今後も生まれないだろう。なぜなら、彼よりも才能がある曲の作り手、偉大な歌手は今後いくらでも現れようが、歌うべき「港町」は無くなってしまってるからだ。港町がなくなり、シーサイド何とかやベイプレイス何とかになるのはかまわんが、このような歌が生まれない世の中というのは困る。シーサイドをうたう歌では人の心はあんまし動かず、心震わせる歌がその時々にないと人は生きづらい。
しかし、それにしてもこのブレルの凄みはいったい何だろうか。まるでムルナウの吸血鬼ノスフェラトゥが港町のあばずれの血を吸って生き返り熱唱してるみたい。]]>
      
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   <title>無礼無花果</title>
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   <published>2009-11-01T08:52:34Z</published>
   <updated>2010-01-31T02:35:38Z</updated>
   
   <summary> 「おおい、そこの坊主頭ぁ」 いつもの商店街を歩いてると、どこからか呼びかける者...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web020.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/archives/web020.jpg" width="393" height="283" />
「おおい、そこの坊主頭ぁ」
いつもの商店街を歩いてると、どこからか呼びかける者がいる。振り返ったがそれらしき人物は誰もいない。ふたたび歩き始めた。
「そこのぉ、変な赤いズボンの男おぉ」
と、またしわがれた声がする。坊主頭も変な赤いズボンもたしかにおれのことだが、いったいだれだ？
今度は、視界に入るやつは何一つ見逃すものかと、可愛い飼猫に巣食う虱をさがす真剣さで目をこらした。

見つけた。
おれを呼ぶのはてっきり１人だと思っていたが、それは10人、というか10個だった。
５個入りのイチジクが2パック。

お「なんだよ、イチジク」
イ「買えよ」
お「やだよ」
イ「買えよ。2パックで350円だぞ」
お「10個も独りじゃ食べきれんだろう」
イ「買えよ。残ったらジャムにしろよ」
お「やだよ。最近、おれパン食べんもん」
イ「ソース作れよ。豚や羊によく合うぜ」
お「やだよ」
イ「むかしからイチジク好きだろ。買えよ」
お「おまえら、人に頼みごとしてんのに、その命令口調の話し方が気にくわん」
イ「買って下さい」
お「よし。わかった」

文章にすると長いが、この間、わずか0コンマ8秒。
靴やカバンを買うのは遅いが、野菜やくだものを買うのは早い。
ここらあたりじゃ名が通っていて「マッハK」あるいは「ジェットK」（Kはコウジの略）と呼ぶものもいる。

じゃがいも、いんげん、羊肉に赤ブルゴーニュを買い足して、家路へと向かう。
神社の長い階段登ってると、買いもの袋の中で赤紫色のでかいラッキョウみたいなやつらが浮かれ、ざわざわしている。
さわがしいので、おれとイチジク族が最初に出逢った時のはなしをしてやることにした。

じいちゃんの家の裏庭にかつて小さなイチジクの木があった。思い起こせばものすごく幼い頃だ。まだ、漢字で無花果と書くということを知らないどころか、自分の名でさえ漢字で書けぬ、いや、それは、文字さえ書けない遠いむかしのことだった。
だから、このくだものはあっぱれ、おれの人生で最初に登場したくだものだ。ということはそれ以後の記憶や思い出は全部、この果実の香りをしとねとして積み重なっているということになる。したがって、おれがイチジクが好きなのは当然だし、たとえば、パリでガイドのバイトをやってた時、観光客案内して入った百貨店で、衝動的にdiptyque（めっぽう高価な香り付きローソク）のいちじくの匂いを買ってしまったのも、無理からぬことだ。

さて、そこは裏庭といっても、庭というにはあまりに貧相な、母屋と納屋、そのとなりの風呂小屋をつなぐ数平方メートルの空き地だった。しかしどうしたものか、なかなかいい「気」が漂っていた。そこにいると子供のおれは落ち着いた。後年、沖縄は久高島に行き初めて御嶽（うたき）を見た時、なぜだかこの庭のことを思い出した。
風呂は、むかしのこととて、薪や石炭をくべて沸かす五右衛門風呂だった。風呂小屋のとなりを水路が通り、湧き水が流れていた。秋になると、ひんやり冷たいその流れにイチジクの実をもいでつけておき、夕方、風呂に入る時、熱い湯船の中で皮ごと食べた。食べたというより、親か祖父母かに食べさせられた。
夕陽、湯けむり、膝の上、いちじく。一分の隙もなく完璧だ。もしも、ことばをうまく操れたのなら「世界よ申し分なし！」と言ったことだろう。だけどできなかったのでキャキャキャと笑い、傍らの人間を和ませた。
五右衛門風呂もイチジクの木も、じいちゃんもばあちゃんも、もうこの世にはない。というか、今日、市場でイチジクたちに話しかけられるまで、もうずいぶん長い間、それらのことを思い出したことさえなかった。じいちゃん、ばあちゃん、すまん。今度、仏壇に線香あげに行くけん。

イ「おお、なかなかいいはなしやった。それにしても、おまえのじいちゃんちのイチジクは幸せもんや。さぞかし、気持ちがよかったやろう」「冷たい湧き水というのは難しいだろうが、おまえ今晩は冷蔵庫でいいからおれらをしっかり冷やせよ。そして風呂に入った時食べろよ」
お「むう、だから、その命令口調はやめろっつの．．．」
イ「冷やして風呂で食べてください」
お「いいぜっ！」


今回の曲
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=G5ZhBAylbN4">We Were Promised Jetpack「 Quiet Little Voices」</a>

グラスゴーの４人組。礼儀正しい感じがとてもして、いっしょにピクニックとかに行きたい気持ちになる。
「 Quiet Little Voices！」と叫びまくるのも、よし。

＊お知らせです
けっこうたくさんの作品を載せていただいた小さな本が出版されます。予約すると、デジムナー（デジタル棟方志功の略）シリーズを手ぬぐいにしたものがオマケでついてきます。意外と買って損はないと思います。じゃなくて、できれば、買ってください。お願いします。
詳しくは以下！
http://f-d.cc/books/tenranvol1.php]]>
      
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   <title>SWR</title>
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   <published>2009-10-20T12:10:36Z</published>
   <updated>2010-01-31T02:34:10Z</updated>
   
   <summary> 　ことしも生真面目にだんだんと涼しくなって、律儀に草木が枯れ、日に焼けた肌がそ...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="webwsr.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/archives/webwsr.jpg" width="378" height="283" />
　ことしも生真面目にだんだんと涼しくなって、律儀に草木が枯れ、日に焼けた肌がそっけなく褪せてきて、長崎はそわそわし始めた。１０月７、８、９日と長崎くんちがあるからだ。でっかくて深い中華鍋のようなこの街全体で、無数のゴマを煎ってるみたい、パチパチシャカシャカとそこいらじゅうがざわめきはじめる。
　さて、目下の仕事場はその、おくんちの舞台である諏訪神社のとっても近くにある。この喧噪の時期、一昨年は他所に逃避した。去年は、桟敷席の券をもらい観覧した。（とってもよかったです、ありがとう）でもって、今年は、SWR状態のレベル２で行こうと思った。
　「は？なんやねん、それ？」
っていわれても、おいおい今さら困るな．．．
SWRとは、これを読んでる皆さん相手であれば改めて説明する必要もないことだと思うのだが、”Silent White River”の略だ。
翻訳すると、静かで白い川。つまり、白川静先生のことを表す。
　
　白川先生は、いうまでもなく漢文学、古代漢字学で高名な学者だ。
そいでもって、（”そいでもって”なんてぞんざいな物言いは、たいへんに不遜だが、ここでは読みやすさのため以後もそういう風にします）彼の良く知られた逸話に、大学紛争の頃のものがある。（S教授は白川先生）
　つまり、「S教授の研究室は立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的封鎖の際も、それまでと全く同様、午後十一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていた。団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜遅くまで蛍光がともった。」（高橋和巳「わが解体」より）
　このことを知ってから、周囲が何かに浮かれてわいわい騒がしいとき、それに頓着せずに独り自分の日常を黙々と続けることを、SWRと名付け、事に際しては覚悟をきめてあたることになった。
　それで、おくんち前日に、ゴミ出し以外は家から出なくていいように３日分の食料を買いに行った。ミュズリー１袋、食パン１斤、豆乳２本、ヨーグルト５００ml、キャベツ、人参、玉葱、じゃがいも、かぼちゃ、クレソン、ピーマン、里芋、ニラ、たまご、豆腐、りんご、バナナ、さんま３匹（３枚におろしてもらい、刺身と塩焼きにする）、きびなご（揚げて酢漬けだ）、鶏ミンチ２００g、ワイン２本、酒一升、よもぎもち、これで３日分、計９食ばっちりだ。

　翌日早朝、「もってこーい、もってこーい！」というかけ声の中で、かぼちゃのポタージュ作ってパンつけながら食べると、濃いコーヒー飲んで仕事を始めた。それからずっと７、８、９日、笛や太鼓や銅鑼の音、威勢のいいかけ声や歓声聞きながら、１０日に市民プールいくまで籠って、淡々と絵を描いていた。
　
　「そりゃあ、あんた、ちょっと変だ。おかしいぞ。第一、伝統的な祭り事を浮かれ騒ぎなんて言うのがふざけてる。それに、ふつう、ちょっくら祭のぞきに行って、出店でイカ焼きとか梅が枝餅なんか買って食べるやろう、あまのじゃくっていうか、カッコつけっていうか．．．気にくわんな、そういうやつは」
　たしかに、そのとおりだ。おれもそんなやつが身近にいたらちょっとやだなと思う。このように一風変わってるので、絵とかイラストだとかで身を立てざるを得ない。
　そんなSWRチック（説明はぶく）な体質はむかしからあった。皆が何かに熱中しさわいでるとすっと退いて独りになるくせがあった。大学入る頃にはさらにそれが顕著になって、オリンピックだとか、カウントダウンとか、そんな”盛り上がる”ことに背を向けるようになった。ベルギーにいた頃なんて、なかなか独りのときが多かったので、いつのまにかワールドカップが始まって終わってたり、絵を描いてて気がつくと年が明けてたりしたこともあった。
　「ほお、そうかい、あんたが、ちょとばかし隠遁者風なのはわかったが、そこで白川静の名をだすなよな」「白川さんがその生涯をなげうち研究し実証してきた事柄はいわば人類全体の宝としておれらの前にあるが、あんたが頼まれもしないのに勝手に描いた絵なんて、誰の何の役にも立ちやしないやん」「それにさ、白川さんの置かれていた状況と、おまえのをいっしょにすんなよおっ。彼が学問をするその窓の外には、戦火があり紛争があったろうが、おまえの窓に外にあんのは平成の世の、単なる浮かれ騒ぎやん」
　うう、返す言葉全くなし。たしかに、おれと白川先生では天と地の差がある、っていったら天と地が「け、おまえら二人に比べりゃ、おれら双子みたいにそっくりだぜ」と憤慨しそうなくらい、かけ離れている。
　しかし、１０年ほど前、彼の「回想九十年」を読んで以来続く、さしあたっての一身上唯一の希望が「白川先生が学問を続けたように、絵を描き続ける」ということなので、ときおり彼の名を口にして、身を律するのは大切なことなのだ。

　ところで、彼の名前を初めて意識するようになったのは、まだ20代、パリから一時帰国していた時だったように思う。友人に連れられて熊本は石牟礼道子（誰だか知らない人は、自分で調べ、できるなら著書を手にとったがいいと思う）さんの、お宅におじゃました。以前何回かお会いしていたが、面と向かって話すのは初めてなので固くなってると「近頃はみなさんすっと簡単に外国にい行かれますねえ」とおっしゃられた。すぐさま、「自分がフランスに行ったのは、それなりののっぴきならぬ事情がありそうしたので、観光とか語学留学あるいは自分探しの旅みたいに”簡単”に行ったわけではないのです」と言おうとした。けれども、できなかった。
　なぜなら、根の付いた故郷を棄てざるをえず、彼岸に行くようにして海を渡った「からゆきさん」や幾多の移民たちの具体を肌で知る彼女にとってみれば、ぼくの事情とて、物見遊山の観光とさして変わらぬ、同様に”簡単”なものであるだろうからだ。ただただ下を向いて恥じ入るばかりだった。しかし、友人が「彼の場合は．．．」とちょこっと助け舟をだしてくれので、すぐさま復活して、みなでおでんをいただいた。
　おでんをもぐもぐ食べながら、お家の中をそっと見回した。意外にも本があまりないことに驚いた。少ない中で目についたのが、ラス・カサス、高群逸枝、そして白川静だった。前二者は（社会学やってたので）読んでたが、白川さんの名はふがいなくも気にとめたことさえなかった。男？女？誰だろ？「甲骨文の世界」「字統」．．．うう、なんかわからんが、異様な迫力があるな．．．
　けど、それっきり忘れてしまった。

　数年後、福岡に住み始めイラスト仕事で生計をたてるようになった。ある日、絵地図描きの依頼があり、日田へ行った。取材を終え宿に帰る前、寝がけに何か読もうと街の小さな本屋に立ち寄った。そこで手にしたのが、中公新書「漢字百話」（日本人に生まれたのなら必読だと思う）だった。多くの人と同じく「サイ」の出現にびっくりおったまげた。頭がぐらぐらした。（知るのが遅いっ！）その後「詩経」「孔子伝」を読み、ほどなく先に述べた「回想九十年」が刊行された。
　彼の著作物は、三つの字書はいうまでもなく、みな、象みたいにどすんとでかい。しかし、それを成した人物本人は、くじらみたい、もっとでかい。その存在自体に畏れ、おののいた。

　生まれてこのかた、もっとも多く読み返したのはきっと以下の文章だ。幾分長いが、いわゆる「座右の銘」みたいなものだろう。
 ぼくの千倍以上本読んでる松岡正剛も、その著書「白川静」（平凡社新書）で同様の箇所を紹介していた。呉智英が白川さんにインタビューして、その最後の質問に答えたものです。
　呉「先生は学界にあって、学閥抗争にも巻き込まれず孤高の位置にいらっしゃったと思いますが、それはなぜでしょうか。
　白川「私が学界の少数派であるという批評については、私から何も申すことはありません。多数派とか少数派とかいうのは、頭数でものを決める政党の派閥の考え方で、大臣の椅子でも争うときに言うことです。学術にはなんの関係もないことです。学界にはほとんど出ませんから、その意味でならば少数派ですが、そもそも私には派はないのです。
　詩においては「孤絶」を尊び、学問においては「孤詣独往」を尊ぶのです。孤絶、独往を少数派などというのは、文学も学術もまったく解しない人のいうことです。私の書きましたものは、ずいぶんと読みにくいものが多いのですが、それでも多数の読者を得ているのです。「棺を蓋うてのちこと定まる」という語がありますが、棺を蓋う前に、このような共感を得ていますので、私自身は、そのような言い方でお答えするとすれば、絶対多数派であると思っているのです。しかし学問の道は、あくまでも「孤詣独往」、雲山万畳の奥までも、道を極めてひとり楽しむべきものであろうと思います。」
　呉「今日はどうもありがとうございました。」

　呉さんでなくとも、白川さんの足跡を少しでも知る者であれば、この返答を耳にしたら、ただ頭を垂れ、「ありがとうございました」と礼をいうしかないだろう。
この文章の中の「学問」を、「絵」に置き換えると、すなわち、ぼくが（非常に心もとないが）目指すところの生き方となる。（すまん）
　しょんぼりしてる時に、これ読むと、暗いアトリエに光が射す。荒野に虹が燦然と輝き、枯れ木に花が咲き、実がなって、鳥がついばみ、声高く歌う、それを猫がシュタッと跳ねてとっつかまえて、のどぶえをがぶっと引きちぎって、口にくわえ、誇らしげに歩く。
　つまり読後、こうしちゃおれん、とやる気が出て、すっくと立ち上がる。

「はあ、そりゃよかったですね。でも、そんなやって描いた絵がなんで、あんな、なよなよした女の子だったり、へんてこな乗り物だったりと、しょうもないんですかー？」
そうやろー、そこがなんでかおれにもさっぱりわからん。ほんというと、鎌倉時代の仏像みたいな絵が描けりゃあ描きたいんだけど．．．ままならん。90くらいまで続けたらちょっとは何とかなるんやろか．．．
「ところで、それはさておいて、ちょっとひとつ質問いいですか？」
はい、どうぞ。
「今回のこの長ったらしい文章の最初に、”SWRのレベル２で行こう”っておっしゃってましたけど、ってことは、レベル１もあるんすよね？
レベル１と２っていったいどう違うんですか？」
ナーイスクエッショォーンッ！
レベル１は、すごいぜっ。
ゴミ出し日にさえ外へ出ません。
「そりゃ、いかんやろう」

＊今回の曲
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=cbNNQPxscBA">Mi and L'au「BINGO」</a>

Cat PowerやFeist, Hope Sandovalなど、くぐもったような声で歌う人が好きでよく聴くが、最近愛聴は彼らだ。
この曲は、曲だけでなくビデオ・クリップもとても良くて、見てると「道」という漢字の字源をなんとなく思いおこさせます。
　すなわち「～古い時代には、他の氏族のいる土地は、その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考えられていたので、異族の人の首を手に持ち、その呪力（呪いの力）で邪霊を祓い清めて進んだ。その祓い清めて進むことを導（みちびく）といい、祓い清められたところを道といい、「みち」の意味に用いる。～」（白川静「常用漢字」、「道」の解説文より抜粋。）]]>
      
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   <title>くじらとボニーとクライド</title>
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   <published>2009-10-04T20:16:43Z</published>
   <updated>2010-01-31T02:32:44Z</updated>
   
   <summary> 　６月、よんどころない事情で実家に帰ってて何日目かの朝、新聞とりにでた庭で飼い...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web004.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/archives/web004.jpg" width="398" height="283" />
　６月、よんどころない事情で実家に帰ってて何日目かの朝、新聞とりにでた庭で飼い猫よしよし撫でながら、ふと気づいたのは今日が父の誕生日だということだ。十中八九、父も母も忘れてるはず（老いるとはだいたいこんな感じだ）と思い朝食の時きりだすと、案の定「あー、そういえばそうやった」と無頓着だった。けれどもせっかく何十年ぶりかに夏休みでもないこの日に親子がそろってるので、３人で誕生会をしようということになった。「うわあ、ひさしぶりやあ」と父が喜ぶ。
　母と買い物にでかけた。街一番の洋菓子屋さんでピスタチオ味15センチのケーキを、酒屋でちょこっと高い芋焼酎を買った。さて、夕食の献立は何にしようかと相談した結果「もう長いことくじらを食べさせとらんけん、ふんぱつしてくじらにしよう」ということになった。それで、冷凍の赤身と、おばいけ（尾びれの薄切り）を買った。ベーコンはさすがに高級すぎて手が出ず、次回の祝いの席にとっておくことにした。
　くじら食べながら、いろんな話に花が咲き蝶が舞い鳥が歌った、つまり、ひどく楽しかった。ただ単に、こうやって自分の親と宴を囲むのがなんでそんなに心地いいんかいなと、不思議で仕様がなかった。こんな風な時も訪れるのであれば、年をとるのもそう悪くはない、皆に勧めようと思った。
　ふつうは9時には床に着く父が11時過ぎまで飲んでいた。遅く寝たのに、翌朝はやはり６時に起き、散歩にでかけた。散歩といっても、３キロ歩く。毎朝だ。
　そんな彼が数年前亡くなった幼なじみの秀やんの話しをしてくれた。なんでも、秀やんは80過ぎてもすごく元気で毎日野良仕事をやってたそうだ。けどある朝「じゃあ、いってくるけん」と畑に出て行ったっきりもどってこない。それで、家人がさがしにいったら、畑に行く途中の路傍にころんと倒れて死んでいた。
「秀やんみたいにすっきり逝くには、元気でおらんといかんけんね！」ということで、父は毎朝歩く。良く死ぬために歩く。こんな気の持ちようは一風変わってるが、とてもいいなあと思った。おれも見習おうと思った。
　ところで、くじらといえば、パリに暮らしてた20代の頃、フランス人に「くじらって相当うまいっちゃんねーっ」とぽろっといってしまおうもんなら、一様に目を見開いてびっくりされ「うわあ、かわいそーっ」とか「おそろしい、なんてやつだ」などとしっちゃかめっちゃか言われ野蛮人あつかいされた。あるいは、インテリムッシュには「そりゃあ食文化の違いは尊重せんといかんけど、他の動物と違って知能が高いし数が少ないので、やめたがいい」風なことを言われた。
　それで、「そーんなん、くじらだろうとあんたら好物のうさぎだろうと、ほかの生きものだろうと、いのちはいのちやろう。あんたら勝手に区別つけるんかい」「他のいのちを、うまいうまいと喰らわんことにはうまく生きれん、おれらみな悪人やろう」「そんな業を苦しく思って心のどっかでいつも頭を垂れるんが精一杯やん」「しかも、おれらちゃんと”いただきます”（あなたのいのちを頂きます）って手を合わせて食べるけど、あんたら”Bonappetit"（よい食欲を！）って叫ぶだけやん！」と、怒濤のごとくまくしたてようと思ったが、言い争っても勝ち目はないのでやめにした。なんでかというと、彼らはとにかく何にしても、自分が知らない事についてさえ、弁が立つからだ。仏語圏に計７年あまり暮らしたが、彼らの誰かと議論して「こうじ、おれの考えが間違ってた、ごめん」というようなことを言われたためしがない。しかも、おれが何かで「すまんかった」とあやまったりすると、「ほんとはそう思ってないから簡単に謝るんだろう」と咎められたりする。うひゃあ、だ。
　それで、在仏中なかなか苦労した。ということはすなわち、非常にためになった。きっぱりと歯切れはいいが、口先だけで中身のあんましない人間というものが、意外とうまく見分けられるようになった。たいてい、国や人種がどうであれ、人間の格がほんとに高い人は静かだ。けっして多くは語らず、すっと黙って行動する。
まあ、ブログなんてものはやらないないだろう。

＊今回の曲
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=QKfBJMIANsM&feature=related">「ボニーとクライド」</a>

年をとるのも、こんな風にだったらちょっぴりやだなと思う動物愛護運動家ブリジッド・バルドーさんが、まだ女優やってた時、当時愛人だったセルジュ・ゲンズブールと歌ってる曲です。声も姿も匂い立つよな恋する女の艶やかさ。セルジュの醸し出す色気も尋常じゃない。ふたりとも、なんちゅうかっこよさだ。でも、ブリジッド、そのベレー帽、アザラシの毛皮じゃないよな。
　]]>
      
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   <title>レギュマン</title>
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   <published>2009-09-24T12:17:03Z</published>
   <updated>2010-01-31T02:30:39Z</updated>
   
   <summary> 　ひさしぶりに会って飲んだ友人が「いいぜーっ、こうちゃん、絶対いいけん、燃える...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web0911.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/archives/web0911.jpg" width="416" height="312" />
　ひさしぶりに会って飲んだ友人が「いいぜーっ、こうちゃん、絶対いいけん、燃えるばーい、読んでみなよー」と何回も連発するので、貸本屋でそのマンガ本、３冊だけ借りて読んだ。そしたら、止まらなくなって既刊の３９巻、数日で読んでしまった。「頭文字（イニシャル）D」は、公道で最速を目指す走り屋の若者たちを描いたマンガだ。その場面のほとんどが深夜の峠でのカーバトルで、闇夜を疾走する２台の車と、”ギャン”とかギャギャギャ”とか”グオングオン”とかの擬音語が、ページから飛び出さんばかりに炸裂する。読み続けてたら、身体がだんだんページに呼応して、直線では背中が壁ににおしつけられ、ヘアピンカーブでは上半身が揺さぶられ、急ブレーキの時には下半身にぐいと力がはいってしまう。それが非常にここちよい。
　さてこの物語、主人公は豆腐店を営む父を持つ１８歳の青年だ。父親はかつて名うての走り屋で、息子である彼は中学生の頃から峠を越えた先の旅館へ豆腐の配達を命じられる。毎朝毎朝、雨の日も風の日も来る日も来る日もだ。そうやって彼はいつのまにか神業的なテクニックを身につけ、ふとしたきっかけで公道バトルをするようになると、どうみても圧倒的に速いやろうという車と勝負し、勝ち続ける。
　そんな様を目にしたまわりの皆が、「すごい！なんでそんなに速く走れるんだ？おまえは天才だ！」と驚嘆するのを前に、きょとんとした彼が発する言葉というのがとてもいい。曰く「走る事は顔を洗うのと同じ日常なんだ」
　つまり、彼の天才たる所以が「どれだけ長い期間、弛まずに毎日それをしつづけけたか」というただ一事によって説明されている。
　365日あったら、365日、峠を走る。
 あるいは別の天才であれば、365日バットを振る。写真を撮る。歌をうたう。鮨を握るだろう。
　要するに毎日の積み重ねが大切だということだ。しかし、これが単純だけどなかなか難しい。
　うわわわっ、おれ、マンガなんか読んでる場合やないやーん、絵を描かんといけんんっ。
　
　と、思ったが、夏休みだし実家にいるので、常々気になっていた押し入れのマンガ本の整理をすることにした。ほんとうに大切なものだけとっといて後は売りに出し、得たお金でぱーっと鯉のあらいでも食べに行こうと思った。
　岡田史子や永島慎二、真崎守、あるいは、手塚治虫や白土三平などの作品は大切なのでとっとくことにした。かたづけ途中でうっかり「がんばれ元気」第一巻のページを開いてしまって、はっと気がつくとたちまち５巻まで読んでた。こんなことじゃあいかん、いつまでたっても終わらんと気をとり直し、集中して売り払うやつを選んでいく。しかし、どれもこれもが繰り返し読んだもので愛着があり、選別に心が痛む。
　そんなんなら、別に場所あるし、とっときゃあいいやん！うむ、たしかにそうだ。しかし、人は何かとふいにきっぱり決別せんといけんくなる時というものがある。それでやっとこさ200冊くらい選り分けダンボールに詰め古本屋さんに持って行った。査定に一時間ばかりかかるというので、近くの新しくできた古着屋さんに行った。そこで、いかしたシャツを二枚買った。もどると、おれのマンガたちは3950円に成り代わっていた。シャツが合わせて3800円だったので、ちょうど同じくらいだ。
　そんないきさつがあって、帰りしな、この二枚のシャツに”マンガシャツ”という名を与えた。大切なマンガ本たちの生まれ変わりなのだから、生涯大事に着ようと心に誓った。
　
　ところで、マンガ本の整理をしていたら他の本もいっぱいでてきたのだけど、その中にパリにいる時、シュールレアリストの出版物を蒐集してる友人にもらった、ローラン・トポールの画集が数冊あった。さがしてたのが見つかってうれしかった。「でも誰やねん？そいつ」うーん．．．フランスやベルギーではけっこう名が通ってて今でも信奉者が多いんだけど、日本では知ってる人はそういないという気がする。かつて澁澤龍彦がちょこっと紹介して、ポランスキーの映画の原作にもなった小説の翻訳本「幻の下宿人」が今はでてるくらいじゃなかろうか。画風はルネ・マグリットを拙くしたみたい。主に鉛筆を使い、自虐的でブラックユーモアに満ちた絵を描く。たとえば、「涼しげな顔をして自身の太股に刺繍をする女」とか「口に当てたラッパから自分の内蔵が飛び出ている男」、「プールの飛び込み台からプールと反対のコンクリートに向かって飛び込もうとする男」っていった具合だ。
　さて、いらん前置きがながくなってすまんが、そんな彼が、1980年代、子供向けにつくったテレビ番組（全20話）というのが相当におもしろい。
　タイトルは「レギュマン」！
でも、”レギュラー満タン”の略ではなくて、フランス語で”léguman "と書く。”légume”が野菜なので、翻訳すると”野菜仮面”といった感じだろう。主人公のヒーローが子供が嫌いな野菜でできてるっていうのが、いかにもトポールらしい。そんなレギュマンが、毎回登場して悪事をはたらく怪人をこらしめるのだけど、その怪人達も奇妙奇天烈なことこの上ない。「泥靴の足跡つけてまわる運動靴怪人」とか、「ドアやシャッターなど開いてるものはなんでも閉めてしまう真っ暗怪人」なんかだ。しかも、レギュマンが登場する時、かならず毎回「にんじんは煮えたか？」「ノン！」と入るのも、わけがわからずぶっとんでいる。主題歌だって、そうとうにへんてこで、一度聞こうものならしばらくは耳から離れない。（アジサカ訳す）

レギュマン、レギュマン！
君は大地の子
太陽は君の父
悪いことするやつをこらしめる
レギュマン、レギュマン！

友達のフランス人が懐かしんで言うのには、幼い時、毎回見てたんだけど、見るたびになんか恐ろしくなって見なきゃ良かったと後悔してたそうだ。

<a href="http://www.youtube.com/watch?v=CgUA8dvNUu8&feature=related">レギュマン</a>

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   <title>新米の季節</title>
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   <published>2009-09-12T02:18:40Z</published>
   <updated>2010-01-31T02:26:39Z</updated>
   
   <summary> 　その日は９月に入ったというのに真夏みたい、ぐらぐらたぎりに暑かった。家で絵を...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web03.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/web03.jpg" width="378" height="283" />
　その日は９月に入ったというのに真夏みたい、ぐらぐらたぎりに暑かった。家で絵を描いてるとだらだら汗が出てかなわないので、市民プールへ行った。休み明けでがらがらだろうとの予想どおり、子供用にはまばらに人がいたが50メートルはぼくだけだった。聞くと最終日で、明日から来夏まで長い休みに入るという。飛び込むと、真夏になりすましていようとそこはやはり９月、水は思いがけずひんやりとしていた。泳ぐのにはうってつけで、心地良さにどうしようもなく笑みがこぼれ、ゴボゴボゴボ．．．最初のうち、息つぎするのに苦労した。
　500メートルくらいすると、今年の夏もお天道様の下で泳ぐのは今日限りやなあ、とため息がこぼれた。1000になると、死ぬまでにあと何回、こうやって夏泳ぐことができるやろかと儚く思い、涙がこぼれそうになった。
　ところが1500になると打って変わって何やら力があふれてきて、ようし今日は5000泳いでやるぞ、と気合いが入りはじめた。普通は2000、調子が良くてもせいぜいが3000なので、5000というのは尋常ではない。高校以来、今世紀では初の試みだ。　
　夏の果のでかいプールにただの独り。３時間近くかかって、なんとか5000泳ぎきった。泳ぎはきったが予想の通り、身体が若干変になった。脱衣場によろよろと向かってると、風がやさしく身体をなでるのだが、それを感じる皮膚は十七娘の頬みたいに張ってピンピンなのに、その内側にある肉は太った50女の乳房のよう。垂れ下がりブテブテしている。そいでもって身体の中を通ってるいろんな管は、90ばあさんの白髪を編んでできたみたいにパサパサだ。
　そんな身体に服を着せ、どうにか車のシートにたどり着く。エンジンかけると、母の小さなポンコツ車が「ドドドドド．．．そんな身体にはジェット豆乳しかないぜ」とつぶやいた。コンビニに並んでる調整したまがいものでも、スーパーで売ってる大豆100%無調整でもない、豆腐屋さんが朝しぼった、勝手に名付けてジェット豆乳。200mlで168円ととても高級だが、こんな時に贅沢しないで、いつするのだ。
　ポンコツに言われるがまま、二本買って飲んだ。なんちゅう、うまさだ。いっきに全身が潤う。まあ、イメージとしては、あめ玉になってエリザベス・テイラーかソフィア・ローレンの口の中で舐め回されてる感じだ。するとどうしたことか、もうずいぶん前に買って読んだ本の、ある文章が無性に読みたくなった。たしか、実家の二階にあるはずだ。
　さっそく帰って、探してみると、二階の隅の押し入れの奥のダンボールの底にその本は貼り付いていた。ドキュメンタリー映画監督、小川紳介の「映画を穫る」という本だ。その中に記録文学作家である上野英信が、彼に話してきかせたという実話が紹介されている。以下がその文章です。
＊残すはなし＊
　江戸時代が終わる頃、筑前で起こった一揆の指導者が、刑場に送られる道中のことと思って下さい。刑場への往還最後の峠には一軒の茶店があり、急坂を登ってきた護送の一行はここで休むことになりました。常より厳重に警護されている唐丸の内の人を、先頃の一揆の指導者と知った茶店の老夫婦は、ものものしく取り囲んでいる武士らの制止をものともせず、その囚われびとに一杯の渋茶を振るまいました。すると、それを押し頂いた囚われびとは「この一杯のお茶は、私の全身にしみわたりました。これを末期の水にできたいま、私は安らかな気持ちで刑場に立てます。私自身でお返しできないこのご恩に必ず報いるよう、私は、あなた方が今日ここで私にして下さったことを、しっかりと子孫に伝えていきます」といいました。
　現在、峠の老夫婦の子孫は福岡市内で小さなタバコ店を営んでいますが、毎年秋になると、その店先にはあの一揆の指導者の子孫から新米が一俵届きます。百数十年の間、一度も違わずに。それはつづいているということです。

うくうっっ、ほんとうにいいはなしや．．．
今回の曲。
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=Powpq4pANgM&feature=related">松倉如子「セミ」</a>
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   <title>晩夏。「ドクロのマーク」</title>
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   <published>2009-09-01T02:16:07Z</published>
   <updated>2010-01-31T02:26:39Z</updated>
   
   <summary> 　数年前、パリはサンマルタン運河沿いのギャラリーで個展をやった時、おっきな眼鏡...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="web02.jpg" src="http://www.azisaka.com/blog/web02.jpg" width="403" height="283" />
　数年前、パリはサンマルタン運河沿いのギャラリーで個展をやった時、おっきな眼鏡でいかにも賢そうなそこのオーナーに、「君は好んで、ロボットだとか、近未来風の建物、乗り物を描くけど、なんでだい？」と尋ねられた。そんなこと聞かれても困るが、パリジャンつうやつはうやむやな返事を好まんので、とっさに「そりゃあ、それがおれのサント・ビクトワール山だからさ。」と答えた。「はん？」と眉間にしわよせる彼につけ加えたのは、つまり南仏のこの山が、19世紀の画家セザンヌが慣れ親しんだ「自然」であるなら、ロボットやスーパーカーは、20世紀末の日本に生まれ、アニメやマンガに浸って育ったぼくの「自然」だ、ということだ。したがって、形とか色なんか、そんなに苦にならずに出てくるし、描いていて楽しい。野山を描くより、ロケット描く方が心地いいのだ。小学校のスケッチ大会のとき、もらった画用紙にれんげ畑をさっさと描いた後、その裏に、ドガーン、ババババーッって飛び回るロボット軍団嬉々として描いてたのを思い出す。
　
　３年前、ベルギーより帰国してちょうど一年経った頃、このように自分にとって身近であるロボットを中心に据えて作品を作ろうと思い立った。ロボットものにはやっぱり、秘密組織みたいなものが必要だろう。秘密組織にはかっこいいシンボルマークがないとはじまらん。ううん、何にしようかな。そういえば昨日の飲み会のとき、解剖学やってる友人が、おれの頭蓋骨見て、すごく形がいいと褒めてくれたな、ようし、マークは骸骨にしよう。組織の名前はドクローズ団で決まりだ。
　こういう具合にはじまって、ドクロマークがあちこち散らばった絵を８ヶ月で50枚ほど描き上げた。そしてその夏、九州の各地で個展をして回った。
　長崎は、出島のすぐそばに建ってる築60数年のとても古いビルの一室を借り、そこに展示した。ビルは軍艦島にあるのを引っこ抜いてきてそこに据えたみたい、外も内も異彩を放ち、熟れたまま腐らず乾燥した巨大な果実のようだった。表に看板を出してたら、観光客のひとたちもちらほら見に来てくれた。時は８月はじめ、おりしも反核反戦運動の団体の集会が市内各地で行われていた。
　展示しはじめて何日目だったろうか、おばちゃん（と、おばあちゃんの中間くらいかな．．．）数人が上ってきた。イラストだとか現代美術なんかとはあんまり関わりがなさそうな感じだ。身ぎれいで学校の先生とか町内会の役員みたいなたたずまいをしてる。彼女らは最初とまどった風だったけど、にっこりあいさつするとそれぞれ静かに一枚一枚ていねいに眺めていった。そうやってひととおり見終わった後も、小声で話したり指を差したりしながら行ったり来たりしている。こんなに真剣に見てくれてありがたいよなあと思ってると、その中のひとりがすっとそばに寄ってきて尋ねた。「あの．．．しゃれこうべが、いっぱい描かれてますけど．．．これはやはり原爆で犠牲になった方々を象徴されてるんでしょうか？追悼の気持ちが表現されているんでしょうか？」「えっ．．．？」意外で不意な問いかけに、絶句しかけた。けれど、口はなんとか動いて「ま、まあ．．．そんな感じでもあります．．．」とひどくあいまいな返事をかえした。おばちゃんは、何回か黙ってうなずいたきり、それ以上はなにも聞かなかった。
　それからまた数分、彼女らはそれぞれ静かに絵をながめ、「どうも、いいもの見せていただいて．．．ありがとうございました。」とお辞儀をして去ってっいった。まるでこの世でない彼岸の人といたみたいだった。夢心地からはっと我にかえると、蝉がジミヘン百人ギターかき鳴らすみたいに叫んで、太陽が窓ガラスぶち破りそうな勢いで燃えていた。
　　
　その夏、長崎につづいて個展をやったのは、学生時代を過ごした熊本だった。雑貨屋とカフェがいっしょになった店の2階（といっても屋根裏みたいなとこ）に展示させてもらった。この店でやるのはもう３回目。あいかわらず、キュートな雑貨目当ての女子学生から、本好きの主人を慕う中年おじさん、おいしいランチを求める奥様連中と、やってくる人はさまざまだ。さいわいな事に、作品をひいきにして毎年個展を心待ちにしてくれているお客さんも少なからずいる。
　始まって最初の日曜日。休日にしては、人があんまし来ないよなあとぼおっとしてたら、がちゃがちゃと話し声が階下から聞こえ、ぎしぎし階段を上ってくる音がして、きゃあきゃあと女子高生が３人はいってきた。見ると全員、服やアクセサリーの色が白と黒と赤の３色しかない。３色しかないがギザギザフリフリクルクルと複雑な形をしてる。そいでもって、服の模様やバッグのアップリケ、鈴なりのキーホルダーは、ドクロ尽くしだ。なんでも、表に貼ったチラシの絵を見て駆け込んできたらしい。「こんにちはー、おじゃましまーす！」「わあ、いーっぱいドクロ！きゃあー！」「わたしたち、ガイコツ好きなんですー、ドクロもの集めてるんですぅ」「ナイトメアー見ましたーっ？！」「絵の前で写真とってもいいですかー？」「ドクロってかわいいですよねーっ？」と、たて続けの連射攻撃に、なごんでた心は蜂の巣だ。くうぅ、いかん、押されっぱなしじゃ．．．こっちも何か話さんと。と思ってたら、リーダー格の娘が「ドクロ、好きなんですかぁ？いつも描いてるんですかぁ？」とニコニコ顔で聞いてきた。ぼくは「あ、そ、そうです、なかなか好きです」と答えた。
　答えた後、長崎で会ったあのおばちゃんたちを思い出し、これを聞いたらさぞかしがっかりするだろなと、彼女らになんだか申し訳ない気持ちになった。その気持ちのせいで、そのあと何十秒か女子高生の言葉が耳にはいらなくなった。
　写真を何枚かとって、ノートに感想書いて握手して、「次回の個展、楽しみにしてまーす！」と彼女らは下のカフェに下りていった。残されてひとり絵に囲まれてると「ねえー、何飲むー？」「こないだ学校の帰りにさー」と階下から話し声が聞こえてくる。話題はもうドクロからすっかり遠ざかっている。
　そんな会話を聞きながら、さらにおばちゃんたちのことを考えた。「うん、でも、まてよ．．．」あのおばちゃんたち、長崎に反核運動しに来てる最中、朽ちかけたようなビルでおれの絵を見たのではないとしたら、どうだろう？熊本に観光で来て、阿蘇で温泉はいって馬刺食べてカラオケ熱唱した翌日、街中のかわいらしいカフェの屋根裏で見たとしたら、どんな風に感じるだろう？
　「ひゃあ、兄ちゃん、あんたのガイコツ、目がクリクリして、可愛いかなあ、うちのじいちゃんにそっくりばい。」って、もしかしたら言うかもしれん。熊本の女の子にしたって、修学旅行で長崎に来てたとしたら、どうだろう？その口は「きゃあ、かわいい！」とは別の言葉を発したかもしれない。そう思うと、不思議とこころがやわらいだ。
　すると「みゃあ」といってそこの飼い猫が入ってきた。おお、よし、なでてやろうと手をのばしたけれど、何かを確認するとさっさと出て行ってしまった。]]>
      
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   <title>ふと、夏プールで思ったこと</title>
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   <published>2009-08-01T02:10:05Z</published>
   <updated>2010-01-31T02:26:39Z</updated>
   
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　いきなりで恐縮なのですが、一枚の絵を描くっていうのは、ぼくにとっては、一遍の小説を書くのと読むのとを同時にやってるようなもんだという気がします。なんじゃあそりゃあ？といいますと、ちょっと長くなりますが、説明してみます。　
　絵を描く時は、大まかなストーリィなりイメージなりはあらかじめ持って描き（書き）はじめるんですが、それ以外はその時々の気分や体調や天候にまかせっぱなしで、後でどうなるのか先が見えません。完成までの道のりをきちんと指し示した設計図があり、それに従って模型をつくっていくというのとは、おおきく異なっていて、描き進んでみなけりゃあ、どんな結末になるかはわかりません。
　もちろん、真っ白いカンバスの前に立ったとたんに、色や形が身体の中から湧きあがってくるよな天才絵描きではないので、ちょっとした下描きやら、雑誌の切り抜き、写真なんかを見ながら、それをとっかかりにして描いてはいきます。けれども、それをそのまま写し取るということはなく、（やろうと思ったとしてもできやしませんけど）筆にまかせて描いてると、頭では思い描くこと、想像することのできなかった物の形や色、人物の表情なんかが、筆の先からでてきます。
　そんな風にやってると、描いてる時は、初めて読む小説をを読んでるみたい。おお、そう来たかー、とか、うわ、この形、味があるよなあ、とか、ひゃあ、こいつってこういうやつだったのか、とか、何が出てくるのかはわからないので、やっててわくわくします。
　要するに絵を描く時には、描く自分と、読む（描いたものを見る）自分のふたりがいます。（ところで調子がでてくるとこれに別の人間も加わります。たいていが、亡くなった親戚とか遠くに住んでる友人で、そこはちょっと違うんじゃないかいとか、おお、なかなか上手く描けてるやんとか、口をはさんだり指図したりします。）
　さて、こんな具合に自分で小説を書き、書いたはなから読んでいってるような感じなのですが、自分をある程度はよく知った人間（つまり本人）が、自分ただ一人に向けて、これを楽しませようと懸命に書いた小説を読んいるようなわけで、そんな読みものがおもしろくないはずはありません。
　他の人が作った小説を読んだり映画を見たり、あるいは旅行したり、おいしいもの食べたり、友人らとおしゃべりしたり、そんなことやるより、ずっとたのしいのです。だから、絵ばかり描いてます。（もちろん、これはちょっと言い過ぎで、ようするに、生活のもろもろの中で絵を描くことの優先順位がかなり高いということです）
　ただ、描いててたのしいけど、読んでてつまらない時や、反対に、描くのはしんどいけど、読んでておもしろい時、はたまた、どちらも心地いい時、どっちもきつい時があります。どっちもきつい時というのは、病気だったり寝不足だったりして体調が良くないときで、精神的なものは、描く（と同時に読む）よろこびそれ自体には影響がないみたいです。悲しいときは悲しいなりの、苦しいときは苦しいなりの、描くよろこびがあるようです。
　こうやって、一枚の絵が一応仕上がります。一応というのは、たいていが数日も立つと、描き直したり手を加えたくなり、そんなことやってたらいつまでも次の絵が描けないので、この絵はこれぐらいでやめとこ、ひとまず完成したことにしよう、と筆をとめるわけです。その時ちょこっとだけ、解放感みたいなものはあります。ありますが、充足感や達成感、つまり完全燃焼などにはほど遠いです。だから、すぐに次の絵にとりかからないと、身の置き場がなくて不安になります。
　さて、こうやって”完成”した絵は、読み終わった本、みたいなものです。描く（読む）ことによって、よろこびを得、何か少し学び、ものの見方がちょっぴり変わり、人間的にやや深みを増した（笑）。だから今目の前にある絵（本）自体はぼくにとっては、もう用なしです。
　ただ、もしかしたら、ぼくだけではなく、その他の人が読んでも、少しはおもしろいかもしれん、ためになったりするかもしれん。それに、ほかのみんなは、ぼくとは全く異なる読み方、もっと豊かで深い受け取り方をしてくれるに違いない。それを聞いてみたい。よし、せっかくだから他の人にもできるだけ多く読んでみてもらおう。
そう思って毎年、やってるのが個展の巡業です。
　ときどき、読んで（絵を見て）気に入って、手元に置いときたいなあ、という人も現れます。作品を買ってくれます。ほんとうに、ありがたいです。そんな方々が何人かいてくださるので、ぼくは生計を立て、絵を描いて独り楽しむことができます。
　
　って、たいそうなこと言いよるけど、肝心の絵はたいしたことないやん。
あうう、すみません、実はぼくもそう思います。
なので、また絵を描き続けます。]]>
      
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